神は、罪の報酬の「死」に定められた人類を、死から救い、永遠のいのちを得させるために、神のひとり子に肉体を造り、彼を罪の生贄の子羊とされました。
罪の報酬の「死」を、人類に代わって、神のひとり子が背負われたのです。神のひとり子は、神の祭司の民ユダヤ人のダビデ王の子孫として来られました。
神のひとり子イエスは、神がイスラエルを救うために遣わされたキリスト(救世主)です。イスラエルは、神のことば(律法)に従う、神の祭司の国民だからです。
神は、そのひとり子のため造られたイスラエルに、御子を遣わされました。
神は、暴虐に満ちた世を水で滅ぼされましたが、神を恐れる正しい人ノアを救い出されました。ノアには、三人の息子がいましたが、その中のひとり、セムを尊び、洪水から救い出してくださった神を、「セムの神」と呼びました。
セムの子孫に、アブラムが生まれました。アブラムは、神を恐れる正しい人でした。
神は、全地の中から、アブラムを選び、神のひとり子を遣わす国民を彼の子孫から起こすことを定められました。
神は、アブラムに「アブラハム(高貴な父)」の名前をお与えになりました。神は、アブラハムと契約を結び、割礼を命じられました。アブラハムとアブラハムの家の男子はみな割礼を受けました。割礼は、神と契約を結ぶ者のしるしです。
神は、エバを騙して人類を罪の中に閉じ込めた蛇のかしらである悪魔を踏み砕いて罪の縄目を解き放ち、死の呪いから解放する「人の子(神のひとり子に肉体を造り〔人の子〕として、ユダヤ人の処女から生まれるキリスト)」を、アブラハムの子孫から出される御計画です。
神は、不妊の女で閉経しているアブラハムの妻サライを「サラ(王女)」と呼ばれました。
神は、契約を結んだアブラハムとアブラハムの妻サラとの間に、アブラハムの契約を受け継ぐ跡取り息子をもうけられました。アブラハムとサラのひとり子イサクです。
神は、イサクと不妊の妻リベカとの間に、双子の男の子をもうけられました。そして、リベカの胎内にいるときから、神は、弟のヤコブを選んでおられました。
アブラハムの契約は、神が身ごもらせたサラの子イサクへ、また、神が身ごもらせたリベカの胎内にいる弟ヤコブへと相続されました。
ヤコブは長子ではありませんが、長子の権利を兄エサウから買い取り、また、アブラハムの祝福を、人と戦い神と戦って得ました。
神は、ヤコブの子孫に神のひとり子を遣わすことを定めておられたのです。
アブラハムから始まった信仰の家族が、世の罪を取り除く神の子羊(キリスト)を生むのです。
神は、アブラハムを「信仰の父」と呼ばれました。アブラハムの家族は、肉によって生まれたのではなく、神との契約によって生まれ、信仰の継承によって造られました。
アブラハムの妻サラが産んだイサクは、不妊の女で閉経している九十歳の女から生まれました。イサクは、神の御力によって生まれたのです。
イサクの妻リベカが産んだヤコブは、不妊の女の女から生まれました。ヤコブは、神の御力によって生まれました。
神は、契約の価値がわからない愚かな兄エサウを退けて、人と戦い神と戦って、アブラハムの契約と祝福とを勝ち取った信仰の人ヤコブを選ばれました。神は、ヤコブを新しい名で「イスラエル」と呼ばれました。
ヤコブに十二人の息子が生まれました。神は、十二人すべてを、契約と祝福を受け継ぐ「アブラハムの子孫」として選ばれました。
ヤコブの十二人の息子は、一つの民族、一つの国民となりました。彼らは、ユダヤ民族であり、イスラエルです。
イスラエルは、全地において、天地万物を造られた全能の神、生けるまことの神のことばに繋がる唯一の民族であり、神の祭司の国民です。
神は、御自身が選ばれた神の都エルサレムにおいて、全能の神に仕える祭司の国民として、イスラエルを選ばれたのでした。
イスラエルは、神があらかじめ定めて造られたアブラハムの子孫であり、神のひとり子キリストを遣わすためにもうけられた民族でした。
蛇に騙され、悪魔のことばに繋がって善悪を知る知識の木の実を食べて、人間の基準で善悪を判断して生きる人類、すなわち、人間の知識と知恵に頼り神に思いを至らせない人類は、悪魔の道を辿り、死と滅びに向かっています。
しかし、神は、人類を死と滅びから救い出すために、神のひとり子キリストを遣わされました。
神は、ユダヤ人たちに神のことばをゆだね、創世からノアの時代、また、アブラハムの選びとアブラハムの子孫であるイスラエルとの契約、そして、御救いの約束〈キリストの訪れ〉について、あらゆる世代の人々に語り、聖書として記録されました。
神とアブラハムの契約、そして、アブラハムの契約を受け継いだアブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルの召命と賜物について書かれた記録の書(旧約聖書)は、実は、神が地上に遣わすことを定めておられた神の御子キリストのことを書いていたのです。
キリストは、預言者たちによって預言されており、その預言の成就として、神のひとり子イエスは来られました。
預言のとおり、キリストは、処女マリアからダビデの子としてダビデの町ベツレヘムで生まれ、御使いたちに祝福されました。
当時のヘロデ王からいのちを狙われ、幼子イエスはマリアとともにエジプトに退き、ヘロデ王の死とともにイスラエルに戻り、ナザレの町で育ちました。
神は、人類を救うキリストに、とこしえの王座をもうけられます。神は、ダビデ王に、ダビデの王座はとこしえまでも堅く立つことを約束されました。
受胎告知のために訪れた御使いガブリエルは、処女マリアに言いました。
「あなたはみごもって、男の子を産みます。(あなたは神から恵みを受けたのです)名をイエスとつけなさい。
その子(イエス)はすぐれた者(キリスト)となり、いと高き方の子(神の御子)と呼ばれます。また、神である主は彼(「ダビデの子」と呼ばれるイエス・キリスト)にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼(神の御子イエス・キリスト)はとこしえにヤコブの家(イスラエル)を治め、その国(とこしえのイスラエル〈信仰の勝利者の七つの御霊の教会〉)は終わることがありません。(とこしえのイスラエルは天の御国にはいるのです)」(ルカ31-33)
ナザレのイエスは、旧約聖書に書いてあるキリストでした。イスラエルの神が、イスラエルに約束しておられたモーセのようなもうひとりの預言者、すなわち、神が遣わされたキリストでした。ユダヤ人たちが、神に御救いを求め、神が遣わしてくださることを堅く信じていた、契約のキリストだったのです。
イエス・キリストは、父なる神がアブラハムと結ばれた契約ゆえに遣わされた神のひとり子です。
神がユダヤ民族にゆだねられた聖書の律法や詩篇や預言者のことばを成就するために、キリストは来られました。
神は、神との平安を持つイスラエルを造り、神が選ばれたエルサレムで神に仕える民とされました。
神の祭司の国民イスラエルは、エルサレムで、神が遣わされた神の子羊(全き人の子)を十字架によってほふりました。
神は、神の子羊の血により、世の罪を取り除かれました。神は、地上にいのちの木を立てられたのです。
永遠のいのちを得させるいのちの木(キリスト)は、旧約聖書の成就としてイスラエルに現われ、神の御子イエス・キリストを証しする生き証人の使徒たちの証言と預言者の土台の上にとこしえのイスラエルを建てられます。
これは、神が地上に現わされたいのちの木の信仰です。
神と契約を持つイスラエルという台木からダビデの王座に着く若枝(イエス)が伸び、永遠のいのちを得させるキリストの木となりました。
イエス・キリストを信じる者は、このキリストの木に繋がります。
イスラエルは、イスラエルのオリーブの木の台木の枝であるのに、キリストを拒んだことで、その枝は折られました。
そして、折られた枝(キリストを拒むユダヤ人)に代わって、野生種のオリーブの枝(キリストを信じる異邦人)がその枝(キリストを信じるユダヤ人)に混じってつがれ、神御自身が大切に育てられたオリーブの木(イスラエル)の根(御救いの契約)の豊かな養分をともに受けているのです。
永遠のいのちを得させるキリストの木は、イスラエルの契約の上に立っています。
イエス・キリストの御名を呼びながら、イスラエルを憎み、ユダヤ人を嫌っている者は、キリストの木に繋がる枝ではありません。そのような彼らの土台には、神との契約はないからです。イスラエルを排除する者は、イスラエルの契約を捨てる者です。ユダヤ人に敵意を持つ者は、神の子どもではありません。ユダヤ人たちがイエスを憎み拒絶した事と同様の事をしているのです。
キリストの御思いは、イスラエルとともにあります。イスラエルが裏切ろうとも、その罪を赦しておられるからです。
反ユダヤ主義、反イスラエル主義の思想は、神から出たものではありません。いのちの木(イエス・キリスト)を生んだユダヤ民族、イスラエルを憎むことは、反キリストの霊であり、悪魔に属しているのです。
いのちの木(永遠のいのちを得させるイエス・キリスト)に繋がる者は、イスラエルからの養分を受け取り、聖書を与えてくれたユダヤ人、キリストを生んだイスラエルに感謝し、神との平和があるのです。