ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の存在を消すグローバル社会

 

 天に届くほど高くしたいという思いの、世界初の権力者二ムロデの建て始めた天に届く塔は、神の制裁が入って、言葉の混乱のために、中止となりました。

 それは、アブラハムが生まれる以前の出来事です。

 アブラハムの先祖ペレグの時代の事でした。「ペレグ」の名前の意味は、「分ける」です。神は、ノアの子セムの子孫ペレグの時代に、ひとつの言葉を様々な言語に分け、そして、民族を形成する様々な氏族に分け、人々を全地に散らされました。そして、それぞれの国が形成されたのです。

 

 神は、ノアとノアの家族を洪水から救い出して、暴虐に満ちた世を滅ぼされました。悪がはびこり、心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾いていた人類は、大水によって、地上から取り去られました。

 

 しかし、思い出して見ましょう。神が造られた天体、宇宙の闇には、神が天から追放された堕天使たちがいます。

 悪魔も、悪霊どもも、相変わらず神に敵対する者として存在し続けています。

 

 悪魔は、エデンの園で、蛇にことばを授けて、エバを騙しました。人は、神に禁じられていた「神のように賢くなるという善悪を知る知識の木の実」を取って食べて、死ぬ者となって、エデンの園から追放されました。

 

 神は、善悪を知る知識の木の詳細については、アダムに告げておられませんでした。ただ、「善悪を知る知識の木の実は取って食べてはならない。」とだけ、命じておられました。その理由は、「善悪を知る知識の木の実を食べるその時、人は必ず死ぬ。」からでした。

 

 神は、人に命じられるとき、禁止事項の命令とともに、それを破った時に負わなければならない刑罰について語られます。

 神のことばへの従順には神の祝福を、神のことばに背く不従順には神の呪いを。

 神のことばは、神御自身です。神は、神に聞き従う者を義とされます。しかし、神に聞き従わない者を不義とされます。

 

 「義」は神とともにあり、「不義」は神に逆らう悪魔とともにあります。

 義は「いのち」であり、不義は「死」です。

 

 神の命令には、神の守りと祝福と平安の約束が伴っています。神の命令を破ることは、神の守りから外れて呪いとわざわいを身に被ることとなります。

 

 善悪を知る知識の木の実を食べてはならないことをアダムは聞いていました。それを食べる時、必ず死ぬことも聞いていました。

 

 しかし、善悪を知る知識の木の実を食べる時、目が開かれて神のようになり善悪を知るようになることは、聞いていませんでした。新しい教えです。

 また、蛇は、善悪を知る知識の木の実を食べても、決して死なない、と言い切るのです。

 

 蛇の背後には、全能の神、主に敵対する悪魔がいました。神に反逆する者、神の創造を破壊し荒らす者です。

 

 天使長ルシファーは心の中で言いました。

 「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方(全能の神)のようになろう。」(イザヤ14:13,14)

 天に上ろう、神のように高くなろうと考えた天使長は、天から追放されて、闇の王者悪魔となりました。

 

 大水で世が滅んでも、悪魔は存在しています。悪魔は霊的な存在だからです。現象が消滅しても、肉体を持たない霊の存在は存在し続けるのです。

 

 悪魔は、蛇に言葉を授けて、人を騙し、死に追いやりました。

 悪魔は、二ムロデに、悪魔の知識と知恵を与えたのでしょうか。

 天に届く塔を建てようという、二ムロデの思いは、悪魔から出たもののようです。しかし、神が、二ムロデの仕業を止められました。

 

 二ムロデは、地上で最初の権力者となりました。地上で初ということは、大水で流された暴虐に満ちた世には、権力者はいなかったということになります。

 善悪を知る知識の木の実を食べて、霊に死んで、神に逆らう者となった人間の生まれつきの性質は、悪に傾くものとなりました。

 作物が育つのを妨げて土地を塞ぐいばらのように、種を蒔かなくても、すなわち、悪の権力者がいなくても、人間の心に計る事は悪いことに傾き、みずから、悪のはびこる死人となったのです。

 

 二ムロデのもくろみは失敗に終わり、一つことば、一つ思いとなった人々は、全地に散らされました。

 

 神は、悪のはびこる人々の間に、一つの「義」を見い出されました。神を恐れる正しい人アブラハムです。

 二ムロデの時代に、「分ける」と言う意味の「ペレグ」がいました。ペレグは、この時代に、神が地を分けられることのしるしであったのかも知れません。

 ペレグは、父祖ノアが大水から救い出してくださった全能の神を「セムの神」と呼んだ、そのセムの子孫です。

 そして、アブラハムは、ペレグの子孫として生まれています。

 

 様々な言語、様々な民族、様々な国に分かれた人類は、互いに争い、盛衰をくり返しながら、歴史を紡いで来ました。

 

 神は、アブラハムの子孫イスラエルと契約を結び、神の祭司の国民ユダヤ民族のうちに、神のひとり子を遣わされました。神の子羊イエス・キリストです。

 神は、ダビデの子、イエス・キリストの血によって、世の罪を取り除き、罪の赦しと、罪の呪いの死からの解放を告げられました。

 

 キリストは、善悪を知る知識の木の実を食べた人類の罪、その罪の報酬の死を取り除いてくださいました。キリストの御救いを信じて、キリストの贖いの血を受け取る者は、罪が贖われ罪が赦された者として、いのちの木の実を食べる恵みをいただきます。

 永遠のいのちにふさわしいと認められた者(聖霊を受ける信仰のある者)は、神が遣わされた真理の御霊を受け、御霊の住まいとなります。御霊は、キリストがお与えになる生かす御霊です。一度死んでも、死から甦らせ、永遠のいのちを得させる聖霊です。

 

 ダニエル書に書かれた帝国主義時代は過ぎ去りました。第二次世界大戦後、四つの獣の時代に突入しました。

 

 キリストへの忠誠をもって建国されたが、後になって人間の心をもって、世界に人道主義と物質主義をもたらしたアメリカが、世界に影響力を持ちました。

 次に、自分の周囲の小国の国々を自分の所有とするロシアが立つでしょう。崩壊したはずのソビエト連邦の威厳を取り戻すかのようです。

 そして、世界の覇権を手中に収めようと画策する中国共産党が、自国基準の法で世界を統一しようとするのかも知れません。神が、そのことを許されたからです。アメリカもロシアも持つことのなかった主権を握るのかも知れません。その期間は長くはありませんが、中国の支配によって、世界にテクノロジーによる管理システムが張り巡らされるでしょう。

 

 中国の強い指導者が亡くなると、世界統一のかたちを継続したまま世界を治めようとする国と戦うために、第三次世界大戦へと突入するでしょう。

 第三次世界大戦で勝利するムスリムの国々が、イスラム国を建て上げるのかも知れません。荒廃した世界は、宗教の垣根も、人種の垣根も、民族や国の隔てもない、平和な世界を求める機運が起こるでしょう。

 

 イスラム国の中からひとりの指導者が立つでしょう。

 そこで、平和主義者のローマ教皇が彼に知恵を与え、平和な解決策へと導き、世界の民の心が彼になびくように働くと、世界中の人々は、彼を喜び彼に望みをかけるでしょう。彼は、世界平和を謳い、新世界秩序の必要性を語ります。ローマ教皇の助けを受ける彼は成功します。

 

 こうして、彼は世界中の人々に望まれて、世界が一つの国のように平等に機能する、新世界秩序を建て上げることでしょう。

 彼は、世界中の人道主義者たちの希望です。もはや、神を呼び求めるのではなく、彼を誉れとし、希望とするのです。彼をキリストだと考える人たちもいるでしょう。

 

 主キリストが、荒らす忌む者の出現を弟子たちに語っておられましたが、その時が来たのです。

 「反キリスト」と呼ばれるその指導者は、生けるまことの神を知らない人々の支持を受け、世界を治める者となるでしょう。

 

 現在、通訳者がいなくても、翻訳機能によって、世界中の人々は意思疎通ができる世へと進んでいます。

 情報社会においては、個人情報はみな管理されつつあります。

 国々の文化の違いも民族性も言語も、反キリストの治める社会では、何ら障壁がありません。みな、一つの国のように、機能させるのです。

 

 神は、二ムロデの仕業を打ち壊すために、言語を分け、民族を分け、国境を分けられました。

 しかし、悪魔は、世界を一つのものにしようと働いています。それは、世界中の人間を一つのものにして、神を締め出した、悪魔礼拝の世界を建て上げるためです。

 

 この闇の動きを知る人たちは、そうならないように、抵抗します。

 人道的に見ると、グローバル社会は良いものに思います。あらゆる分断とあらゆる貧富の格差を解消し、みなが平等、みなが幸せで平和な世界になるという希望を持つからです。

 

 今、世界でグローバル化は着実に進んでいます。また、将来に不安を抱える世界は、持続可能な開発目標の達成のために、世界が抱える様々な問題を解決してより良い社会を目指しています。

 

 これらの流れは、すべて、反キリストが出現するための備えの道です。

 世の人たちは、反キリストがこの問題を解決する人物であると認めて、彼にゆだねるでしょう。

 

 カトリックに人道主義の流れ、そして、世界に多様性の思想が定着し、人々の思いはこの世に向けられ、争いのない平和と貧困のない安心に向けられ、生ける神への信仰や祈りは取り除かれます。

 

 グローバル社会は、反キリストの出現の舞台であり、悪魔礼拝の世界へと進むため破壊者の道を整えているのです。

 

 いのちある人たちは、世界的なこの大きな波に飲み込まれないように、目を覚まし、信仰をしっかりと持ち、永遠への思いを胸に、神を選ぶ道を勝ち取っていくことでしょう。