「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。(美しいと心惹かれた草花は、しばらくすると、その姿はない。人もまた、現われては消えてゆくはかないもの。限りある生命が、現われては消えている)
主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(ユダヤ民族に『聖書』を授けられた生けるまことの神、天地万物を造られた全能の神、主のみことばは、花のようではなく、民のようではない。枯れることも朽ちることもなく、いのちあるまま、とこしえに堅く立つ)」(イザヤ40:6-8)
いぶきによって世界を変え、すべてのものを統べ治めておられる創造主であられる絶対主権者は仰せられます。
「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それ(雨や雪)に物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者(種が必要な者)には種を与え、食べる者(食べ物が必要な者)にはパンを与える。
そのように、わたし(生けるまことの神である全能の主)の口から出るわたしのことばも、むなしく、わたし(天の神)のところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:10,11)
神は、ひとり子に肉体をつくり、「人の子」として神の選びの民イスラエルに遣わされました。「人の子」は、アブラハムのひとりの子孫(あらゆる国民、あらゆる民族を救うキリスト)であり、ダビデの子と呼ばれる、ユダ族から出たイエス・キリストです。
神は、神のことば(神のひとり子)に肉体をつくり、人の子の姿とされました。
ユダヤ民族には、神のことば(聖書)がゆだねられています。神は、神のことばをゆだねた民に、人の子の姿の神のひとり子(神のことば)を遣わされたのです。
神に遣わされたイエス・キリストは、神のことばでした。
神がキリストにお与えになった黙示を、キリストは、弟子のヨハネに託されました。ヨハネは、死から復活されたキリストの御霊(真理の御霊)により、真理を知らされています。
イエスの弟子ヨハネは、イエスを次のように証言しています。
「(イエスは)初めからあったもの(天地万物が造られる以前、人類が生まれる以前から神のうちにおられた神のひとり子)、私たちが聞いたもの、じっと見、また手でさわったもの(イエスの弟子たちが直接イエスのことばを聞き、奇蹟やしるしなどの神の栄光を見、また、ともに生活した「人の子」ナザレのイエス)、すなわち、いのちのことば(人の子の姿となって天から遣わされた世の罪を取り除く神の子羊、すなわち、神のことばを語る神のひとり子)である。」(ヨハネ第一1:1)
「このいのち(人の子の姿となられた神の御子キリスト)が現われ、私たち(イエスの弟子たち)はそれを見たので、そのあかし(証言)をし、あなたがたにこの永遠のいのち(一度死んでも死に打ち勝って甦り、永遠のいのちを得させる神の子羊イエス・キリストの御名)を伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに(人の子の姿で)現われた永遠のいのち(生かす御霊を授ける神のひとり子)です。」(ヨハネ第一1:2)
『聖書』をお授けになった神は、神のことばを成し遂げるために、ひとり子に肉体をつくり、聖書の民ユダヤ人にお遣わしになりました。
神は、ナザレのイエスの生涯を通して、律法と詩篇と預言者たちのことばを成就されました。
ナザレのイエスは、十字架の死にまで従われて、神から「キリストの権威」を受けられたのです。キリストの権威とは、聖霊のバプテスマを授ける権威であり、永遠のいのちを得させる権威です。
神がイスラエルに遣わされた神の子羊イエスは、父なる神の望む事を成し遂げ、聖書に書かれた事(神が言い送られた御救い)を完成されました。
イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも(聖書のことばは)決してすたれることはありません。全部が成就されます。」(マタイ5:18)
「光あれ。」神のことばにより、天地は創造されました。人の子の姿になられる以前の、神のひとり子の栄光の御姿であった御子(神のことば)により、光ができました。
そして、神がユダヤ民族にゆだねた『聖書』のみことばの成就を、神の御子の栄光の御姿を捨てて人の子となられた神の御子イエス・キリストがなさいました。
ユダヤ民族にゆだねられた『神のことば』は、人の子ナザレのイエスとなって、イスラエルに遣わされたのです。。
神は、初めモーセに律法をお与えになりました。イスラエルが神の民として歩むために、守るべき、神の律法です。
割礼と律法の民ユダヤ人の中に、神はひとり子を遣わされました。神の御子イエスは、いのちの律法を携えて来られました。
最初の律法は、キリストを迎えるために、民が守るべき律法です。キリストを迎える民として、また、世の罪を取り除く神の子羊イエスを屠る神の祭司の国民、聖なる国民として整えられるために、守るべき律法でした。神は、イスラエルに、神の小羊を遣わされました。
イスラエルは、神が言い送られた事に忠実に従い、神の望む事を成し遂げ、神が御計画された御救いのみわざを成功させました。イスラエルは、神の子羊イエスを屠り、世の罪を取り除く「罪の贖いの子羊」の血を流したのです。
こうして、イスラエルは神にゆだねられた律法、詩篇、預言者たちのことばを成就させました。神は、神の子羊の贖いのわざ(十字架)により、律法を完成されました。
すなわち、律法を完全に守る人はだれもいないということです。それゆえ、神は、律法の違反の呪いを、神の子羊の贖いの血で取り除かれました。こうして、律法の違反者たちは、罪が赦されて、義とされるのです。
神は、ユダヤ人たちが守ることのできなかった律法を、「人の子」となられた神のひとり子イエス・キリストによって完成されました。
神は、イスラエルに神の子羊イエスを遣わし、神の子羊の罪の贖いの血を流させ、また、子羊イエスを死から甦らせて、復活のからだのイエスを、御自身の天の御座に引き上げて、キリストの権威をお与えになりました。
イエスは、言われました。
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことば(イエスのことば)は決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)
ユダヤ人にお与えになられた聖書のことば(旧約聖書)をご自身で成就された神の御子イエス・キリストは、ユダヤ人の弟子たちに、キリストのことばを託されました。
神がユダヤ人に約束されたキリストは、ナザレのイエスの姿でイスラエルに現われて、ユダヤ人たちに、目に見え、耳で聞こえ、手でさわれる「人の子」の姿でことばを残されました。
ユダヤ人の律法を完成し、永遠のいのちを得させるキリストの新しい律法【真理の御霊】をユダヤ人たちに授けられた神の御子イエス・キリストは、これから後、残りのみことばを、神の子羊イエス・キリストの御霊(聖霊)によって、ことごとく成就されます。
神の聖徒たちの労苦は終わり、その咎は償われます。
「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治められる。
見よ。その報い(御救い)は主とともにあり、その報酬(永遠のいのち)は主の前にある。
主は羊飼いのように、その群れ(七つの御霊の教会)を飼い、御腕に子羊(神の子ども)を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊(神の子どもを導いた神のしもべ)を優しく導く。」(イザヤ40:10,11)