ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

土台が大事

 

 人は信仰の実を実らすことが、健全な信仰者の証だと思っています。

 しかし、イエスは、実によって見分けると言われます。実を実らせることが目的ではなく、どんな実を実らせるのかを問われると言われるのです。

 

 「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」(マタイ7:18,19)

 

 良い木とは、永遠のいのちを得させる「いのちの木」です。良い木の実は、イエス・キリストのことばに従って育つ実です。

 悪い木とは、永遠の死に閉じ込める「善悪を知る知識の木」です。悪い木の実は、悪魔のことばに従って育つ実です。

 

 モーセとアロンがエジプトで行なった神の不思議なみわざを思い出してみましょう。

 モーセが杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わりました。すると、エジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをしました。

 アロンが杖をエジプトの水の上(川の上、流れの上、池の上)に差し伸ばすと、カエルがはい上がって、エジプトの地をおおいました。すると、呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにカエルをエジプトの地の上に、はい上がらせました。

 

 神のしもべであるモーセとアロンも、また、悪しき霊のしもべのエジプトの呪法師たちも、同じように、ナイルの水を血に変え、また、水からカエルをはい上がらせたのです。

 

 しかし、それぞれ、力の源が異なります。

 モーセとアロンは、神の御力によって、神のみわざを現わしました。

 エジプトの呪法師たちは、悪魔の力によって、悪魔のわざを行ないました。

 

 このように、悪魔も神と同じようなことができるのです。悪魔は、霊の存在です。肉体を持つ人間よりもすぐれた力と機能とを持っています。

 人間は神を見たこともなく、神の声を聞いたこともありません。しかし、悪魔は、神のみそばにいた天使長でした。人間の寿命は百二十年、しかし、悪魔は、神が天地万物を造られる以前から生きており、神をよく知る者です。

 

 神と同じようなことができるからと言っても、悪魔は神ではありません。

 目的が違うのです。

 神は、永遠のいのちを得させるためであり、悪魔は、永遠の死へと導くためなのです。

 

 神は、創造主です。しかし、悪魔は、神が創造されたものを改造したり、破壊することしかできません。無から有をつくることはできません。

 不妊の女の胎に子を授けているように見える悪魔のわざは、実は、妊娠したばかりの妊婦の胎内の受精卵を不妊の女の胎内に移すことのようです。

 妊婦は自分の胎内に受精卵があることに気づいていません。それゆえ、その妊婦にとっては、妊娠も流産もないのです。彼女にとって妊娠の経験はないものとなります。

 

 創造主につくか、破壊者につくか、で実らす実は変わって来ます。

 良い実は、創造主に結びついた者が結ぶ実です。

 悪い実は、破壊者に結びついた者が結ぶ実です。

 

 キリスト教会の中には、キリストの福音の種によって生え出た良い麦もあれば、キリストの敵である悪魔が蒔いた種によって生え出る毒麦もあります。

 育っているうちは、どちらも見分けがつきません。しかし、実を結ぶと、麦と毒麦ははっきりと区別がつくようです。

 

 イエスは、言われました。

 「わたし(神の御子イエス・キリスト)に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父(生けるまことの神)の御心を行なう者がはいるのです。

 その日には、大勢の者が(手に箕を持ち、麦と毒麦を仕分ける)わたし(イエス・キリスト)に言うでしょう。

 『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』(彼らは、イエス・キリストの御名を使ってみわざを行ない、自分の栄光を求めていたのです。彼らの心は、反キリストの霊(悪魔)にとらえられていたのです)

 しかし、その時、わたし(イエス・キリスト)は(毒麦の語る悪魔のことばに従い、悪しき霊とともにいた)彼らにこう宣告します。

 『わたし(救い主イエス・キリスト)はあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。(キリストの霊とともにいなかった者ども)わたしから離れて行け。』」(マタイ7:21ー23)

 

 イエス・キリストが退けられる人々は、キリストにへりくだる者ではありませんでした。キリストと等しい者、あるいは人々を驚かせ自分を高い者としようとする邪な者たちです。彼らの中には、神への愛はありません。神のみことばを私的解釈し自分の良いと思われることに従っていたのです。

 

 イエスは、そのような者が大勢いると言っておられます。

 

 イエスは、人々に、永遠のいのちを得るためにはイエスのことばに聞き従うことが大切であることを語られました。

 

 「だから、わたし(手に箕を持つイエス・キリスト)の(実によって見分けるという)これらのことばを聞いてそれ(良い実をみのらすためにキリストの霊に聞き従うこと)を行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(彼らは、土台のしっかりした信仰の上に立て上げられており、良い実を結ぶのです)

 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に立てられていたからです。(終わりの時に訪れる苦難の日にも、信仰を失うことがありません。彼らの信仰は、真理のことばに置かれ、彼らの信仰の土台は、とこしえに堅く立つイスラエルの上に立っているので、堅く立ち続けます)

 またわたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。(彼らは、土台のない信仰により頼み、彼らの魂は、イスラエルを憎む者ユダヤ人を憎む者、反キリストの手下どもの手に渡されているのです)

 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。(終わりの時に訪れる苦難の日には、土台のない信仰の者たちの立っている足はすくわれ、いのちの実を結ばない愚かな者として大きく倒れるのです。良い実を結ぶことのない彼らは、彼らの思いのままに生きて滅びの子らとともに偽善の実を結び、天の御国から締め出されるのです)」(マタイ7:24-27)

 

 イエスは言われました。

 「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち(イエス・キリストの同胞のユダヤ人たち)、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたし(神の御子イエス・キリスト)にしたのです。」(マタイ25:40)

 

 ユダヤ人にした親切や憐れみの行ないは、最後の裁きをされる裁き主に覚えられています。

 そして、裁き主キリストは、ご自分の兄弟、同胞のユダヤ人に良い行ないをした人たちに仰せられます。

 「さあ、わたしの父(生けるまことの神)に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」(マタイ25:34)

 

 ユダヤ人やイスラエルに対して行なった事は、イエス・キリストに対して行なった事だと言われます。

 イエス・キリストは、父なる神がひとり子のために造ってくださったユダヤ民族、イスラエルを愛しておられます。ユダヤ人から出た神の子羊イエスは、律法を守ることのできない神の民のために死なれました。

 

 不思議なことです。

 キリスト教会では、神の御子イエス・キリストを信じる者は救われると教えます。

 しかし、聖書には、イエス・キリストの同胞のユダヤ人を顧みた人たちについて、世の初めから、あなたがたのために御国は備えられている、というのです。

 

 イエス・キリストを信じたキリスト教会の中の大勢の人(ユダヤ人を憎み、イスラエルに敵対する信者)は、キリストから「不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」と言われます。

 しかし、キリスト教会の外にいた人たち(キリスト信者でなかった人たち)の中から、ユダヤ人に親切にした大勢の人が、天の御国に招かれているのです。

 

 ユダヤ民族は、神に御救いが約束された契約の民です。

 神の選ばれた神の祭司の国民イスラエルの中に、天の御国の信仰の土台があるようです。神は、ヤコブの子孫ユダヤ人の中に御救いを置いておられるのです。

 

 「自分たちの中で、わたしの手のわざを見るとき(イスラエルが自分たちの中で、ふたりの証人の行なう奇蹟、不思議としるしを見、神の預言を聞くとき)、彼ら(ユダヤ人たち)はわたし(生けるまことの神)の名を聖とし、ヤコブの聖なる方(神が遣わされた神の御子イエス・キリスト)を聖とし、イスラエルの神を恐れるからだ。

 心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者も(真理の)教えを学ぶ。」(イザヤ29:23,24)

 

 こうして、イスラエルはみな救われるのです。

 御救いの土台は、神の民イスラエルにあります。そして、信仰の土台は、ユダヤ人から出たキリストにあるのです。

 

 「イスラエルを祝福する者をわたし(神)は祝福し、イスラエルを呪う者をわたし(裁き主)は呪う。」

 

 終わりに備えて、信仰の土台を築き直しましょう。正しい土台の上に信仰を立て上げて、自分の魂をいのちの道に歩ませ、キリストの愛と平安とともに天の御国に向かって祝福の道を歩んでまいりましょう。