神は、ヤコブに仰せられました。
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地(石を枕にして、ヤコブがいま横たわっている土地、すなわち、アブラハムにお与えになったカナンの地)を、あなたとあなたの子孫(のちに生まれるヤコブの十二人の息子を族長とするユダヤ民族)とに与える。
あなたの子孫(ユダヤ民族、すなわち人と戦い神と戦って勝ったイスラエル)は地の塵のように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族(あらゆる民族)は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。(「地上のすべての民族は、あなた(アブラハムとアブラハムの子孫)によって祝福される。」と神が仰せられた「祝福の基とされる国民」は、アブラハムの子孫である「イスラエル」をさしています)
見よ。わたし(全能の神、主)はあなた(アブラハムの子孫であるヤコブの子孫〈ヤコブの血肉の子孫〉と、人と戦い神と戦って勝ったイスラエル〈ヤコブの信仰の子孫〉)とともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地(約束の相続地)に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。(必ず、カナンの地はイスラエルのものとなる。天の神が成し遂げられるからだ)」(創世記28:13-15)
アブラハムと契約を結ばれた神は、アブラハムの跡取り息子のイサクに生まれた双子(エサウとヤコブ)の弟ヤコブを選び、ヤコブに現われて、ヤコブと契約を結ばれたのです。
ヤコブの父イサクに現われた神は、アブラハムの神として現われました。
「わたし(全能の神、主)はあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。
わたし(アブラハムの神)があなた(イサク)とともにいる。わたしはあなた(アブラハムの子イサク)を祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。
わたしのしもべアブラハム(あなた〈イサク〉の父アブラハムとの契約)のゆえに。」(創世記26:24)
アブラハムは主の命令に従い、モリヤの地(神殿の丘の場所と言われています)で燔祭のささげ物として、イサクを神にささげました。
アブラハムは、神の約束がある限り、神に偽りのないことを堅く信じたのです。
神は、イサクがアブラハムの跡取りだと仰せられました。また、イサクの子がアブラハムの子孫と呼ばれると仰せられました。
「信仰によって、アブラハムは、(神に)試みられたときイサクをささげました。彼(アブラハム)は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子(神の契約と祝福を継ぐ跡取り息子イサク)を(神に従って、神に)ささげたのです。
神はアブラハムに対して、『イサクから出る者があなたの子孫(アブラハムの子孫)と呼ばれる。』と言われたのですが、彼(アブラハムの信仰)は、神には人を死者の中から甦らせることもできる、と考えました。(それゆえ、アブラハムは、イサクを死者の中から取り戻すことができると考えたのです)
それで彼(信仰の父アブラハム)は、死者の中からイサクを取り戻したのです。(」(へブル11:17-19)
あらゆる民族の祝福の基となると約束されたアブラハムは、のちに神御自身が経験される痛みと苦しみとを体験しました。
神は、御自分のひとり子(神の御子イエス・キリスト)を、罪の贖いの燔祭として人類にお与えになりました。
神のことばに忠実なアブラハムは、神に聞き従い、ひとり子イサクを神にささげました。それゆえ、神は、神の御計画のために、ひとり子を失う父の痛みを知るアブラハムを、「わたしの友」と呼ばれたのです。
神にとって、アブラハムは特別な存在です。イサクは、「わたしの友」と神が呼ばれるアブラハムの「ひとり子」です。神は、アブラハムの信仰ゆえに、イサクを祝福し、また、アブラハムの契約ゆえに、イサクの子孫を増し加えられるのです。
しかし、人と戦い、神と戦って勝ったヤコブ、すなわち、アブラハムの契約と祝福の価値をよく知り、人と戦ってでも、神と戦ってでも、その契約と祝福を手に入れるまで戦い続けて勝ち取ったヤコブ、その信仰ゆえに、ヤコブは長子として生まれておらず、跡取りではない弟であるにも関わらず、アブラハムの相続人となり、神の契約と祝福とを得ました。
イサクはおっとりとしたひとり息子だったのでしょう。アブラハムの契約と祝福とは、イサクのものです。だれもそれを差し止める者はいません。
しかし、弟ヤコブは、必死に戦って、兄エサウから長子の権利を、また、神からアブラハムの祝福を勝ち取って、得たのです。兄エサウの足のかかとをつかんで母の胎から出て来た弟ヤコブ(かかとの意)は、人と戦い神と戦って勝ち取った信仰により、神から「イスラエル」の名前をいただきました。
これは、型です。イスラエルの外にいる異邦人も、人と戦い神と戦って信仰の勝利を得るならば、アブラハムの契約と祝福とにあずかるヤコブの「信仰の子孫」となるのです。
こうして、ヤコブの子孫は、ヤコブの血肉の子孫「イスラエル」と、ヤコブの信仰の子孫「とこしえのイスラエル」とに増え広がります。
信仰を勝ち取ったヤコブの信仰により、またアブラハムのひとりの子孫(神の御子イエス・キリスト)により、アブラハムは、多くの国民の父となります。
人と戦って勝つとは、不信仰の世、神を神としない不遜な世にあっても、生けるまことの神を知り、世の人の流れに逆らって、神の約束をつかみ取ることでしょう。
神と戦って勝つとは、あらゆる試練の中で神につまづくことなく、神の御救いを信じ決して手放さない信仰によって、約束のもの(永遠のいのち)を得ることでしょう。
ヤコブの血肉の子孫ユダヤ民族は、御救いが約束された民族です。
「イスラエルの一部(聖書を教え、神に仕えることを教えるレビ族のことか)がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエル(アブラハムの子孫であり、イエス・キリストの兄弟、また同胞のユダヤ民族)はみな救われる、ということです。(ユダヤ人の不従順と不義とによって、救いが異邦人に及びました。しかし、異邦人のうちに神の栄光を現わす殉教者や神に忠実な人たちの信仰が完成するとき、神は、イスラエルの罪を取り除き、ヤコブから不敬虔を取り払われ、イスラエルはみな救われます)」(ローマ11:25,26)
神がアブラハムに約束された、祝福の基となるアブラハムのひとりの子孫は、神の子羊イエス・キリストによって、実現しました。
ユダヤ民族にゆだねられた聖書(旧約聖書)に書かれていたのは、神の御子キリストのことでした。
神はみことばの約束どおり、アブラハムの子孫イスラエルに、神のひとり子イエス・キリストを遣わされました。
そして、神と契約を結ぶ神の祭司の国民イスラエルは、神が遣わされた神の子羊イエスを十字架で屠りました。