「イエスは彼ら(ユダヤ人たち)に言われた。
『もうしばらくの間、光(真理を告げるイエスのことば)はあなたがたと一緒にここ(地上)にある。光(天から来られたまことの光、すなわち、永遠のいのちを得させる神の御子イエスのことば)が(地上に)ある間に(イエスのことばと一緒に)歩いて、闇(不信仰の世)に追いつかれないないようにしなさい。闇(生きる当てのない、行き先知らずの世)の中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。(罪の贖われていない者はすべて、世の初めから定まっている罪の報酬の死に向かっている。最初の人アダムが神の命令にそむいて罪を犯したからだ)
光のある間に(イエスのことばが地上にある間に)、光の子(神の子ども)となるために、光(イエスのことば)を信じなさい。」(ヨハネ12:35,36)
アダムが神の命令に聞き従わず、蛇の語る悪魔の言葉に従うと、アダムは悪魔にとらえられて死ぬ者となりました。
アダムは、神の命令を破ったとき、生ける神のことばから外れました。いのちから外れた人は、いのちの息をお与えになった神から切り取られました。
切り取った者は、神に反逆して天から追放された堕天使長の悪魔です。悪魔は神に敵対する者であり、破壊者です。
神が、神のひとり子のために、御子とともに造られた「人」は、悪魔にとらえられて悪魔と運命を共にする者となってしまいました。
神は、悪魔と悪霊どものために、永遠に燃える火の池を用意しておられます。なんと、御子のために造られた「人」もまた、悪魔の裁きのために用意された火の池へと悪魔に連れて行かれるのです。
邪悪な悪魔は、醜く汚れた者です。人は、破壊者悪魔の言葉に聞き従うことで、悪魔の汚れとともになりました。
悪魔にはいのちがありません。破壊と滅亡があるだけです。生まれつき人は、破壊と滅亡の悪魔にとらえられているのです。
人は母の胎内にいるときから、死ぬべき生命を得て、限りある生命を生きるために生まれています。
神は、創世の初めに、蛇に仰せられました。
「わたし(神)は、おまえ(蛇)と女(蛇に騙された人)との間に、また、おまえの子孫(獣の子孫)と女の子孫(人の子孫)との間に、敵意を置く。(獣の霊と人の霊とは敵対する)
彼(人の子)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(獣の霊)は、彼(人の子、すなわち、罪の贖いの神の子羊)のかかと(ヤコブ、すなわちイスラエル)に噛みつく。(創世の初めから、罪の贖いの神の子羊イエス・キリストが遣わされること、そして、キリストは悪魔を踏み砕き、キリストを生むイスラエルは悪魔に翻弄されて苦しめられることが、神に定められていたのです)」(創世記3:15)
人はみな、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています。
人類は、罪ある者としてこの世に生まれ、永遠の火の池に向かって歩いています。
しかし、神は、人類の御救いを御計画されました。
悪魔が虜にして引いて行った人を、買い戻されるのです。
悪魔も悪霊どもも、永遠の火の池も、すでに存在しています。このことは真実です。信仰がある人にとっても、信仰がない人にとっても、変わることのない真理です。
神は、悪魔を踏み砕き、悪魔にとらえられた人を、悪魔に汚されていない全き血(神の子羊イエス・キリストのいのち)で買い戻されます。神は、神のひとり子イエス・キリストのいのちをもって、死者の中からいのちを買い戻されるのです。
神は、キリストの立つ足場(かかと)となるイスラエル(神の祭司の国民)を造り、神の子羊イエス・キリストを遣わされました。
神の祭司の国民イスラエルは、神の子羊を屠り、贖いの子羊の全き血を流しました。
神がイスラエルに遣わされた神の御子イエス・キリストの贖いの血は、世の罪を取り除く、贖いの子羊の血です。
キリストの血が、罪の中で死んだ死者たちの中から、生きる魂を取り戻されます。
神は、イスラエルに、罪の赦しのひな型を見せておられました。民数記21章に書かれています。
荒野で神につぶやくイスラエルに、神は、燃える蛇(猛毒蛇)を送られたので、蛇は民に噛みつき、イスラエルの多くの人々が死にました。
「民はモーセのところに来て言った。『私たち(民)は主とあなた(神が遣わされたモーセ)を非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。』モーセは民のために祈った。
すると、主はモーセに仰せられた。
『あなた(モーセ)は燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべて(蛇に)噛まれた者は、それ(旗ざおに掲げられた青銅の蛇)を仰ぎ見れば、生きる。』
モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人を噛んでも、その物が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(民数記21:7-9)
荒野には、毒蛇に噛まれて生き絶え絶えに横たわっている人々がいました。神の人モーセは、神に執り成しました。
すると、神はモーセに命じられました。モーセは、神に命じられたまま、青銅の蛇をつくり、旗ざおにつけました。
のちに、神がイスラエルに語られた律法にはこうあります。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなた(イスラエル)がこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神に呪われた者だからである。(木につるされた者は、人に呪われた者ではなく、神に呪われた者なのです。最も重い罪です)
あなたの神、主が相続地としてあなた(イスラエル)に与えようとしておられる地(カナンの地)を汚してはならない。(神に呪われた者の死体によって、神が神の祭司の国民のために聖別した地を汚してはならない。エルサレムは神の都、イスラエルの地は神の御住まいですから)」(申命記21:22,23)
毒蛇に噛まれた人たちの罪は死刑に当たる罪でした。
しかし、神は裁きとともに、御救いも用意しておられる、恵みと慈しみに富んだ神です。いつまでも怒ってはおられません。いつまでも呪ってはおられません。神に立ち返る者たちを、神は赦されます。
毒蛇に噛まれた者たちは、「神よ。お赦しください。」と言ったのでしょうか。「神よ。私たちが悪かったです。」と悔い改めたのでしょうか。
神と蛇に噛まれた人との間に立ち、執り成す者がいました。モーセです。
神は、モーセに青銅の蛇をつくり、旗ざおにつけるように命じられました。モーセは、神のことばどおり、青銅の蛇を旗ざおにつけました。
モーセは、自分のするべきことに忠実でした。成すべきことをなしました。
神は、毒蛇に嚙まれて倒れている人たちには、青銅の蛇を仰ぎ見れば、生きる、と仰せられたのです。
瀕死の状態でも、神のことばを信じ、目を旗ざおの上の青銅の蛇に向ける者は体内の毒が消されて生きたのです。
しかし、モーセがつくった青銅の蛇を仰ぎ見ない者、不信仰で不従順な者は、救われることなく、みな死にました。彼らは、青銅の蛇を見たからといって助かるものか、と思ったのでしょうか。それとも、根っからの不遜で、神のことばを嘲笑う者だったのでしょうか。
毒蛇に噛まれた人たちは、青銅の蛇を仰ぎ見て生きた者と、仰ぎ見ないで死んだ者とに分かれました。
終わりの時代、神は、イスラエルに神の子羊を遣わして、神の子羊イエスを、民の罪の身代わりに処刑の木(十字架)にかけられました。
子羊みずから、神に執り成されます。「父よ。彼らをお赦しください。」
木にかけられた者は神に呪われた者。神の子羊イエス(ナザレのイエス)は、民の罪の身代わりに神に呪われました。神は、子羊イエスを、民の死刑の罪に代わって処罰されました。
そして、神は仰せられます。
神の子羊イエス・キリストを処刑したのであなたの罪は赦された。青銅の蛇を仰ぎ見て生きた先祖たちを思い出して、木にかけられた神の子羊イエスを仰ぎ見て生きよ。罪の贖いの子羊イエスを信じて仰ぎ見よ。
十字架の主イエス・キリストを、罪を贖う救い主と信じて仰ぎ見る者は、永遠のいのちを得させられます。死ぬことはありません。
十字架の主イエス・キリストの罪の贖いを信じない者、イエスに御救いの望みをかけない者は、主イエスを仰がない者は、死と死後の裁きが定まる生まれながらの人間の道を歩んで、贖われていない者、罪の中にある者として死にます。罪が贖われていない魂は、キリストの血によって買い戻されていないので、裁かれます。彼らは、自分自身で、神の用意された御救いを拒み、永遠の死を迎えます。
この地上には、光(イエスのことば)があります。永遠のいのちを得させる、真理のことば、いのちのことばがあるのです。
死から復活したキリストは、弟子たちに聖霊のバプテスマを授け、神は、彼らのうちに真理の御霊を住まわせられます。
真理の御霊を受ける人たちによって、真理のことば(イエスのことば)は宣べ伝えられています。
しかし、終わりの時が来ると、ひとりひとりに分け与えられていた御霊は引き上げられます。
旧約時代のようになるでしょう。神が召された神の人(預言者)に御霊がおられ、神のことばを語るのです。ふたりの証人と神に召された十四万四千人のユダヤ人とともに、聖霊がおられます。
反キリストがユダヤ人を殺戮し、キリスト者たちを殺戮します。
光を持っていた人たちは、世からいなくなります。神のことばは聞かれなくなります。
キリストへの信仰のある人たちの心には信仰のともしびがあります。それが、闇の世にあっても、神を記憶し、いのちの道を求める生きる希望となります。
しかし、ともしび(信仰)のない人には、神がわかりません。
聖霊を持つユダヤ人の宣教者たちのことばを聞いても理解できません。心は闇で覆われ、闇の支配者悪魔のことばを信じます。彼らには救いがないのです。
それゆえ、イエスは言われます。
「あなたがたに光(生かす御霊が思い起こさせる真理のことば)がある間に、光の子(罪が贖われて永遠のいのち〈生かす御霊〉を持つ新しい創造)となるために、光(救い主イエス・キリスト)を信じなさい。」(ヨハネ12:36)
「イスラエルの家よ(神に招かれている人たちよ)、わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。―神である主の御告げ。―悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
わたしはだれが死ぬのも喜ばないからだ。―神の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。」(エゼキエル18:30-32)