昨日、東海道新幹線が停電のためにストップするという事が起きました。岐阜羽島ー米原間で停電が発生したようです。
停電の原因は、蛇だったようです。
岐阜県大垣市の線路内で蛇が死んでいるのが見つかっており、列車に電気を送る架線にこの蛇が接触してショートし、停電が発生した模様です。
聖書の中では、蛇は悪魔の象徴です。
それゆえ、竜とか蛇と聞くと、悪魔を連想してしまいます。
現在、日本では大阪・関西万博が行なわれており、都市伝説では闇の勢力の妨害など、呪い的なことが噂されていたので、不安な思いがありました。
大阪・関西万博の名誉総裁に秋篠宮が就任されていることもあって、何か悪い事にならなければよいが⋯と心配もしました。
しかし、大阪・関西万博の開催式に、天皇、皇后両陛下が御出席されたことで安堵しました。霊的な守りが置かれたように感じました。
日本国と世界の平和を執り成す日本の大祭司(天皇)の祈りが置かれたのです。守りがあると思いました。
万博が始まってから、大阪や関西では、交通機関の不具合が多発しています。さまざまなアクシデントがありますが、昨日の停電の原因の蛇が死んだ件で、やっぱり、悪霊どもが忙しく働いているのだ。しかし、神の守りがあって、光の御使いが、悪しき霊の攻撃から守ってくれているのだ、と思いました。
日本人が覚醒し、感謝と喜びに満ち、朗らかな心でいるようです。彼らは、光の子らで、彼らの祈りに、闇の力が弱っている状態のように思います。
光の子らの祈りは、自分たちが考えている以上に力があります。
三十年以上前の日本は、日本列島が闇の雲に覆われていると言われていました。それゆえ、日本の上空に来ると、気分がすぐれず、気が滅入るようだ、と宣教師たちが言うのを聞いたことがあります。
しかし、近年覚醒した日本人たちの祈りが積み上がり、今では、神の御臨在を感じる地となっています。
キリスト教徒だけではありません。神道、仏教、スピリチュアルな人々、目に見えないものを信じ、霊的な感覚が目覚めた日本人たちにより、各地にそれぞれの祈りを積み上げています。
宗教の枠を超えて、日本人が日本人であることを感謝し、日本国のために祈り、すべての事柄において目に見えない存在を認めて、目に見えないいのちと一つとなるような感覚を体感し、眠っていた魂が目覚めて来ています。
彼らは、永遠のいのちを得る候補者たちです。「いのちの書」に名前の記される人たちだと思います。
光を求め、希望と感謝の心を育む日本人は、朗らかな心となっていることでしょう。朗らかな心は、光を放ち、闇を追いやっていきます。
日本列島は、三十年前の霊の陰った日本ではありません。経済的豊かさの勢いを失い、心も消沈し未来に希望が持てなくなった、心許ない日本人ではありません。
経済的な発展が頭打ちになったのなら、今あるもので節約して生きてゆけばよい。贅沢なものから心が離れ、日々の暮らしの中に喜びを見い出します。
忘れていた、日本人の質素だけど心豊かな暮らしが息を吹き返します。そして、有るものの中で暮らす知恵が芽生えます。
お金がなければ、一所懸命知恵を使います。知恵によって、お金を使わなくても楽しい暮らしを会得していきます。
経済が落ち込んだと言っても、日本の国内総生産(GDP)は、世界で4位です。中国に抜かれた、ドイツに抜かれたと言っても、196か国あると言われている世界の国々の中で、4位ならば、貧しい国とは言えません。
ウォシュレット(温水洗浄便座)の普及率は80%と言われている日本国の生活水準は低いとは言えません。
しかし、日本人の意識は低いものです。高度成長期を過ごした昭和半ば世代までの人は、電化製品が揃っていない生活を幼い頃経験しているので、子どもの頃と比較すると、やはり日本は豊かになったと思いますが、若い人たちは生まれた時から、冷蔵庫、洗濯機、空調機、テレビ、車などの便利なものに囲まれた家に育っている人が多いので、それらのものを自分で揃えようとなると、とても無理と思い、日本は貧しいという意識が根強いように思います。
経済的な発展のわくわくを通り過ぎた現在、私たちは達観したかのように、精神的な豊かさに価値を見出すようになりました。
物に囲まれていながら、もっともっとと物を求めた時代。
しかし、今では、物に囲まれている豊かさではなくて心の豊かさの中に、精神的満足があることに気づき始めました。
慌ただしかった生活は、パンデミックによってリセットされました。自分の心のうちで問答する機会が訪れたのです。
必要と思っていたことが、なくてはならないものではないことに気づきました。家の中に閉じこもる不安から、家の中にいる安心が顔を出し、自分自身を見つめる時間となりました。心のゆとりがとても大切な宝に思えるように変わって来ました。
そして、忘れていた日本人の持っていた自然と調和する安らぎが魂を徐々に満たし始めました。
日々の生活の中に、自分を生かし、魂の喜びを与えるものを探るようになりました。身近な所にありました。自分の意識を変えれば、実は喜びは満ちていたのです。気づかなかっただけで、魂の安らぎと喜びは、身近な所に潜んでいました。
花を見る。星を見る。月を見る。鳥の声に耳を傾ける。季節の移り変わりを知る。生きている実感を味わいます。
生きていること、このいのちに喜びがあったのです。感謝があったのです。感謝の心が芽生えると、心にゆとりが出てきます。優しい気持ちになります。
自分の中に芽生える優しい気持ちが、自分自身の渇きを癒します。生きていることに喜びを感じると、環境を受け入れる愛がどこからかやって来ます。
すべて良いのです。足りないと思っていたことさえ、許せます。もう少し、頑張ってみようかと、自分を信頼します。
自分自身との和解が、自由にします。光の子らは、自分自身を縛りません。感謝と喜びによって自由です。愛が取り囲んでいる感覚を味わうのです。
そのような解放を味わう人たちは、他者の為に祈ります。
今、日本列島は、感謝をささげる人、祝福を祈る人、きよくなることを求める人、神に近づく人たちが増えているのでしょう。
彼らの存在は、闇の力を追いやります。
彼らの祈りは、闇の力を打ち負かします。
蛇は死にました。感謝と喜びと、自分を受け入れ愛する愛と、自然との調和、朗らかな心は、日本列島における闇の力を働きづらくしているのです。
1970年の大阪万博は、小学校の修学旅行で行きました。
大人の人がみな、にこにこ幸せそうだったのを思い出します。夢がありました。希望がありました。明るい未来がありました。
大人たちは、声をあげて笑っていました。みんなが笑っていました。昭和時代、平和で幸せでした。
大阪・関西万博で、みんなが未來を信じ、喜びと希望で満ちますように。楽しみと安らぎがありますように。そして、未来を思うとき、永遠への思いが目覚めますように。
まことの希望の光がひとりひとりを照らしますように。
喜びの光、希望の光に照らされた人々の思いに、日本に満ちておられる生ける神の霊が触れてくださり、いのちの喜びを味わい、永遠を思う思いが注がれて、いのちの根源へと思いが向けられますように。
「起きよ。光を放て。
あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
見よ。闇が地をおおい、暗闇が諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」(イザヤ60:1-3)