2013年2月13日に書かれた「聖マラキの予言とファティマの第三の予言」という滝沢さんのブログを見つけました。
ベネディクト16世が退位を発表されたときに書かれたもののようです。
カトリックには、1100年頃にアイルランド出身のカトリック聖職者の聖マラキによって書かれた「聖マラキの予言」というものがあるそうです。
「聖マラキの予言」には、その当時の法王から歴代のローマ法王の氏名を特定する簡単な情報が書かれており、最後の112人目までのローマ法王のことが予言されているそうで、驚くことに111人すべてを当てているそうです。
112人目のローマ法王が「最後の法王」となっていて、112人目の法王については、次のように書かれているそうです。
「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。ローマ人ペトロ、彼はさまざまな苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」
先日死去されたローマ教皇が112人目のローマ法王だったようです。2013年から2025年の間、務められました。
112人目のローマ法王ですが、彼はアルゼンチン出身者であり、ローマ人ペトロではありません。
「七つの丘の町」は一般的にローマをさすと解釈されており、ローマ法王庁の崩壊が起こるのでは、と筆者は書いています。
109番目のヨハネ・パウロ1世は、即位後33日で亡くなっているそうです。彼は正しい人で、闇側におらず闇に乗っ取られた教会を変えようと考え、不正を正そうとしたための暗殺ではないのかと考えられているようです。
110番目のヨハネ・パウロ2世は、1738年以来「フリーメイソン及び類似の組織に加盟した信者は自動的に破門」という、カトリック内のルールを、1983年に新教会法の条項から削る、闇の側の人間でした。
この頃から、世の終わりに向けての体制が加速化したのでしょう。
111番目のベネディクト16世は、闇の組織の操り人形であり、聖母マリアのファティマの第三の予言を隠し、嘘をついて信者たちを騙しました。
112番目の法王は、やはり、操り人形であり、最後のペトロです。
ひとりの若い預言者がユダからべテルに来て、香をたくために祭壇のそばに立っている北イスラエル王国のヤロブアム王の前で、神の命令によって祭壇に向かって預言しました。
「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえ(祭壇)の上で香をたく高き所の祭司たち(偶像礼拝をする祭司たち)を生贄としておまえ(祭壇)の上にささげ、人の骨がおまえ(祭壇)の上で焼かれる。」(列王記第一13:2)
ヨシヤ王が生まれる百五十年も前に、預言されました。神は、そのことばどおり、南ユダ王国のダビデの家にヨシヤを生み、王とされました。
なんと、神は後に現われる王ヨシヤの名前をご存じでした。
「聖マラキの予言」で112番目までの歴代の法王のことを知らせたのは、神の霊だったのでしょう。
ヨシヤ王は、神を恐れる正しい人で、偶像礼拝の罪によって神の怒りを買っているイスラエルの回復のために(イスラエルを神に立ち返らせるために)、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、「主の宮で発見された契約の書」にしるされている契約のことばを実行することを誓うと、民もみな、この契約に加わりました。
そして、かつて若い預言者が預言したとおり、べテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの造った高き所(偶像を礼拝する所)を壊し、その祭壇も壊しました。
ヨシヤは、偶像礼拝をした祭司たちの墓から彼らの骨を取り出して、その祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとしました。
「ファティマの予言」はローマ法王庁に厳重に保管されており、ローマ法王以外の人は、その内容を見ることはできないそうですが、108番目のパウロ6世は、「ファティマの第三の予言」を見たとき、その恐ろしい内容にその場で卒倒したそうです。
112番目の故フランシスコ教皇は、「ファティマの第3の予言」を見て、心を律されたのではないかと思います。
「第1の予言」は、当時起こっていた第一次世界大戦の終結を告げました。
「第2の予言」は、第二次世界大戦の勃発と、広島・長崎の原爆投下についての内容です。
「第3の予言」は、第三次世界大戦のことではないのかと、私は考えます。
「第3の予言」に関しては、予言を理解しやすい環境になる1960年まで、公表を待つように、とあったようです。
しかし、1960年を過ぎても、「第3の予言」が明らかにされることはありませんでした。
ローマ法王にとって、また、カトリックにとって、大変都合の悪いことが預言されていたのでしょう。
フランシスコ法王は、112番目の法王ですが、つなぎの人だったのかも知れません。自分が「聖マラキの予言」に書かれた最後の法王になりたくないと、心を入れ替えたので、時が伸ばされたのかも知れません。
あるいは、キリスト教の最後のローマ法王だったのかも知れません。
私なりに解釈してみました。
私は、黙示録17章の「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」のことを、バチカンであり、カトリックであると考えていますので、終わりの時、この教会が反キリストによって滅ぼされることを預言しているのではないのかと思います。
フランシスコ教皇は、「平和と寛容」を掲げていたようです。しかし、その内容は人道的なものでした。
聖書の教えに立つ保守派の人たちからは受け入れられないような広い道を教会内に築いて、清濁の壁を取り除くための穴をあけたようです。
次に立つローマ法王が、本当の最後の法王なのでしょう。彼こそが、「聖マラキの予言」に書かれた112人目のローマ法王でしょう。カトリックを終わらせる法王でしょう。112番目のローマ法王で「終わり」なのですから。
反キリストは、第三次世界大戦において、現われると思います。
第一次世界大戦で、最後の帝国オスマン帝国が衰退し、第二次世界大戦で、ダニエル書七章に預言されている「第一の獣の獅子の国」が現われました。
「帝国主義の世界」の時代から、アメリカ、ロシア、中国、反キリストの国の「四つの獣の国の世界」の時代が開かれたのです。
カトリックは、フランシスコ法王の時代により人道的平和主義に寄った教会へと、信者たちの意識が向けられたように思います。
聖書の真理を求める人たちは、カトリックから離れて行くことでしょう。
最後のローマ法王は、ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座することが、「聖マラキの予言」で予言しています。
最後のローマ法王は、神に忠実な人や聖書に土台を置く保守派を敵視する人かも知れません。彼が立つことで、ヨハネ・パウロ1世のような殉教者が起こるのかもしれません。
ローマ人ペトロと呼ばれるその人は、今までなかった道を開き、反対者たちの抵抗を受け、整った体制ではないところから、信者たちを導くのかもしれません。
そして、七つの丘、すなわち、キリストのからだを構成する「七つの御霊の教会」がすべていなくなると、すなわち、目を覚ました信者たち(良い麦)は教会からいなくなり、カトリック教会に留まる人たちのうちから御霊がいなくなると、教会は殻の集まりとなります。
「最後の法王」が、第三次大戦によって出現する指導者に協力して、その指導者を平和の指導者として、世界の国々が受け入れる助けをすると思われます。
人道主義の群れとなったカトリック教会は、喜んで、ローマ教皇を仰ぎ、一つ心となってその指導者を支持することでしょう。カトリックが支持するその指導者こそが、「反キリスト」です。
カトリックは、もはやキリストのからだではありません。人道主義の群れは、偽りの平和の道を進んでゆきます。
七つの悪い霊が入り込んでそこに住みついているのです。すなわち、カトリック教会には御霊の教会(永遠のいのちを得るとこしえのキリストのからだの人たち)は存在しなくなったのです。
死んだ教会となります。キリストのいのちはありません。死からの復活はないのです。
七つの丘の町は崩壊し、七つの御霊の教会の信仰の勝利者はひとりもいません。すべてが悪い者となったとき、すなわち、永遠のいのちを得る者がだれひとり残っていない教会に、反キリストの刃が向けられます。
「あなた(ヨハネ)が見た十本の角(反キリストの国の十人の王)と、あの獣(反キリスト)とは、その淫婦(キリストの名を持つバチカン)を憎み、彼女(カトリック教会)を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。
それは、神が、みことばの成就するときまで、神の御心を行なう思いを彼ら(反キリストと十人の王)の心に起こさせ、彼ら(十人)が心を一つにして、その支配権を獣(反キリスト)に与えるようにされたからです。」(黙示録17:16,17)
反キリストがカトリック教会を滅ぼすことは、神の御心のようです。神が、反キリストによって、教会を崩壊させられます。神は、反キリストの治める十の国の王たち(ムスリム)が心を一つにして、反キリストに仕えるようにされるからです。
そのことは、「ユダヤ人の時」にはいって、ふたりの証人の三年半の預言の期間が終わり、反キリストがふたりの証人を殺した後に起こることです。
2025年に、最後の法王が立つ見込みです。
2026年に、サグラダ・ファミリアが完成予定の見込みです。
本当に、終わりの時は、近づいていますね。