ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アブラハムの信仰の子孫

 

 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。

 神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)

 

 永遠のいのちの希望を持つ私たちは、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって、新しく造られた者です。

 

 女(母親)から生まれた肉の人であるとき、信仰も希望もありませんでした。変わらない愛を親に求め、状況や感情によって変わってしまう人の愛に翻弄されて、心は不安定で落ちつきません。

 汚れのない純真な魂は、本当の親を求めてさまよう迷子のようでした。私たちは、自分の居場所を探し続けたのです。それは、正直な魂の反応でした。

 

 世間ずれした大人になると、いつの間にか、心の深い所にある魂の抱える不思議な消失感を忘れ、普通の社会人として、自分の心を駆使することに慣れてゆきました。

 

 しかし、私たちの魂は、うめいていました。自分がどこから来てどこへ行くのかを知らず、手探りの心もとない人生を、どこに向かって進んでいるのか、早く気づくようにと、案じています。

 

 ほかの人のように普通に生活しているのに、心は満たされません。何かが足りていないのです。それが何かを知ろうとすることは、当てもない旅に出るような事に思えました。

 

 とうとう、何を信じたらよいのかを捜し求めました。心の中に、揺るぎのないものが必要だと感じたからです。心にぽっかり穴があいたような感覚は、時間が経つほどに深まっていくのです。

 

 私たちは神の作品であるのに、良い行ないをするものではありません。神に似せて造られたはずなのに、争う心があり、愛も希望も信仰もありません。

 

 妬み、裏切り、怒り、憎しみ、恨み、敵意、争いなど、平和な神の愛から遠く離れ暴虐に満ちた世に、生けるまことの神を恐れる正しい人ノアがいました。ノアには、神がわかったのです。

 

 神は、御自分を知る正しい人ノアとノアの家族を残して、暴虐に満ちた世を大水で滅ぼされました。

 暴虐の世は過ぎ去りました。神は、世を大水で洗い流して、暴虐に満ちた世を古いとして古く朽ちたものをすべて取り除き、神を恐れるノアとノアの家族から、世を再スタートされました。神は、世を新しくされたのです。

 

 しかし、水で押し流しただけでは、罪の性質は変わりません。しばらくすると、新しくされた世に置かれたノアの子ハムから、滅びの子が現われたのです。

 神を恐れるノアとは異なり、神を崇めず、人の主権で人を支配しようとする権力者二ムロデです。

 

 新しくされた世には、神を恐れる正しい人ノアとともに、神を恐れない邪悪な二ムロデがいました。人類の罪の根は深いのです。

 

 神は、ノアの子セムの子孫に、神を恐れる正しい人アブラハムを見いだされました。

 再び、悪がはびこる偶像の世界には、神を恐れる人アブラハムがいたのです。

 

 大水では人の心は変わることがなく、また、良心のきよめられることのない人類に、神は、次には火で滅ぼすことを定めておられます。

 神は、正しい人ノアとノアの家族を、大水の滅びから救い出されました。

 神は、正しい人アブラハムとアブラハムの子孫を、火の滅びから救い出すことを約束されました。

 

 神が認められる良い行ないとは、神を恐れ、神に聞き従う信仰です。人は、神に認められる信仰によって、神の御救いを受けるのです。

 

 神は、アブラハムの子孫を良いものに造り変えて、火の滅びから救おうと御計画されました。神は、アブラハムの子孫に、救い主を遣わすことを約束されました。

 神は、アブラハムの子孫イスラエルが良い行ないをするために、キリスト・イエスにあって、イスラエルを新しいものに造り変えられます。

 

 神は、まず、御自分のひとり子(永遠の昔から神の御子の栄光の御姿を持つ大いなる霊である神のことば)に肉体を造り、イスラエルの処女マリアの胎内に宿されました。

 神は、アブラハムの子孫イスラエルが良い行ないをするために、イスラエルの罪を、神の子羊イエスの血で贖われました。

 

 かつて、奴隷の家エジプトで苦しめられているイスラエルを救うために、神は、ユダヤ人のモーセを遣わされました。

 そして、アブラハムが仕えた全能の神は、子羊の血をかもいと二本の門柱に塗った家の中にいたイスラエル人を守り、子羊の血のしるしのないエジプト人の家々の初子を打って、神の選びを確かなものとされました。

 子羊の血は、罪が贖われた者のしるしでした。子羊の血のしるしのあるイスラエルは、子羊の血のしるしによって、神の裁きを過ぎ越されました。

 

 救い主を遣わすと、イスラエルに約束された神は、イスラエルに神の子羊を遣わして、罪の贖いの子羊の血をお与えになりました。

 

 出エジプトするときの神の命令は、子羊の血が塗られた家から外に出てはいけない。家の中に留まっていなさい、ということでした。もし、子羊の血の塗られた家から出る者があれば、たとい契約の民ユダヤ人であっても、御使いに打たれたことでしょう。

 御使いが家の中にはいって初子を打った家と、打つのを過ぎ越した家との見分けは、エジプト人かイスラエル人かではありません。

 子羊の血が塗られているか、塗られていないかどうかなのです。

 

 さて、神は、イスラエルに約束の救い主キリストを遣わされました。火の滅びから救い出してくださる救世主です。

 神は、裁きを過ぎ越す「神の子羊の血」をお与えになられたのです。

 神の子羊の血の中にはいる者は、裁きが過ぎ越されます。子羊イエス・キリストの血の、罪の贖いの約束の中に入らない者には、裁きが下ります。

 

 ユダヤ人だから裁きが過ぎ越され、異邦人だから裁かれるというのではありません。

 イエス・キリストの血の贖いを信じ、キリストを信じる者は、ユダヤ人と異邦人の区別なく、だれでも救われます。

 イエス・キリストの血の贖いを侮り、キリストを信じない者は、ユダヤ人であっても滅びます。

 

 罪を贖う神の子羊の血が流されると、イスラエルとの神の契約は古いとされました。もはや、神の律法によって神の民とされるのではないのです。

 キリストの血が、神の民と、滅びの子とを区別します。

 肉の割礼のしるしも、モーセの律法も古い、とされます。

 

 神は、火の滅びから救い出す神の民を、キリストの血によって聖別し、また、彼らが良い行ないをするために、キリスト・イエスにあって新しく造られる神の作品とされます。

 

 ノアも、アブラハムも、神を恐れる正しい人でした。

 神は、アブラハムの子孫が、アブラハムの信仰を受け継いで良い行ないに歩むようにと、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださいました。

 

 それは、神の御子イエス・キリストの血を信じて、御救いの信仰を受けるということです。キリストの血が、神の子どもとされる特権を持つ者のしるしなのです。

 

 また、神は、キリストを信じるひとり一人に、キリストの御霊【真理の御霊】を授けて、真理の御霊によってイエスのことばを思い起こさせ、真理を教え、御霊に聞き従う、という良い行ないをする人、すなわち、御霊によって新しく生まれる「新しい人」を創造されます。

 

 女から生まれた肉の人は、肉の性質をもって地に属する生き方をします。肉の性質は、天の事を学びません。

 御霊によって生まれた御霊の人は、天の神を「アバ、父。」と呼ぶ御霊によって、肉の性質を殺し、御霊の性質に造り変えられて、神に受け入れられる良い行ないを学び、神に従順なキリストに似た、新しい生き方をします。

 

 肉の性質は、大水ではきよめられませんでした。

 しかし、キリストの贖いの血は、私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とするのです。

 御霊は、火のバプテスマ(火の試み)によって、私たちを試み、忍耐と信仰と希望と愛とを与えて神の子どもに造り変えてくださいます。

 

 私たちは、信仰の結果である、魂の救いを得て、イエス・キリストを愛する愛と、信仰と希望に満ちるのです。

 

 御霊は、私たちに永遠のいのちを得させてくださいます。

 キリストの血によって、神の子どもとされる特権を受けた私たちは、御霊によって神の子どもとされるのです。

 

 「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分の魂の牧者であり監督者である方(神、すなわち魂の父)のもとに帰ったのです。」(ペテロ第一2:25)

 

 終わりの時には、御救いはキリスト教会の垣根を越えます。

 約ニ千年前、神の子羊イエスの血が流されて、ユダヤ教の垣根を越えて、御救いが異邦人にも及びました。神は、ユダヤ人の律法を古いとし、イエスのことば(新約聖書)を御救いとされました。

 人々は、イエスのことばを信じて、アブラハムの信仰の子孫とされるのです。

 

 終わりの時に、ふたりの証人が起こされると、キリスト教会の垣根を越えて、御救いが異教徒にも及ぶのでしょう。ふたりの証人も十四万四千人も聖書を知らない人たちです。神は、聖書によらず生ける御霊のみことば(十四万四千人のユダヤ人の宣教のことば)を御救いとされるのでしょう。

 人々は、宣教のことばを信じて、アブラハムの信仰の子孫とされるのです。

 

 神は、アブラハムの子孫を火の滅びから救い出すと、約束されています。

 アブラハムの血肉の子孫ユダヤ民族も、信仰によってイスラエルに加えられる人たちも、アブラハムの子孫なのです。