大阪・関西万博の大屋根リングは、いのちの空間であることを示され、いのちの恵みを妨害する悪しき霊が入って来ないように、キリストの血で大屋根リングをドームのようにすっぽりと包んで守ってください、と祈っていました。
ドームの中に神の霊が満ち満ちて、中に入った人々がいのちの霊に触れられて、永遠を思う思いが芽生えますように、と祈っていました。
しかし、数日前から、すっぽりと覆っていると思っていた、大屋根リングの内側の空間が露になっています。守りの覆いが破られてしまったのでしょうか。これでは、悪しき霊たちが自由に入り込んでしまうのではないかと不安になりました。どうして、こんなことになってしまったのか。
昨日、気づきました。
大屋根リングを覆っていたキリストの血のドーム状の覆いは、外からの力で穴が開いたのではなく、内側から破られていたのです。
なんと、いのちの空間に立っていた目に見えない霊的ないのちの木が知らないうちに大きく成長していて、その木の成長の勢いによって、キリストの血のバリアの垣を越えていたのでした。
植物の種を蒔くと、毎日水をあげていても何の変化も見当たりません。しかし、幾日か経つと、可愛らしい小さな芽がわずかに土を押し上げて、ひょっこり顔を出しているのです。
その芽は成長し、苗になります。根が張った苗を、成長する場所に植え替えます。そこで、少しずつ成長し、やがて、枝を伸ばし、大きな木になります。
土からどのように栄養を吸い上げているのかはわかりませんが、確かに目に見えて成長しています。
上へ上へと成長し、また、横へ横へと生長します。
勢いのある木は、どんどん広がっていきます。
木は、下から上に突き上げるように生長するのです。
いのちのことを思う人が増えるたびに、いのちの木は生長しているのでしょう。いのちへの感謝、喜び、驚き、感動、関心など、人々の意識がいのちに向けられることで、今まで表舞台に立つことのなかった当たり前のいのちにスポットライトが当たり、躍動し始めます。
すると、多くの人の心に芽生えるいのちへの意識が互いに共鳴し合って、今まで見過ごしていた透明な輝きを取り戻すのです。
どこの国、どの民族、どのような言語の人でも、また、あらゆる動植物すべての自然環境において共通するものは、生かしているいのちです。
生きもの、猫も犬も雀も、人間と同じいのちを持っています。種は違っても、それぞれのかたちで生きており、いのちを失えば腐敗し土にもどります。鮮やかな色の花々も、肌の色の違う人間も、死んだらみな、色を失い黒っぽくこげ茶色の土となるのでしょう。
いのちがあるから、緑色だったり、白色、黄色、赤色、青色、紫色と様々な色彩を持っていますが、生命がなくなれば、どの種に属していてもみな、同じような色になります。また、かたちもなくなります。
世の終わりがささやかれている昨今、日本の地で、いのちに意識を向けるイベントが行なわれているというのは、やはり、生ける神の意図があるようです。
生けるまことの神は、世界を救うために、日本列島から、ふたりの証人を立てることを御計画されている、と言われています。
日本人から救い主が現われる、と言われていることは確かなことのようです。およそ一億二千万人の日本人の中には、約一割のユダヤ系の日本人が、古来からの日本人の中に残されているようです。
古神道の中に多くおられるのではないかと思います。神道、仏教の中にもおられるでしょう。神仏習合の時代やそれ以前の頃からの長い系図を持つ家系の人たちです。
「救いはユダヤ人から出る。」
天地万物を造られた全能の神が定めておられることです。
『ユダヤ人の王』という罪状書きの掲げられた十字架に、ナザレのイエス(実は、神が遣わされたキリスト、すなわち、聖書に書かれたキリスト)をつけて殺したユダヤ人。しかも、神の子羊イエスが死から甦られたと聞いても、イエスがキリストである事を信じなかった頑ななユダヤ人たちを怒った神は、聖書に書いてある呪いを彼らの上に成就されました。
ユダヤ人たちは先祖の地から離散し、千八百年以上の間、国を持たない民族として、異国の寄留者でした。イスラエルの神が、ユダヤ人の不信仰と不従順を怒り、散らされたのでした。
彼らは、キリスト(救世主)を待ち望む神の祭司の国民なのに、神が遣わされたキリストを信じなかったからです。
しかし、神は、正統な神の民(神に従順な少数派のユダヤ人たち)を残しておられました。彼らは、神に従って、東へ東へと向かい、大海に囲まれた島国に辿り着いたのでしょう。
神が、大海を囲いとして、ほかの国々から守っておられる地です。そこは、平和と調和を愛し、自然の中に霊なる神を認め、目に見えない大いなる存在を恐れかしこむ人々の住む地でした。
神は、この極東の島々、日本列島を、国を失うはずのユダヤ人たちの中から取り分けた少数のユダヤ人たちの住まいとし、全地において、霊とまことをもって全能の神、天と地を造られた生けるまことの神を礼拝する祭祀の国とされたようです。
神は、イスラエルを失っても、神を礼拝する神の祭司の国民を残しておられました。彼らは、真実な心で神に仕えるヤコブの子孫たちです。キリストを憎み、十字架で殺したユダヤ人たちの先祖ではありません。律法ではなく、生けるまことの神に仕える神のしもべたちです。
終わりの時に、ユダヤ人たちの救いのため、また、世界の救いのために、神が守っておられた極東の地から、神は、用意された救い主(ふたりの証人)を立てられるのでしょう。
神の御子イエス・キリストを信じなかったユダヤ人たちですが、終わりの時には、ふたりの証人が神の遣わされた救い主であることを信じて従うようです。
終わりの時に、神の御救いの働きを担う「ふたりの証人」を生む日本列島において、日本人に、また、世界の人たちに、世の終わりの備えをさせるべく、「いのち」をテーマにした「大阪・関西万博」を、2025年という節目の年に開催しておられるとは、本当に驚きのことです。
未来に思いを向ける多くの人たちの中で、目に見えない永遠のものに意識を向ける人たちも起こっているようです。
神は、世の終わりに向けて、和を大切にする精神と宗教の枠を超えた「いのち」そのものの調和を思わせる豊かで美しい自然が霊的感性を育み、人間本来の魂の感覚を取り戻す静寂の中に感じる目に見えないものの気配、そして、空気や肌で感じる包まれるような優しい感覚を体験する日本、また、ハイテクと自然とを調和させる日本において、世界中から集まるイベントを開催して、魂の目覚めを促しておられるようです。
多くの人の祈りが積まれているのでしょう。
いのちに出会うとか、いのちを探求したいという願いのないまま訪れた人たちも、日本の地を巡り歩くうちに、疲れが癒され、魂がなごみ、深い安息といのちの喜びを感じることができたらいいと思います。
日本人の中にいる執り成す人たちの祝福の祈りは、日々積まれていることでしょう。そして、霊が目覚め始めた人たちは、感謝と喜びを体験しているのでしょう。
ひとりひとりの感謝と生きる喜びが、いのちの木を成長させ、多くの魂が新たに癒しと開放を体験し、その感謝の思いが、ますます啓示の光を日本の地に降り注ぎ、いよいよ、いのちが輝いてゆくのでしょう。
暗いニュースが飛び交う中でも、確かに神の霊は働いておられ、正しい人はいよいよ正しい歩みをし、(罪の贖われた)聖徒はいよいよ聖なる者とされてゆくのでしょう。