ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神と人との仲介者

 

 「神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

 キリストは、すべての人の(罪の)贖いの代価として、ご自身(のいのち)をお与えになりました。」(テモテ第一2:5,6)

 

 輝く大天使であったルシファーが、天で神に仕えていた時から、神はおひとりでした。御座におられる輝きに満ちたお方(いのちの根源であられる「父なる神」)と、全き光の天に満ち満ちた神の霊であられる「聖霊」と、神のことばであられる「神のひとり子」とが、「われわれ」と仰せられる、唯一の神です。

 御使いたちは、いのちの根源であられる全能の神、唯一の神に仕えていました。

 

 天使長ルシファーは、神格を持たれる神のひとり子に妬みを持ち、神格者よりも高いものになろうとする背きの心を抱くと、神に敵対する者に変貌していきました。

 荒ぶるルシファーの心は、もはや止めることができません。

 

 天使長ルシファーが統率する天使の集団は、天使長に従って神に反逆する集団と化してしまいました。

 

 神は、彼らを、天から追放されました。天の秩序を乱す者たちに、天に居場所はありません。

 彼らは、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた堕天使たちです。全き光の汚点です。

 神は、闇を造られました。彼らは、天から追放されて、闇の王者となりました。

 

 神の栄光を鏡のように映し出していた天使長ルシファーは、恐ろしい姿の悪魔となりました。

 堕天使長に従った堕天使たちは、悪魔に従う悪霊どもとなりました。

 

 堕天使長に統率されていた者の中には、悪霊になりたくない者が大勢いました。ある天使たちは事の重大さを悟ってすぐに、神に助けを求めると、神に助けられて、神に完全に聞き従う四つの生き物の姿に変えられたのではないかと思います。

 もはや、一人一人の天使ではなく、大勢の天使がひとかたまりの生き物とされたように思います。四つの生き物には、多くの目があります。それは、その生き物に代えられた天使たちの目だと思います。

 四つの生き物には、もはや自由はありません。ただ、神の御前で、神に感謝し、神の恵みの偉大さをほめたたえるのです。彼らの心には、混じり気がありません。彼らは、全き光の天、神の御座の前にいます。

 

 天から追放された堕天使たちの中で、悪霊にならなかった堕天使たちのために、神は、闇の中に、天体を造られたように思います。

 

 神は、神に反逆する悪魔と悪霊どものために、裁きを定めておられます。

 悪霊ではない堕天使たちの存在は、全き光でもなく、全き闇でもありません。

 

 全き光ではない堕天使は、神の御座のある全き光の中に戻ることはできません。

 全き闇ではない堕天使は、悪魔と悪霊どもの闇のものでもありません。

 

 闇を裁くためには、全き光の存在と全き闇の存在とを、はっきりと分けなければなりません。

 愛と憐みの神は、全き闇ではない者に、悪魔と同じ裁きを与えることはされません。

 神は、闇に天体を造られました。堕天使たちのためでしょう。

 

 そして、最後に、堕天使たちをふるいにかけて、光の子と闇の子に仕分けるための星(地球)を造られたのでしょう。

 

 神は、エデンの園を設けて、そこには、光の子が食べる「いのちの木」と、闇の子が食べる「善悪を知る知識の木」のニ本の木を生えさせられました。

 

 天の御国にはいるのにふさわしい光の子は、いのちの木の実を食べて「永遠のいのち」を得ます。

 天の御国にはいるのにふさわしくない闇の子は、善悪を知る知識の木の実を食べて「永遠の死」を得るのです。

 

 神は、エデンの園を管理する者として、父なる神、子なる神、聖霊の神の交わりの中にはいり神のことばである神のひとり子とともにある者として、「人」を造られました。

 

 しかし、いのちの木と、善悪を知る知識の木のあるエデンの園の管理者である「人」は、悪魔のことばに従って、みずから、闇の子の食べ物である善悪を知る知識の木の実を食べて、闇の子(原罪を持つ罪のある人)となってしまい、悪魔に捕らえられました。

 

 堕天使たちの救いどころではありません。神のことばとひとつであった「人」が、悪魔に捕らえられてしまったのです。

 

 神は、悪魔に捕らえられた罪人を救い出すために、神の祭司の国民として選んだイスラエルに、「人の子」(悪魔を踏み砕く人の子となられた神のひとり子)を遣わされました。

 

 「神のことば」である神のひとり子は、「人の子」となって、世に来られました。

 「人の子」(神の御子イエス・キリスト)を信じる人は、神のことばを信じる人です。神のことばを信じる人は、悪魔の言葉に従って善悪を知る知識の木の実を食べた罪が取り除かれて、再び、神のことばにつぎ合わされます。

 

 「人の子」(ダビデの町ベツレヘムで生まれ、ナザレの村で育ったナザレのイエス)は、使命を持って、この世に来られました。

 闇に捕えられた人の、罪の報酬である「死」を、ご自分の身に負って、罪人の身代わりとなることです。

 神の御子イエスは、罪人の罪を贖うために、罪の贖いの血を流す「生贄の子羊」となられました。

 

 神に従順で一度も罪を犯されなかった全き「人の子」の血は、全き光の天に受け入れられる聖い血です。聖なる全き血です。

 「人の子」は、罪人を永遠の死から救い出す、唯一のキリストです。

 

 キリストは、十字架でご自分の血を流されて、世の罪を取り除き、悪魔の縄目と死の呪いとを打ち砕かれました。

 キリストは、神の子羊イエスの血によって、罪人の魂を悪魔から買い戻されました。キリストが買い戻した魂に、悪魔は触れることができません。

 

 罪を贖って、罪の呪いである「死」に勝利したキリストは、死から甦られました。聖霊により、復活のからだをいただいた神の子羊イエスは、永遠に生きるキリストとなられました。

 キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を持つ救世主です。

 

 復活のからだで弟子たちにお会いになって、聖霊を受けるようにお命じになると、弟子たちが見ている間に天に上り、ご自分を地に遣わされた父のもとへと帰られたのです。

 

 キリストは、全き聖なる血である「神の子羊イエスの贖いの血」を携えて天の聖所に入り、神と人との仲介者の務めをしておられます。

 

 父のみもとに行くイエスは、弟子たちに言われました。

 「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。(神の御子イエス・キリストの名によって神に願うことは、父の喜びです。そして、キリストを遣わされた父は、イエス・キリストを信じる弟子たちの信仰に満足されます。父は、彼らの信仰によって栄光をお受けになるのです)

 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:13,14)

 

 旧約時代、レビ族の大祭司が、民の代表として、年に一度至聖所にはいって神の御前に立ちました。神に召された者だけが、神の御前に立つことを許されたからです。

 召されていない者は、ただちに神に打たれて死んでしまいます。人は、自分のおるべき領域を超えてはならないのです。

 

 十字架で罪の贖いの血を流された神の子羊イエスは、死に勝利して、死から甦り、復活の新しいからだで、天に上られました。

 神の子羊の罪の贖いの血を携えて天に上ったイエスは、まことの聖所で神に仕える「とこしえの大祭司」となられました。

 

 「私たちの大祭司は天におられる大能者(全能の神)の御座の右に着座された方であり、人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所(天の聖所)で仕えておられる方です。」(へブル8:1,2)

 

 「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。

 キリストはいつも生きていて、彼ら(イエス・キリストの御名によって神に祈る人たち)のために、執り成しをしておられるからです。

 このように、きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」(へブル7:24-26)

 

 「キリストは、(レビ族の大祭司よりも)さらにすぐれた務めを得られました。それは彼(キリスト)が、さらにすぐれた約束(永遠のいのちを得させる心の割礼と御霊の律法)に基づいて制定された、さらにすぐれた契約(キリストがお与えになる聖霊によって「新しい人」に造り変えられ、永遠のいのちを得させられる神の子ども)の仲介者であるからです。」(へブル8:6)

 

 とこしえの大祭司となられたキリストは、イエス・キリストの弟子たちを、地上の祭司とされます。

 レビ族が神の務めをする旧約の時代は完了しました。新しい契約の時代にはいったのです。

 

 ユダ族から出られたキリストが、天のまことの聖所で仕える大祭司となられました。そして、ご自分(イエス・キリスト)の名によって神に祈るキリスト者たちを、地上の祭司として任命しておられます。

 

 「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって(イエスご自身の血を流すことによって)私たちを罪(死の呪いを持つ罪)から解き放ち、また、(イエス・キリストを信じる)私たちを(キリストの)王国とし、ご自分の父である神(イエスの父であり、天の御座に着座しておられる生けるまことの神)のために(地上の)祭司としてくださった方である。」(黙示録1:5,6)

 

 神と人との仲介者は、永遠に生きておられる神の子羊イエス・キリストであり、また、キリストは、ご自分の民(キリスト者)を地上で神に執り成す祭司とされました。

 

 私たちは、地上の祭司としての務めをいただいています。

 イエス・キリストの御名によって祈る祈りは、父に受け入れられるからです。

 そして、私たちが神と人との仲介者として、執り成す務めを果たして、罪人たちが救われることを望んでおられます。

 

 「神は、すべての人が(神が遣わされた救世主である、神の御子イエス・キリストを信じて)救われて、真理(イエスを信じて「義」とせられ、キリストが授ける真理の御霊を受けて「永遠のいのち」を得させられる、という神の御救い)を知るようになるのを望んでおられます。」(テモテ第一2:4)