「天を造り出し、これ(天と大空)を引き延べ、地とその産物を押し広め(地のあらゆる場所に食糧を備え)、その上の民(地上に住む人)に息を与え、この上を歩む者(人)に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。
『わたし、主は、義(罪の赦しと永遠のいのちを与える主キリストの与える油注ぎ)をもってあなた(ユダヤ人の時にメシアの働きに立つふたりの証人のうち、ユダの総督〈十二部族のイスラエルの指導者〉として立つ「イスラエルのメシア」)を召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約(ユダヤ民族に約束した、ユダヤ民族の御救いを成し遂げるメシア)とし、国々の光(御救いを求め真理の光を求める人々、ユダヤ人や残りのキリスト信者や義に飢え渇く正しい人々の希望の光)とする。
こうして、盲人の目を開き(肉の思いによって塞がれていた霊の目を開いて、神の栄光を見させ)、囚人を牢獄から、闇の中に住む者を獄屋から連れ出す。(罪の縄目に縛られている人々や、悪魔の支配にうめく人々を、神のみことばと奇蹟としるし、真理の光〈主の霊〉により導いて、救い出す)
わたしは主、これがわたしの名。(ユダヤ教徒にも、キリスト教徒にも、神道の人、仏教の人、そのほかの神々の名を呼んでいた人にも、「主」として、御自身を現わされます。主は、天地万物の創造主であり、キリストを遣わされた贖い主であり、真理の御霊を遣わされた助け主であり、イスラエルのメシアを遣わされる救い主であり、すべての被造物を裁く裁き主です)
わたしの栄誉を刻んだ像(偽りの神々の偶像)どもに与えはしない。
先の事は、見よ、すでに起こった。(神が聖書に約束されたキリストは、すでに遣わされており、罪の贖いと赦しは完成している)新しい事を、わたしは告げよう。(主は、民を救うために、「ふたりの証人」を立てられる。「イスラエルのメシア」に聞き従いなさい。「アロンのメシア」が神のみことば【預言】を与え、「イスラエルのメシア」がそれを宣べ伝え、神のみわざを現わそう)それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。(旧約聖書にキリストの到来が預言され、新約聖書にそれが成就したことが記録されている。これから起こる事は、あなたがたがまだ体験したことのない新しい事。それが起こる前に、主はあなたがたに聞かせているのだ。ふたりの証人に聞き従いなさい)」(イザヤ42:5-9)
聖書の神のみことばは、普遍の真理です。普遍ですから、どの時代の人にも、どの世代にも当てはまるということです。
神の御子イエス・キリストがイスラエルに遣わされる、すなわち、ダビデの町ベツレヘムで処女マリアから産まれる七百年以上も前に預言した預言者イザヤの預言は、終わりの時代の私たちにも当てはまるのです。
旧約聖書の預言が成就して、神の御子イエス・キリストが来られると、「終わりの時代」の幕が開かれました。
そして、終わりの時代の終盤に差し掛かる今、再び、イザヤの預言は、いのちをもって、現在の私たちに語りかけています。
神の御子キリストは、すでに、十字架にかかり、世の罪を取り除く神の子羊の血を流されました。
それゆえ、終わりの時代に生きる私たちには、啓示の光が注がれています。キリストの血により罪が贖われて世の罪が取り除かれているので、真理(永遠のいのちを得させるいのちの主)を求める新しい心が与えられ、目に見えないいのちの主を仰ぐことが許されています。
「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼(イスラエルのメシア)の上に、わたしの霊(キリストの御霊)を授け、彼(ユダヤ人が待ち望むユダヤ民族の御救いを成し遂げるメシア)は国々に公義をもたらす。(世界に、真理を明らかにする)
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。(「イスラエルのメシア」は、主が最後まで隠しておられる秘密兵器。おそらく、仏法を生き、奥深くて波立たない湖のような沈黙の静かな心と、大自然と調和して一体化する、和の精神の持ち主なのでしょう)
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。(仏法を究める「イスラエルのメシア」は、大きな広い心と、古神道を極める「アロンのメシア」と一致する純真なきよい霊性と、混じり気がなく人間を超越した偽りのない純粋な信仰に進んでいます。キリストを知らなくても、彼の魂は真理(いのちの根源)の近くに在ります。彼は、キリストのように、心優しくへりくだっており、慈しみと憐れみをもって人の魂を愛し、魂に語りかけます)
彼は衰えず、くじけない。(彼は魂を慈しみいのちあるものを愛する愛とともに、不屈の精神の持ち主です)
ついには、地(全地)に公義を打ち立てる。(「イスラエルのメシア」は、キリストを知らない民族にも、主のみことばにより、神の義と神の国を説きます。普遍の真理がキリスト教以外の人、ほかの神々に仕えていた人々にも届けられます。宗教や教義の壁のない、すべての国々、あらゆる民族共通の唯一の真理が世界を覆い、救いに定められた人たちが真理を悟り、御救いを得る事でしょう)
島々(日本列島に住む日本人)も、その教えを待ち望む。(キリスト教徒が1%の日本人に、真理が開かれて、日本人は「イエス・キリスト」としてではなく、「主」として、救い主を知るのでしょう。主は、キリスト教の神「神の御子イエス・キリスト」でもなく、ユダヤ教の神「イスラエルの神」でもなく、神道の神「○○命」でもなく、仏教の「仏」でもありません。すべての宗教、すべての信仰の上に立つ「主」の名で、真理を悟るのでしょう。和を愛する日本人は、宗教ではない、大自然に満ち満ちた生けるまことの神、愛と慈しみに満ちた主の教えが聞きたかったのです。いのちの主の教えは、魂を癒し霊を慰め平安と喜びに溢れさせてくださいます。日本人は、この教えを待ち望んでいたのです)
神の御子イエス・キリストの贖いと聖霊のバプテスマ(永遠のいのちを得させる約束)は、二千年前にすでに起こっています。
神は、終わりの時に、新しい事を、告げられます。
それが起こる前に、私たちに聞かせてくださるのです。
キリスト教徒は、特に祈りましょう。
日本人から立つとされる「イスラエルのメシア」は、聖書を知らない人です。彼の教えを受け入れるためには、霊が素直でなければなりません。
神の御子イエス・キリストが来られた時、ユダヤ人たち、特に律法の専門家の祭司長やパリサイ人や律法学者たちは、イエスのみわざを見ても神のみわざであることが受け入れられず、イエスのことばを聞いても神のことばであることが信じられませんでした。
神の右に着座されたキリストは、父なる神から主権と光栄と国が与えられました。キリストは、天においても地においても、主権者となられたのです。
「イスラエルのメシア」「アロンのメシア」ユダヤ人の時に立つ「ふたりの証人」は、神の子羊イエス・キリストが主権をもって召しておられるのです。
どうか、主よ。
私たちが、キリスト教会の固定概念にとらわれることなく、素直に、「イスラエルのメシア」のことばを信じることができますように。
真理を正しくとらえられるように、私たちに、きよい霊と素直な魂をください。
宗教の霊ではなく、霊とまことをもって、神を礼拝する者としてください。