ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

隔ての壁を打ち壊したキリスト

 

 神は、全地にただ一つ、御自身の民をお持ちでした。

 神は、キリスト(世界を救う救世主)を生む民族を、御自身で造られたのです。

 

 神は、神を恐れる正しい人アブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。契約のしるしは、肉の割礼です。

 神の契約を持つアブラハムの子孫は、その契約を受け継ぐために、肉の割礼を受けます。肉の割礼が、神の契約の証だからです。

 

 神の契約とは、ユーフラテス川からナイル川までのカナンの地を所有し相続することと、あらゆる民族の祝福となる「人の子」を生むことでした。

 この「人の子」とは、人を騙して神のことばから引き離した「悪魔」を踏み砕く、女の子孫(アダムとエバの子)のことです。

 

 人類を救う女の子孫は、女から生まれる「人の子」です。肉体を持つ人です。

 しかし、人類を救う救世主は、人からは起こりません。なぜなら、人は神のことばから外れた罪人だからです。罪ある者がほかの者を救うことはできません。

 

 神のことばは言います。

 「なぜあなた(人)は、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁(建物の柱と柱とを接続する骨組みの、水平な部材〈木材〉)があるではありませんか。

 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:3-5)

 

 口語訳にはこうあります。

 「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」

 

 人類の中には、はっきりと見える「罪のない人」はひとりもいません。罪を一度も犯したことのない人はいないのです。

 それゆえ、神は、神のひとり子を、人類を救うキリストとして、世に遣わされました。しかし、神の御子の栄光の御姿で遣わされたのではありません。女から生まれる「人の子」として遣わされたのです。

 

 神は、神のひとり子を生む民族の父としてヤコブを選び、アブラハムの子イサクの子孫イスラエルと契約を結ばれました。

 神の民であるしるしは、神がイスラエルにお与えになった「律法」です。

 アブラハムの契約を受け継ぐイスラエルは、肉の割礼と神の律法を持つ民であり、神御自身に選ばれて神の祭司の国民として承認された、唯一の民族です。

 世界のあらゆる民族は、イスラエルによって祝福されるのです。

 

 イスラエルは、キリストを生む民族として造られ、育てられました。

 イスラエルがその役目を果たしたので、人類は、罪の呪いの死を滅ぼして、永遠のいのちを得させる「キリスト(救世主)」を地上に迎えることができました。

 

 父なる神に従順で、一度も罪を犯したことのない神の御子が、女から生まれる「人の子」となられて、人類の罪の贖いの血を流されました。

 神の子羊の贖いの血は、世の罪を取り除き、神の民イスラエルと無割礼の異邦人との間の、隔ての壁を打ち壊されたのです。

 

 「思い出してください。あなたがた(ユダヤ人以外の人々)は、以前は肉において異邦人でした。(契約のしるしのない民でした)すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々(イスラエル)からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリスト(永遠のいのちを得させる救世主の御救い)から離れ、イスラエルの国から除外され(御救いの契約を持たない異邦人であって)、(ユダヤ民族の)約束の契約については他国人であり(神の民イスラエルから除外された、カナンの地の相続の約束も、天の御国の相続の約束もない他国人であり)、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。(神の契約の外にある異邦人は、御救いの約束も御国の希望も持たず、生けるまことの神を知らない人たちであり、死と死後の裁きの定められた罪人でした)

 しかし、以前は遠く離れていたあなたがた(ヤコブの子孫ユダヤ人ではない異邦人)も、今では、(全能の神が御自身の民ユダヤ民族に遣わされた)キリスト・イエスの(御名の)中にあることにより、(ユダヤ人から出た)キリストの血によって(神の民イスラエルに)近い者とされたのです。

 (神が遣わされた救世主であるユダヤ人の王)キリストこそ私たち(人類)の平和であり、二つのもの(ユダヤ人と異邦人、またイスラエルと他国人)を一つ(キリストの贖いの血と、御霊の新しい創造にあって、同じ神の民)にし、隔ての壁(神の選びによる分離の壁)を打ち壊し、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(キリストは十字架の死において、あらゆる民族の罪を取り除いて神の御前に等しくし、選民ユダヤ人たちの異邦人を排除する罪、そして、イスラエルを妬みユダヤ人を憎む異邦人の罪を処罰されました)」(エペソ2:11-15)

 

 神は、ユダヤ人にお与えになった律法を、神の御子イエス・キリストにおいて完成されて、全人類に新しい律法をお与えになりました。あらゆる国、あらゆる民族にお与えになるキリストの律法です。

 キリストの律法を守る者は、どの国の人であろうとも、どの民族の人であろうとも、永遠のいのちを得させられ、天の御国を相続するのです。

 

 罪の贖いの血を流し、死から甦った神の子羊イエスは、聖霊のバプテスマを授けるキリストです。

 キリストは、神の子羊イエスを信じる人に、生かす御霊をお与えになります。罪人は、イエス・キリストを信じて義とせられ、生かす御霊を受けて御霊によって新しく生まれる(肉の意識を殺し、御霊の意識によって生きる新しい人に造り変えられる)のです。

 

 天の御国を相続する新しい人は、ユダヤ人も異邦人もありません。イスラエルも他国人もありません。一つの民、とこしえの神の家族とされるのです。

 

 「(キリストが授けられる真理の御霊は)二つのもの(ユダヤ人と異邦人)をご自身(キリストの御霊)において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだ(キリストのからだ)として、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ2:15,16)

 

 十字架において、ユダヤ人と異邦人との隔ての壁は打ち壊されました。

 もし、互いの間に争いがあるのなら、それは、キリストの創造される新しい人になっていないのです。

 

 互いの間に平和を持っていない者は、一つのからだになっていないのです。

 一つのからだ(キリストのからだ)になっていない者は、神との和解は実現できていません。なぜならば、神は、両者を一つのからだとして、神と和解させられるからです。

 十字架を信じても、両者との間に隔ての壁を持つのは、新しい人に造り変えられていないからです。

 

 キリストは隔ての壁を、十字架において打ち壊されました。それは、霊によって受け取る真理です。人には理解できません。真理の御霊によらなければ、理解できないのです。

 真理の御霊によって教えられる人は、ユダヤ人の敵とはなりません。イスラエルの敵とはなりません。キリストにあって一つの家族、神の家族だからです。

 

 御霊は、家族の為に執り成します。神の子どもたちを愛し、憐れまれる御父の御思いを知っておられるからです。

 御霊の御思いを知り、御霊の祈りをする者は、幸いです。