ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

桜の見納め

 

 日本人のスピリチュアルな人たちが、2025年は、龍(りゅう)と鳳凰(ほうおう)が統合して、麒麟(きりん)が現われる年だと言っています。

 

 竜は聖書では悪魔を現わしますが、神道や仏教では龍は神を現わしています。

 私は、悪魔に変えられてしまった唐獅子の姿が龍なのではないのかと思います。

 

 神が、悪しき者たちから守られた日本列島の中に神の民をかくまって、守り、養い育て、終りの時代に日本列島から世界を救う者たちを起こすという御計画を持っておられることを知る悪魔は、唐獅子を龍の姿に変えて、龍(悪魔)を拝ませるようにしたのではないのかと思います。

 

 唐獅子は、ユダの獅子(イエス・キリスト)を連想させます。イスラエル全体(十二部族)を治める人です。

 鳳凰は、神に仕えるレビ族を連想させます。ケルビムに守られた契約の箱に臨在される、生ける神に仕える祭司を表しているようです。

 

 ゼカリヤ書に、金の燭台の右左にある、二本のオリーブの木のことが預言されています。

 

 黙示録一章には、七つの金の燭台(七つの御霊の教会)の真中に立つ「人の子」のような神の子羊イエス・キリストのことが書かれています。

 右の手の中に七つの星(七つの御霊の教会の御使いたち)を持つキリストです。

 

 イエスの弟子であるヤコブとヨハネのふたりが、イエスのところに来て、自分たちの願いをかなえていただきたい、とお願いしたことがあります。

 「あなたの栄光の座(地上の千年王国の都にあるキリストの王座)で、ひとりを先生(キリスト)の右に、ひとりを左にすわらせてください。」(マルコ10:37)

 

 ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネは、キリストの王座の右と左にすわりたいと願いました。彼らは、ナザレのイエスを、神が遣わされた神のひとり子であり、イスラエルが復興する時に、ダビデ王の王座に着く「とこしえのイスラエルの王」であることを信じたのです。

 

 しかし、イエスは言われました。

 「わたしの右と左にすわることは、わたし(神の子羊イエス・キリスト)が許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。(すべてのことは、御父から出ており、父なる神御自身が神の子羊に聞き従う十二弟子を選び、子羊の花嫁〈十四万四千人の童貞のユダヤ人〉を召し、忠実に「イスラエルの王」である神の子羊に仕えるふたり〈ふたりの証人〉を用意されるのです)」(マルコ10:40)

 

 金の燭台(信仰の勝利者である「七つの御霊の教会」を治める「イスラエルの王(神の子羊イエス・キリスト)」)の右左にある二本のオリーブの木は、日本人から出る「ふたりの証人」のことをさしているように思います。

 

 そして、そのふたりを象徴しているのが、唐獅子と鳳凰、すなわち、ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアのふたりではないのかと思います。卍の紋章を持つ「イスラエルのメシア」と○の紋章を持つ「アロンのメシア」と呼ばれるふたりです。

 

 仏教と神道の習合は、大和民族の魂の回復の時だと思います。

 四割の日本人のうちに残されている大和魂が、目覚める時だと思います

 

 かつて、仏教の創始者の仏陀(釈迦)が、「私(悟りを得た釈迦)の後に、私が得た悟りを、実践する明けの明星が現われる。」と預言していました。

 その約六百年後、東方の賢者たちは、「明けの明星」がお生まれになったことを星によって知り、赤い星に導かれて、イスラエルのベツレヘムで生まれた「ユダヤ人の王」(ダビデの子孫として、ダビデの町ベツレヘムに住民登録されたイエス)を拝むために、旅をしました。

 そして、東方の賢者たちは、マリヤの腕に抱かれた幼子イエスを拝み、悟りを実践される「明けの明星」である、神の御子に贈り物をささげました。

 東方の賢者たちは、仏陀が開いた悟りを、そのまま生き、また、菩薩の世界(煩悩のないいのちに輝く世界)をすべての人々の前に開いてくださる「明けの明星」を拝んだのです。

 

 神は、終りの時代には、夜明けへと導くキリストの心を持つイエスの証人「イスラエルのメシア」を立てられます。

 古神道の中から起こる「アロンのメシア」は、「イスラエルのメシア」に神のことばを授ける祭司の務めをするでしょう。

 

 イエスがベツレヘムに生まれたとき、「ユダヤ人の王」として生まれた男の子を抹殺しようと、ヘロデ王は、二歳以下の男の子を皆殺しにしました。

 終わりの時代、世界を救うために神に立てられる「ユダの総督」が任命されるときにも、悪魔は多くの日本人を殺すのかも知れません。

 

 スピリチュアルの人たちによれば、今年は、龍と鳳凰が統合する年。唐獅子「イスラエルのメシア」と鳳凰「アロンのメシア」のふたりの証人が一致した心をもって立つ時なのかも知れません。

 

 日の上る方(東の日本)から立つ御使い(ふたりの証人)が、神に召された十四万四千人のユダヤ人のところに行って、「生ける神の印」(子羊の名と子羊の父の名)を押すことが黙示録七章に書かれています。

 

 唐獅子「ユダの総督」と鳳凰「大祭司」が統合すると、麒麟「生ける神の印が押された十四万四千人のユダヤ人」が現われるのでしょう。

 彼らは、金の燭台の右と左に立つ二本のオリーブの木(キリストの王座の右と左にすわるふたり)であり、また、子羊のために父なる神が召される子羊の花嫁(十四万四千人の汚れのないユダヤ人)でしょう。

 

 ふたりの証人は、反キリストによって殺されます。

 天では、イスラエルの君ミカエルの軍勢と、竜(悪魔)の軍勢の戦いが起こり、悪魔は地に投げ落とされます。すると、エルサレムに大洪水が起き、十四万四千人のユダヤ人の霊は、ユダヤ教徒たちを荒野へと導き、神は、彼らを三年半の間、かくまい、養われるでしょう。その後、反キリストは神殿に立ち、ユダヤ人と残りの民(キリスト者)を殺戮します。

 

 悪魔に権威を与えられた反キリストと偽預言者とは、反キリストの像を拝む人々や反キリストの刻印を受ける人々を残して、反キリストの像を拝まない者やイエス・キリストの御名を告白して反キリストの刻印を拒む者を、みな、殺します。

 

 十四万四千人のユダヤ人の霊は、信仰を保ち続けて信仰の勝利者となる人たちを助け、彼らの信仰を支えることでしょう。

 こうして、キリストの花嫁(十四万四千人のユダヤ人)は、キリストの御霊の教会を完成させるのです。信仰の勝利者であるこの御霊の教会の人たちは、いのちの冠を受けます。

 

 反キリストの像を拝まず信仰に勝利した者たちや、反キリストの刻印を拒んで信仰に勝利した死者たちは、土に還って終わりの時を待ちます。

 彼らは、再臨のキリストがオリーブ山に立たれて、千年王国の幕が開ける時に、復活するでしょう。死者たちは甦るのです。彼らは、イスラエルの王であるキリストとともに、世界を治める王となります。

 

 反キリストの像の試みと反キリストの刻印の試みが完成し、信仰の勝利者たちの御霊の教会が完成すると、神は、十四万四千人のユダヤ人の霊を天に引き上げられます。

 そして、天では、子羊と花嫁の婚宴が行なわれるのです。

 

 その子羊の婚宴に招かれた人たちは、新しい天に住む人たちです。

 新しい天に住む人たちは、神の御霊に忠実な人たちです。死に至るまで忠実に神に仕えた神のしもべであり、キリストのしもべたちです。

 

 麒麟が現われる(十四万四千人のユダヤ人に生ける神の印が押される)と、異邦人の時が完成するでしょう。すなわち、御霊に忠実な人たちがキリスト教会からいなくなります。彼らは死に至るまで御霊の導きに聞き従い通したのです。また、御霊も引き上げられます。

 

 殉教者たちの墓は地面を開いて彼らを甦らせます。しかし、殉教者ではないユダヤ人の死者やキリスト者の死者の墓はそのままです。彼らは、夜が明けて千年王国が建つときに甦るのです。

 

 神の御霊に忠実な人たち、すなわち、御霊の器たちは、世からいなくなります。天に引き上げられたからです。

 聖霊は、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人とともにおられます。人々は、彼らのことばに聞き従うならば、救われるのです。真理の御霊が、彼らとともにおられるからです。彼らのことばは、真理であり、救いであり、永遠のいのちなのです。

 

 「異邦人の時」が完成して「ユダヤ人の時」が始まります。

 ユダヤ人の時に完成する「御霊の教会」のために、神は、神の子どもたちの御住まいである新しい地に、とこしえの住まいを設けられます。

 

 新しい天に、とこしえの住まいが設けられる御霊の教会、すなわち、子羊の婚宴に招かれる異邦人たちにとって、今年の桜、あるいは来年の桜は、桜の見納めの年となる可能性がありますね。