ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

使徒十五章 わたしの名がつけられたすべての国々

 

 「ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。』と教えていた。」(使徒15:1)

 

 ある人々とは、パリサイ派の者で信者になった人たちのことです。

 パリサイ派の人々は、サウロ(回心する以前のパウロ)がそうであったように、イエスの教えに逆らい、また、イエスの弟子たちを激しく迫害することが、神の律法を守ることであり、イスラエルの神に奉仕することだ、と固く信じる人々です。

 

 しかし、彼らの中にも、イエスを信じる人たちが起こっていました。彼らの信仰の土台には、かつて熱心に仕えたユダヤ教の律法があります。

 神の民イスラエルに神が命じられたのは、イスラエルの父祖アブラハムに命じた肉の割礼を受けることと、モーセの律法を守ることです。

 ユダヤ教に改宗する異邦人は、肉の割礼と律法の下にはいることにより、神の契約を持つユダヤ人たちの仲間として認められたのです。

 

 ユダヤ教のパリサイ派の者でキリスト信者になったユダヤ人たちは、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言っていました。そうすることで、ユダヤ人の中に加えられて、神の御救いの契約の中にはいる、と考えたのです。

 

 使徒たちは、キリストの御思いの中を歩んでいました。彼らの信仰の土台は、イエスのことばにあり、聖霊の教えにあったのです。

 

 使徒たちも、もとはユダヤ教徒のユダヤ人です。割礼を受け、律法を守るユダヤ人でした。

 彼らがイエスから聞いた教えは、永遠のいのちを得るために必要なのは、肉の割礼やモーセの律法ではない、ということでした。イエスは、ユダヤ教の教えを古いとされたのです。

 

 モーセの律法はすべての律法を守って初めて違反のない者とされます。律法の一つでも違反するならば、律法の違反者となるのです。

 

 イエスは、すべての律法を守る完全な人がいないことを知っておられ、律法を違反したユダヤ民族に代わって、十字架にかかり、ユダヤ民族の律法の呪い(律法の違反の罪)をご自身が負ってくださいました。

 十字架で流された、神の子羊イエスの血は、罪を贖い、また、罪の呪い、すなわち死から解放してくださったのです。

 

 神の御子イエスは、ユダヤ民族のみならず、すべての民族を造られた神のひとり子です。それゆえ、イエスの血は、世の罪を取り除く、世の罪の贖いの血です。神の子羊イエスの血によって贖われた罪は取り除かれて、罪に問われることがありません。

 

 神は、神の子羊イエス・キリストの贖いの血によって、罪を赦してくださるのです。

 神は、神に背き、神のことばから外れて、的外れな者となってしまった罪人に、死と死後の裁きを定めておられます。

 

 神が悪魔と悪霊どもの裁きのために用意された永遠の火の池の中に、悪魔の言葉と結びついた罪人たちもまた、死んで、永遠の火の池に落とされる運命となってしまいました。

 神は、最後の裁きの後に、死とハデス(陰府)とを、火の池に投げ込まれます。死者たちはみな、死とハデスの中にいます。それゆえ、死とハデスとが火の池に投げ込まれるならば、当然、その中にいる死者たちの魂もみな、ともに火の池の中にはいることになります。

 

 人は死んだ後、もはや、いのちを取り戻すことはできません。

 神は、そのような運命をたどる罪人たちを憐れみ、彼らの罪を赦して、いのちを得させるために、御自身のひとり子に肉体を造って「人の子」とし、祭司の国民イスラエルに、生贄の神の子羊を遣わされたのです。

 

 「人の子」として女から生まれた神の子羊イエスは、世界を救う救世主です。世の罪を取り除くために屠られる神の子羊なのです。

 

 「人の子」である神の御子イエスは、罪の贖いの血を流して、神の義を得て、死から復活し、天の神のみもとに帰って、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受け取られました。

 

 神の子羊イエス、すなわち、十字架にかかられたナザレのイエスは、ご自分を遣わされた御父の御旨に聞き従い、ご自分の果たすべき使命を成し遂げて、とこしえの家である天に帰られました。

 

 死から甦り、復活のからだで弟子たちにお現われになったイエスは、彼らに言われました。

 「平安があなたがたにあるように。(イエスが話していたように、イエスは一度死んで甦りました。そのように、あなたがたもまた、一度死んでも甦り、永遠のいのちを得させられるのです)父(天の神)がわたし(神のひとり子キリスト)を遣わしたように、わたし(神の子羊イエス・キリスト)もあなたがた(イエスの弟子たち)を遣わします。」(ヨハネ20:21)

 

 また、イエスは彼らに息を吹きかけて言われました。

 「聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20:22)

 

 イエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けて水から上がられると、天から聖霊が鳩のように下って来て、イエスの上に留まられました。

 イエスは、聖霊とともに歩み、父のみわざを成し遂げられました。イエスは、ご自分を遣わされた方(父なる神)に忠実でした。そして、御父の栄光を現わされました。

 

 イエスの命令に聞き従って、聖霊を受ける者は幸いです。

 彼らは、イエスが聖霊とともに御父に聞き従われてご自分の使命を果たされたように、イエス・キリストの御名によって与えられる真理の御霊とともに歩み、めいめいに分け与えられた御霊の賜物にしたがって、遣わされたキリストの御旨を成し遂げるのです。

 

 イエス・キリストの十字架の死は、ユダヤ教の肉の割礼も律法をも終わらせました。イスラエルの契約は完成したのです。ユダヤ人が肉の割礼を受けず、律法の下にいなくても、御救いを失うことはありません。

 

 神は、ユダヤ民族との最初の契約を古いとされました。

 十字架にかかられた神の子羊ナザレのイエスを、神が遣わされた神の御子キリストであると告白し、イエス・キリストの御名を信じるならば、永遠のいのちを得させられる、という新しい律法が与えられたのです。

 

 神の民の契約が与えられているユダヤ人が、神の御子イエスを信じる信仰によって救われるならば、ましてや律法の契約のない異邦人は肉の割礼のないまま、また、モーセの律法の下に入らなくても、すなわち、ユダヤ教に改宗しなくても、そのままで、イエスの新しい契約によって、義とされ、永遠のいのちを得させられて、御救いを受けることができるのです。

 

 ペテロは言いました。

 「私たち(イエスの弟子たち)が主イエスの恵み(贖いの血)によって救われたことを私たちは信じますが、あの人たち(異邦人たち)もそうなのです。」(使徒15:11)

 

 ヤコブは言います。

 「預言者のことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。

 『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。

 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるためである。

 大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』」(使徒15:15-18)

 

 それは、アモス書からの引用でした。

 「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。

 これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。―これをなされる主の御告げ。―」(アモス9:11,12)

 

 異邦人が救われることは神の御心であり、初めからの御計画です。

 神は、ダビデに一つの家を与えると約束されました。また、とこしえにダビデの王座は堅く立ち、とこしえにイスラエルを治める王が着座されることも約束されています。

 

 神は、終わりの日に、ダビデの家を興すことを約束されています。

 現在のイスラエルは、十二部族がそろっていません。ユダヤ人たちは、諸国に散ったままです。帰還者たちもいますが、完全な姿になっていません。

 かつて、十二部族を一つのイスラエルとして治めていたダビデ王のようなユダの総督を、神は起こされます。

 

 十二部族は一つのユダヤ民族として回復されるのです。

 世界を救うふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人によって、エドムの残りの者、すなわち、イサクのもうひとりの子エサウの子孫の残りの者(イエス・キリストの御名の中にはいるキリスト者)を救われます。

 そして、イエス・キリストの名がつけられた者、すなわち、神の御子イエスを信じて、神に義とされる異邦人たちがみな、主の御救いを求めて救い(御霊の教会)の中にはいり、イエス・キリストの御名がつけられたすべての国々をキリストが手に入れるためなのです。