イスラエルに訪れた救い主イエス・キリストは、ユダヤ人たちの間を歩まれました。
ユダヤ人たちは、イスラエルの神が遣わされたキリストが来られたのに、イエスを信じず、人の子となられた神の御子を嘲り憎み呪って、十字架につけ、殺しました。
神は、不信仰で不従順なユダヤ人たちを怒り、御自分の民ユダヤ民族に用意されていた御救いを彼らから取り上げて、異邦人に及ばせられました。
キリストの福音は、ユダヤ人のイエスの弟子たちにより世界に宣べ伝えられ、世界中に、神の子羊イエスを信じ、神の御子イエス・キリストの御名を呼ぶ民が起こされました。
ユダヤ人の聖書に約束されていた、イスラエルの救い主、世界の救世主は、ユダヤ人の手から、異邦人に渡されました。
キリストは、ユダヤ人の救い主ではなく、異邦人の救世主として広まりました。
クリスチャンたちの間では、キリストを十字架につけて殺害したユダヤ人を呪い、憎んで、神とユダヤ人との契約を破棄し、ユダヤ民族を否定して、ユダヤ民族が神の契約のある民であることを忘れました。
キリスト教会は、ユダヤ民族に高ぶりました。そして、ユダヤ人としてお生まれになった神の御子イエスを信じることは、神子を遣わされたイスラエルの神を信じることであることを忘れて、イスラエルを侮りました。
キリスト教会は、ユダヤ人を憎み呪うことは、ユダヤ民族と契約を結ばれたイスラエルの神、すなわち、天地万物を造られた全能の神、主を卑しめることであることを見落としていました。
不変の神を否定するキリスト教会は、不変の神を見失いました。
聖書は言います。
「彼ら(ユダヤ人)は、(キリストの)福音によれば、あなたがたのゆえに(異邦人の救いのために)、神に敵対している者(イエス・キリストを否定する者)ですが、(不変の神の)選びによれば、(彼らの)先祖たちのゆえに(父祖アブラハムとの契約、イサク、ヤコブとの契約、モーセの律法、ダビデの契約、預言者たちの預言、ユダヤ民族の先祖たちに神がお与えになった聖書により)、(神に変わらず)愛されている者なのです。
(不変の)神の(お与えになった、契約の民ユダヤ民族の)賜物(神の祭司の国民としての選び)と召命(地上の祝福の基となって、世界を救う民としての召し)とは変わることがありません。」(ローマ11:28,29)
神は、ユダヤ民族を、またイスラエルを見捨ててはおられません。
神の奥義とは、イスラエル人の一部(レビ族のことか)がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、(ユダヤ人の時に)イスラエルはみな救われる、ということです。
「こう(神がユダヤ民族にゆだねられた聖書に)書かれているとおりです。
『救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたし(イスラエルの神)の(御救いの)契約である。
それは、わたし(全能の神、主)が彼ら(イスラエル)の罪を取り除く時である。』」(ローマ11:26,27)
「異邦人の時」が完成して「ユダヤ人の時」に入り、ふたりの証人がシオンに立つと、ふたりの証人の行なう神のみわざ、奇蹟やしるしを見、彼らの預言のことばを聞いて、ユダヤ人たちは悔い改めて神に立ち返るのです。ユダヤ民族は、生けるまことの神によって、民族まるごとの御救いが約束された神の民だからです。
ユダヤ人は神に不従順でした。神がキリストを遣わされたのに、キリストに聞き従うことも、キリストを信じることもなかったのです。キリストを信じないユダヤ人たちは、キリストを遣わされた神に不従順なものでした。
不従順なイスラエルを怒った神は、彼らの不従順ゆえにイスラエルを諸国に散らし、キリストの福音を異邦人に及ぼして、御救いを異邦人にお与えになりました。
ユダヤ民族の不従順のゆえに、異邦人に神の御救いの御腕が伸ばされて、異邦人は神のあわれみを受け、神の御子イエス・キリストの御名を信じる信仰を得ているのです。
さて、世界は、神の御子イエス・キリストの御名によって、御救いを得るキリスト者で満ちました。罪の赦しと、永遠のいのちの希望と、天の御国の信仰を持つ人々です。世界の宗教人口のトップを占めています。
ユダヤ人を迫害し、イスラエルを憎むキリスト教会は、自分たちの罪を悟りません。実は、神の敵となっていることを悟りません。彼らは、キリストが命じられた「真理の御霊」を受け取っていないのです。
神が遣わされたもうひとりの助け主「真理の御霊」の存在を否定するキリスト教会には、いのちがありません。いのちのないキリスト教会は、聖霊の働きは、イエスの使徒たちに起こったことであり、聖霊のバプテスマは、イエスの弟子たちに起こったことだと思っており、もはやその時ではないと考えます。
神は、何故、神が遣わすキリストに聞き従うように、イスラエルに命じられたのでしょう。キリストに御救いがあるからです。
キリストは、何故、神が遣わされるもうひとりの助け主「真理の御霊」を待ち望み、聖霊のバプテスマを受けるように、弟子たちに命じられたのでしょう。「真理の御霊」に真理があり、永遠のいのちがあるからです。
聖霊のバプテスマを否定するキリスト教会は、キリストの御救いを信じながら、永遠のいのちを拒んでいるのです。
聖霊を受けないキリスト教会は、神の御心を悟る真理を持ちません。聖書を読んでいながら、神の民ユダヤ人を憎み、イスラエルを否定するのです。
真理は、真理の御霊によって教えられるものです。真理の御霊は、墓から甦られ死から復活されたキリストの御霊です。生かす御霊です。
生かす御霊が授けられた者は、いのちを持ちます。死から甦られたキリストのいのちです。しかし、生かす御霊を得ていない者は、生まれつきのままの「いのちの息」によって生きている肉の人です。永遠のいのちを得させてくださるキリストへの信仰を持ちながら、いのちのないからっぼの器です。実のない殻なのです。
頑ななキリスト教会は、自分たちの知恵で真理を探り、聖書の知識を私的解釈するのです。それで、聖書の解き明かしは、部分的で矛盾だらけです。人間の知恵で塗り固め、何とかごまかしているだけです。本当に御救いを求めている人たちの霊は飢え渇きます。
聖書は、真理の御霊の導きによって教えられるものです。
キリストが来られても信じることのできなかったユダヤ人たちは、真理に教えられていない人たちです。イエスは、ユダヤ人たちに聖書を解き明かされました。真理に目が閉じているユダヤ人たちに、真理の光を照らされたのです。
神は、真理の御霊によって、異邦人に啓示の光を照らされます。
心頑ななユダヤ人をキリストの御救いから遠ざけ、契約のなかった異邦人がキリストの御救いに近づき、イエス・キリストの御名の中に入る信仰を得ました。
終わりの時、心頑ななキリスト教会、あるいはキリスト者たちを「真理の御霊」から遠ざけ、契約のなかった異教徒、あるいは無宗教の人たちが「いのちの御霊」に近づき「生かす御霊」によって生きる信仰を得るのでしょう。
こうして、神は、世の初めからあらかじめ定めた人に、生かす御霊をお与えになられるのでしょう。
「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々(真実な魂たち)を、御子のかたちと同じ姿(一度死んでも甦って復活のからだで永遠に生きる神の子どもに造り変えられる「新しい人」)にあらかじめ定められたからです。」(ローマ8:29)
「神はあらかじめ定めた人々(純真な魂)をさらに召し、召した人(目に見えない普遍の力を恐れる真実な信仰を持つ真実な魂)をさらに義と認め、義と認めた人々(永遠のいのちにふさわしい人々)にはさらに栄光(永遠のいのちを得させる「生かす御霊(真理の御霊)」)をお与えになりました。」(ローマ8:30)
神は、魂を御覧になり、その霊の真実なことを御覧になって、彼らをすべての霊的祝福をもって祝福してくださいます。
「すなわち、神は私たち(永遠のいのちにふさわしい魂)を世界の基の置かれる前からキリスト(蛇の頭〈悪魔〉を踏み砕く人の子となられた神のひとり子)のうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただ御心のままに、(生ける神の御霊と調和する純粋な魂の)私たちをイエス・キリストによって御自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方(神のひとり子キリスト・イエス)によって私たちに与えてくださった恵みの栄光(聖霊、すなわち生かす御霊である真理の御霊のみわざ)が、ほめたたえられるためです。」(エペソ1:4-6)
神が愛をもってあらかじめ定めておられる魂は、邪なものに心を痛め、あるいは怯え恐れて、きよいもの、真実なものを探り求める純真な魂であって、彼らはいのちを感じる感性を持ち、また神の愛に応答する霊性を持っており、生かす御霊によっていのちを得る神の子どもたちです。
聖書を持たず、イエス・キリストの知識がなくても、地上に遣わされている真理の御霊の助けを受ける者であり、また生かす御霊の導きに従う従順な霊です。
終わりの時代、宗教の教えによってではなく、生かす御霊によって真理(生けるまことの神)へと導かれ、永遠のいのちを得させられる人たちが起こされることでしょう。
「いのちの息によって生きる肉の人」の生き方を改めて、永遠のいのちを得させる「生かす御霊によって生きる霊の人」の生き方をしてまいりましょう。
いのちの息は取り去られて、「いのちの息によって生きる肉の人(肉体)」は死にますが、「生かす御霊によって生きる霊の人」は、永遠のいのちを得させられ、一度死んでも甦るのです。
生かす御霊は、神を恐れる者、愛のある者、柔和な者、あわれみ深い者、心の貧しい者(高ぶらない者)、義に飢え渇く者、心のきよい者、平和をつくる者、悲しむ者を知っておられます。
また、ユダヤ人にあわれみをかける者、イスラエルを祝福する者を知っておられます。
彼らは、神に覚えられており、生かす御霊の恵みを受けることでしょう。
生かす御霊(聖霊、すなわち真理の御霊)とともに生きる者、生かす御霊によって生きる者に、神は永遠のいのちを得させられるのです。