ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

油断せずにいなさい

 

 「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」(ペテロ第一4:7)

 

 「この天地(私たちの肉眼で見えている天と地、すなわち、宇宙)は滅びます。しかし、わたし(神の御子イエス・キリスト)のことばは決して滅びることがありません。(イエスのことばは、必ず成就するのです。「この天地は滅びる。」というイエスのことばは、必ず実現します)

 (神の御救いを信じている)あなたがたの心が、(神から離れて心をさまよわせ)放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。

 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。(聖書を信じる人たちの信仰によって、神を信じる人たちの上に降りかかることではなく、天地万物を造られた神の被造物すべての上に襲いかかる出来事なのです。聖書を知らない民、聖書を信じない民の上にも臨みます。目に見えるすべてのものは、おひとりの神によって存在しているからです。すべてのものの存在の源であり、存在を保っておられる神が号令をかけられるならば、すべてのものは、神のひと声によって存在できなくなるのです)

 しかし、(聖書を信じ、救い主イエス・キリストを信じている)あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのこと(滅び)からのがれ、人の子(イエス・キリスト)の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:33-36)

 

 天地が滅びることは、すでに定められています。人の寿命を百二十年とし、人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることとを定められた全能の主、生けるまことの神が定めておられることです。

 「神なんかいない。」と豪語する人の上にも訪れる、神の摂理です。

 

 イエスは言われました。

 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(この時代は過ぎ去ります。すべての主権者たちは滅びます。しかし、キリストの主権は堅く立つのです)

 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子(神のひとり子イエス)も知りません。ただ父だけが知っておられます。

 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」(マルコ13:32、33)

 

 なぜ、この時代は過ぎ去るのでしょうか。

 なぜ、この天地は滅びるのでしょうか。

 

 神には御計画があります。

 

 「『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。(今の世の天と地が滅びると、闇の夜は明けて、新しい世界が始まる。そこは、争いもなく、ともに食らい合うこともない、平和な世界。すなわち、破壊者である悪魔に勝利した「神の御子イエス・キリスト」と、キリストの御霊により新しく創造された「新しい人(七つの御霊の教会)」とが治める、千年間の「新しいエデンの園」が起こる)先の事(この世のこと)は思い出されず、心に上ることもない。(神のことばから外れた獣のいない世界である。神のことばが世界を治め、人々は安心して暮らす)

 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。(キリストの御霊の創造は、キリストの御霊とともにある人たちの喜びであり、誉れです)

 見よ。わたしは(キリストの王座のある神の都)エルサレムを創造して喜びとし、その民(とこしえのイスラエル、すなわち、七つの御霊の教会)を楽しみとする。

 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民(信仰の勝利者たち)を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。(すべてのものは贖われ、悲しみも涙もないからだ)

 そこ(千年王国)にはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、呪われた者(永遠のいのちが得られない者)とされる。

 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることもない。(搾取する横暴な者や邪な者はもはやいない)

 わたしの民(キリストが王であるイスラエル王国の国民)の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者(永遠のいのちを得させられる者)は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。(おのおの、それぞれが満たされ、自分に満足している)

 彼ら(キリストの王国の国民)はむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者(いのちの木の実を食べた者)のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。(彼らの子孫は死ぬことがない)

 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。(もはや祈りではなく、キリストとキリストの民とは意思の通じ合う一つのものとなるからだ)

 狼は子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。(真理の光と平安と神の喜びと王の楽しみ、新しい人は、光り輝くいのちの中で、神の愛と恵みと豊かさに安らぐ。神が創造されるいのちの世界、新しい天と新しい地は魂を生き返らせ、愛に満たされる)』と主は仰せられる。」(イザヤ65:17-25)

 

 人間には一度死ぬことと死後に裁きを受ける事が定まっています。

 しかし、神が遣わされた救世主、すなわち、神のひとり子イエス・キリストを信じる者、キリストの御霊を飲んだ者は、キリストと一つとなり、神がこの世を滅ぼした後に建てられる、キリストの王国(千年王国)にはいることが約束されています。

 

 その世界がイザヤ65章に預言されています。

 信仰の勝利者たちに用意された、地上のキリスト王国です。

 神を恐れる者、感謝する者、自然やいのちあるものと調和する者、愛ある者、親切な者、心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇いている者、あわれみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者、義のために迫害されている者、イエスの同胞のユダヤ人に水いっぱいでも飲ませてあわれみをかけてくれた者、キリストの民(イエス・キリストを信じる者)に水いっぱいでも飲ませてくれた心優しい者なども招かれています。

 彼らは、キリストの王座のある神の都にはいって、いのちの木の実を食べる恵みにあずかります。

 

 この世が存在しているのが現実ならば、新しい時代が訪れるのも現実です。

 聖書の民ユダヤ人たちが待ち望む「エデンの園の回復の時代」です。七年間の患難期を経て、永遠に生きておられるメシアによって実現します。

 キリスト教徒たちが待ち望む、キリストが治められる「千年王国」です。七年間の患難時代(反キリストの支配)を経て、キリストの勝利によって世は滅び、神の御座の右の座に着座しておられる、永遠に生きておられる神の子羊イエス・キリストが天から来られて実現します。

 日本の古神道の待ち望む「みろくの世」です。大峠の後に、世は明けるのです。

 仏教徒の待ち望む「三千世界」です。全宇宙が仏の法則によって一つとなる平和な世界です。

 

 天地万物を造られた創造主であられる神は、暴虐に満ちた世を大水で滅ぼし、ノアとノアの家族から、今の世を再スタートされました。

 そして、次には、再スタートした世を火で滅ぼすことを定めておられます。

 

 「この天と地は滅びます。」イエスのことばは真実です。

 神がお定めになっておられるのです。

 この世を滅ぼすことをお定めになっておられる神は、新しい天と新しい地を創造することもお定めになっておられます。

 

 神道には、弥勒の世にはいるために、身魂を磨いてきよい者になるために心がける人たちがいます。

 仏教には、お経を唱え、写経をし、功徳を積んで煩悩から解放されてはいる「涅槃(ねはん)」を志す人たちがいます。

 

 キリスト者には、イエスのことばがあります。

 「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:41)

 

 イエスを愛している弟子たちは、十字架にかかられる前に苦しみもだえるイエスのために、ともに苦しんで、ともに祈ることができませんでした。眠っていたのです。

 

 人間は、肉体の生理現象に弱い者です。信仰に熱心で、主を愛し、心は神の義(神に仕える意志)に燃えていても、それは長続きしません。

 霊の目も閉じてしまいます。

 イエスは、目を覚ましていなさい、と言われました。祈っていなさい、と言われました。

 

 終わりの時には、聖徒たちを眠らせる敵(救いを妨げる悪魔)の働きがあるのでしょう。

 その誘惑を払いのける力は、祈りの力です。

 

 世の終わりに聖徒の霊を眠らせる強い働きがあることを、イエスはご存じなのです。

 ですから、今から祈りを積み上げておきましょう。油断は禁物です。備えあれば憂いなしです。

 

 主よ。信仰の勝利者となるように助けてください。

 神のことばではない言葉に従ってしまうことがないように、霊を見分ける力をください。霊を見分ける力の弱い者です。主よ、あなたの憐れみによって私を守ってください。

 どうか、正しい道、いのちの道を歩むことができますように。

 信仰を失うことがありませんように。

 

 私の中の罪を教えてください。悔い改めて、罪を捨てる事ができるように助けてください。私の中に、悪魔の足場を残さないように、きよめてください。

 永遠のいのちを得るのにふさわしい者となりたいです。あなたのご愛の中に留まることができますように。

 

 祈りが私たちの魂を守る城壁となります。

 神に思いを向け、魂の救いのための備えをしましょう。祈りによって備えましょう。