イエスは、弟子たちに言われました。
「あなたがたが他人のものに忠実でなかったら(人の社会にあって、他の人から任せられることに不誠実であったり、正しい心で生きていないのなら)だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。(世の中で、他者の益となることを望まず、自己中心で好き勝手に生きている者に、神は、その者に用意しておられる財産〈神の賜物〉を任せることはされません)
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、また一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富(自分自身の私腹を肥やす罪)にも仕えるということはできません。」(ルカ16:12,13)
イエスは、「イエスの弟子として生きるならば、永遠のいのちを得させてくださる神の御心に仕えなさい。人を喜ばせるため、また、自己満足のための働きではなく、神の働きをしなさい。」と言われました。
イエスは、御救いの契約を持つユダヤ人たちに言われました。
「なくなる食物のために(自分自身を生かすための労働)ではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために(神の御霊の分け与えられる御霊の賜物により神に仕え、神の栄光を現わすために)働きなさい。
それこそ、人の子(新しい創造のために神が遣わされ、人の子となられた神の御子イエス・キリスト)があなたがた(契約の民)に与えるものです。(とこしえの国を完成させるために、永遠のいのちを得させる神の御子イエス・キリストが、新しい契約の民にゆだねた働きです)
この人の子を父(イエスの父、すなわち、すべてのものの神であられる魂の父)すなわち(全能の)神が認証されたからです。(イエスのあかしを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのです。」(ヨハネ6:27)
天から来られたイエスは、すべてのものの上におられる方です。
永遠の昔から天におられた神のひとり子ナザレのイエスは、永遠の昔から、神を知っておられます。正真正銘の神の御子です。悪魔も悪霊どももそのことを知っています。
イエスは、天地万物の創造主、父なる神の栄光を見、また、父から聞いたことをあかしされた方です。
「この方(神の御子イエス・キリスト)は見たこと、聞いたことをあかしされるが、(地に属する人々は)だれもそのあかし(イエスの真実なあかし、すなわち、真理)を受け入れない。
そのあかし(天に属することば)を受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである。(神のことばをそのまま信じたのである)
神がお遣わしになった方(キリスト)は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。(キリストは真理を語り、いのちのパン〈キリストの肉とパン、すなわち、罪の赦しと贖いの血〉を与えて、信じる者に永遠のいのちを得させる真理の御霊を授けられる)
(魂の)父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。」(ヨハネ3:32ー35)
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい、と言われたイエスに、ユダヤ人たちは尋ねました。
「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」(ヨハネ6:28)
イエスは答えられました。
「あなたがたが、神が遣わした者(神の子羊イエス・キリスト)を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)
神が遣わされたキリストを信じることが、神のわざだと、イエスは言われました。
癒しや奇蹟を起こしたり、しるしを行なうことではありません。それは、神の賜物であり、御霊の働きです。
人が行なう神のわざは、神が遣わされた、神のことばを語る預言者(イエス・キリスト)を信じることです。
信じることは、幼子にもできます。病人や寝たきりの人、貧しい人、虐げられている人、年寄りにもできます。
神が遣わされたキリストを信じることは、神の誉れであり、喜びであり、安息であり、神の栄光です。神は、神の御子イエス・キリストによって、神を信じる者たちを見いだされます。神は、神の御子を信じる者に、神との和解と、神の愛、魂の喜びと平安とをお与えになります。
人は、神が遣わされたキリストを信じることで、神に義と認められるのです。
「さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。
イエスは(イエスのことばを信じない)彼らに言われた。
『あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、嫌われます。
律法と預言者はヨハネ(バプテスマのヨハネ)までです。(ユダヤ人の聖書は完成しました。聖書の預言は、神の子羊イエス・キリストにおいて成就したのです)それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。」(ルカ16:14-16)
神の国の福音だけがひとり歩きします。
イエスは言われました。
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12)
キリストの福音は、神の国の福音として世界に広がりました。真理のことば(神の御子イエス・キリストのことば)を信じず、真理を悟らない人たちは、「神の国」を自分たちで建て上げようとしました。
神のことば(神の御子イエス・キリストのことば)にへりくだらず、自分たちで成し遂げようとしたのです。
イエスの語った天の御国への憧れだけが、彼らの心に留まり、彼らは自分たちの理想を追いかけました。
彼らの打ち立てる天の御国は、悔い改めなくてよいのです。人はありのままで受け入れられ、愛の神はそのままで救ってくださるのです。
聖書の神から切り離され、人間が考える「天の御国」には、神の契約は存在しません。イスラエルは存在しません。ユダヤ人は存在しません。神も存在しません。
ただ、夢と希望にあふれ、人間の心を喜ばせる楽園です。
人は「天国」と呼び、また、「極楽」と呼びます。
罪の赦しや、神との和解や、永遠のいのちなど必要ありません。ぼんやりとしていますが、そこは確かに魂の安らぐ別天地なのです。求める者が入ることができます。求める者は、そこにはいるために、良い言動を心がけるからです。
キリストを持たない「天の御国」は、ひとり歩きしています。
人々から、その信仰の教祖として崇められ尊ばれている人間が、みずからの教理を教え、人々に希望の言葉を与えています。
彼らは、神を神としないで高ぶる者の滅びの道を進んでいる事を知りません。
こうして、神を知らない者、キリストを否定する者たちは、反キリストの霊(神の御子イエス・キリストが主権を持つ天の御国を否定する霊、また全能の神に敵対する霊)、反ユダヤの霊(神とキリストの御計画を破壊する霊)、反イスラエルの霊(神の民に敵対する霊、また神の民を滅ぼす霊)に従って、むなしい幻に望みを置いて救いを求めています。
さて、まことの神を信じる者にも、偽りの神を信じる者にも、終りの時が来ます。
神は、千年王国の時代になると、生き残っている者たちを集められます。
彼らが思い描いていたとおりの愛と喜びと平安に満ちた素晴らしい世界です。
イスラエルの王イエス・キリストの王座のある神の都には、いのちの木が生えています。
多くの人々は、神の都を目指します。そこには、永遠のいのちを得させるという、いのちの木の実がなっているからです。
いのちの木の実を食べるならば、永遠のいのちを得て、天の御国にはいると言われています。
しかし、都の中に入る者は、「いのちの書」に名前が記されていなければなりません。
「いのちの書」には、神が遣わされた神の子羊イエスの血によって罪が贖われて、神に義とされた者たちの名が書かれているのです。
罪の贖われていない者は、聖なる都の中に入ることはできません。
「いのちの書」に名前の書かれている者たちは、反キリストの霊によっても、反ユダヤの霊によっても、反イスラエルの霊によっても汚されていない人たちです。
もし、その影響を受けていても、悔い改める者は、罪が赦されて、義とされるのです。
天の御国は、悔い改めのない者がはいる国ではありません。
千年王国は、天の御国ではありません。
キリストが治められる地上の千年間は、天の御国にはいるのにふさわしい者たちを定める「仮庵の時代」です。
神は、千年王国の時代に、都に入ってキリストを拝し、いのちの木の実を食べて永遠のいのちを得る「御霊の教会」を完成されます。
千年王国の時代に、多くの人々が招かれます。しかし、悔い改めの心を持たない者たちは放り出されます。
裁き主であられる生けるまことの神は彼らに言われます。
「あなたは、どうして礼服を着ないで(自分の不義と不信仰を悔い改めて、神の御子をほめたたえる新しい心を持つことなく)、ここ(千年王国)にはいって来たのですか。」(マタイ22:12)
彼らは、火で焼かれるためにとって置かれた獣の国、すなわち、四方の国であるゴグとマゴグで暮らします。
だれもが天の御国に入りたいと切に願っており、だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。
反キリストの霊、反ユダヤの霊、反イスラエルの霊に従っている人たちでさえ、これを得ようと、激しく攻め、キリスト者たちから、ユダヤ人たちから、神の民から、奪い取っているのです。
ユダヤ人たちも、キリスト者たちも、イエス・キリストの御霊によらないで、天の御国にはいることができると、偽りを信じさせられています。
永遠のいのちを持たない者が、どうして、天の御国にはいることができるのでしょうか。天の御国は、とこしえの国です。とこしえの国にはいる者には、とこしえに生きる「永遠のいのち」が必要なのです。御霊に新しく創造された「新しい人」たちです。
キリスト教会にはいった反ユダヤ主義、反イスラエル主義は、神の御子イエス・キリストを「主」と告白するキリスト者たちの「永遠のいのち」を奪って、悪魔の子に造り変えています。