「わたし(イスラエルの神)は、あなた(イスラエル)がきっと裏切ること、母の胎内にいる時から、そむく者と呼ばれていることを、知っていたからだ。
わたし(生ける神)は、わたし(全能の神、主)の名のために、怒りを遅らせ、わたし(主)の栄誉のために、これ(怒り)を抑えて、あなた(イスラエル)を断ち滅ぼさなかった。(荒野でつぶやくときも、民のすべてを滅ぼすことはなかった。神はイスラエルを奴隷の家から連れ出しはしたが、カナンの地に導き入れることができなかった、と諸国の民に侮らせないためだ)
見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。(銀の場合は、純銀を取り出すため。しかし、イスラエルには取り出すものがあるだろうか。イスラエルを「わが民」と呼び、「いとし子」と呼ぶ神は、イスラエルの中にあるものを試すために、悩みの炉でユダヤ人たちを試みた。しかし、彼らはなおも神から遠く離れている。なぜ、生ける神を求めないのか。なぜ、自分のうちの悪に気づき悔い改めて神のもとに帰らないのか)
わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。(神の真実なこと、神の聖なること、神の栄誉を知らせるために、イスラエルの神は、イスラエルを敵の手に渡して懲らしめて、イスラエルを我に立ち返らせ、イスラエルに立てた神の計画を実現することを定めておられる)
どうしてわたしの名(天においても地においても唯一の主、全能の神の名)が汚されてよかろうか。
わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。(神が立てた計画が唯一であって、神の定めは何によっても動かされることはない。神が定めたことはすべて成就するのだ。たとい、民が悪い者となっても、民を捨てて代わりの者を立てたりはしない。必ず、民の残りの者を生かしておく)」(イザヤ48:8-11)
「主はこう仰せられる。
主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。
『もし、これらの定めがわたしの前から取り去られるなら、―主の御告げ。―イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で一つの民をなすことはできない。』」(エレミヤ31:35,36)
もし、太陽が光を放たず、月や星の光が消え、海が波立たなくなったなら、神の選んだイスラエルは途絶え、一つの民族ではなくなるであろう。
しかし、太陽は輝き、月も星も輝いているではないか。神がそのように保っているからだ。それならば、イスラエルの子孫は残され、神が約束された地に、十二部族のイスラエルの国を建てて、とこしえのイスラエルの王キリストがダビデの王座に着く約束は、必ず実現する。
神は、アブラハムに、あなたの子孫は、すべての国々の祝福となると仰せられました。また、カナンの地をアブラハムとアブラハムの子孫に与えると仰せられました。
神は、ユダヤ民族の父ヤコブに仰せられました。
「あなた(イスラエル)の子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
見よ。わたし(神)はあなた(イスラエル)とともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り(あなたを途絶えさせず)、あなたをこの地(アブラハムとアブラハムの子孫に与えると約束したカナンの地)に連れ戻そう。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:14,15)
神は、ダビデ王に仰せられました。
「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)
神は、御自身の御子をダビデの家に遣わされて、神の御子イエス・キリストにあって、ダビデの王座を堅く立てられます。キリストは、すでに、神から、主権(とこしえの王位)と光栄と国(とこしえのイスラエル、すなわち七つの御霊の教会の霊の子どもたち)とをお受けになっています。
神のことばは地に落ちません。
「ひとりのみどりごが、私たち(イスラエル)のために生まれる。ひとりの男の子が、私たち(ユダヤ民族)に与えられる。
(神の)主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。(すなわち、ユダヤ民族に与えられるひとりの男の子「人の子」は、天から来られる方である。神は、神の子羊イエスを遣わすことで、イザヤの預言を成就されました)
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これを支える。(神の御子キリストは、地上に来られて、罪を贖い、御霊によって「新しい人」を創造される。神の御子キリストは、神のひとり子の栄光に留まらず、新しい創造主の栄光を打ち立てて、「新しい人」の「栄光の主」となられ、いのちある者といのちのない者とを仕分け、新生した御霊の子たちを集めて、とこしえのイスラエルを完成し、神がダビデに仰せられたとおり、ダビデの王座に着くとこしえの王となられる)今より、とこしえまで。(神は御計画を立てたその時から、とこしえまで、神の御子の主権を守られる)
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6,7)
神は、神御自身のみことばに忠実な方です。みことばゆえに、神は、ユダヤ人の残りの者を祝福されます。
「あなた(ユダヤ民族)はわたしのしもべ、イスラエル。
わたしはあなた(ユダヤ人)のうちに、わたしの栄光を現わす。」(イザヤ49:3)
「ただ、あなた(ユダヤ人から出る「イスラエルのメシア」、すなわち、ユダの総督)がわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族(十二部族)を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。(世界の国々からユダヤ人たちを祖国に帰還させるだけではない)
わたしはあなたを諸国の民の光(永遠のいのちの希望の光)とし、地の果てにまでわたしの救い(キリストの福音を告げ知らせて永遠のいのち)をもたらす者とする。」(イザヤ49:6)
「わたしの手は短いだろうか。(神には、御自身の御口で言い送られたことを成し遂げる力がないというのか)わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」(民数記11:23)
異邦人は注意しなければなりません。
聖書を信じる人たちは、聖書のみことばは真実で必ず成就すると言います。
もし、ユダヤ人は捨てられたと思ったり、ユダヤ人が捨てられてクリスチャンが御救いに預かる神の民イスラエルとなったと言って高ぶるならば、口に手を当てなければなりません。
神がお選びになったアブラハムとの契約、ヤコブとの約束、ダビデへの誓い。
神は、それらを忘れる方でしょうか。
ユダヤ人は捨てられた、神に愛されなくなった、と言って高ぶる人々は、「神は、みことばに不真実な方で、約束を守られることはない。」と言っているようなものです。
ユダヤ人を侮っているのではありません。
イスラエルをののしっているのではありません。
みことばの主、聖なる方をののしり、侮っているのです。
神の御手が短くてイスラエルを救うことができない、と偽証しているではありませんか。全能の神、主を侮ってはいけません。
ユダヤ人が捨てられないことは、闇に取り囲まれたクリスチャンにとっての望みではありませんか。
ユダヤ人に約束されたことを、神が成し遂げてくださるならば、クリスチャンに約束されたことも、必ず成し遂げてくださるのです。