ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

私たちは魂のアンカー

 

 スピリチュアルな人や霊的な働きに携わる人、また、仏教系の人など、様々な人々が、魂の生まれ変わりを信じています。

 

 キリスト教では、一度きりの人生という捉え方が一般的でしょう。

 しかし、罪は何度まで赦されるのか、何度まで赦したらよいのか、七度までですか、と尋ねるペテロに、イエスは、七度までではなく七を七十倍するまで赦すようにと言われました。

 

 イエスは、悔い改めるならば、何度でも赦してくださる神を、知らせてくださいました。

 神が、土の塵から人のかたちを造られた時、魂はすでに存在していたようです。神は、造られた人のかたちのものに、いのちの息を吹き込まれると、それは、生きるものとなりました。その息は、魂として、肉体に宿ったのでしょう。肉体の中で、神のいのちの息によって生かされる魂です。

 

 この魂は、天地万物が創造される以前に、天使長ルシファーの反逆に巻き込まれて天から落ちた堕天使たちではないのか、という人々もいます。

 おそらく、そうだと、わたしも思います。

 

 聖書に書かれていないことなので、断言できませんが、いのちは、神から離れて生まれることはないからです。なぜならば、永遠に生きておられる唯一まことの霊なる神は、いのちの根源であられ、「わたしはある」という名の神だからです。

 

 「わたしはある」とは、すべての「私」は神の中にあるということです。ひとりひとりの人が「私」と言うとき、「私」と名乗る一人一人は、本当は、存在していないということです。存在しているのに、存在していない、摩訶不思議なことです。

 実は、いのちは、個別に存在するものではない、ということです。いのちの体験をするために、便宜上、個々に分かれていますが、いのちそのものは、一つなのです。

 

 一つの魂が、いのちの根源である神に帰るために、肉体の中にはいって、いのちの体験をします。

 その生命は、父親と母親の遺伝子を受け継いでおり、それぞれの系図の思いや願いや罪や傾向などの要素を蓄積して生まれます。

 

 神は、その系図の中で学ぶようにと、世に送り出してくださったのでしょう。系図は、遺伝子の糸で繋がる運命共同体です。

 

 「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

 あなたは、自分のために、偶像(神以外に心の拠り所とするもの)を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。(神は霊だから、神にはかたちはない)

 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたし(いのちの根源)は、妬む神、わたし(いのちの根源である生けるまことの神、すなわち、いのち)を憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし(神のいのちを侮る者の家系は神に呪われ)、わたし(いのち)を愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。(聖なる神に喜ばれる人の家系は代々限りなく、神に祝福される)」(申命記5:7-10)

 

 ひとり一人の人には、家系があります。家系なんて関係ない、と人が思っても、実は、霊界では重要な枠組みのようです。

 

 ひとつの魂が、幾度も生まれ変わっているとすれば、それは、魂が正しいゴールに到達していないからです。

 過去の人生で、まことのいのちを得ることができなかったので、新しい家系に生まれ直して、いのちの試験をやり直しているのでしょう。

 ということは、過去の試験を受けて合格していない魂は、今の人生で失敗を繰り返さないための様々な経験データにより、その人に思い起こさせてくれるのかも知れません。

 

 過去のことは終了したことであり、やり直すことはできません。データとして、記憶の奥に残されているだけです。今の人生をよりよく生き、魂がいのちの試験に合格するのを助けるための情報です。過去の人生の記憶を思い出す必要はありません。その時間はありません。

 

 神は、家系を重視されるお方であることを思い出しましょう。系図がわからない人、実の親がわからない人も、神に立ち返るならば、魂の父に帰ることになります。その魂は、アンカーの務めを果たしました。

 ひとりの救いは、一人に留まりません。神に立ち返り、神の命令を守る魂は、その家系の重要なポジションに立つのです。

 私が生きていると思っていたら、実は、私の中には、多くの人生を生きた様々の経験データを持つ魂が生きているのです。しかも、今は地上に生きている肉体人間の私として、試験を受けているのです。

 

 初めて経験することなのに、懐かしさや親しみを感じる感覚を味わったことはありませんか。経験したことがないはずなのに、過去に同じような体験をしたかのような感覚に包まれる瞬間です。

 

 この感覚が起こるのは、魂が、その人のうちに、魂の本当の故郷を思い起こさせ、永遠への思いを目覚めさせようとしているのかもしれません。

 

 魂の故郷は、この世にはありません。目に見えない世界であり、愛といのちと喜びと平安、いのちの根源の中にあるのです。

 魂は、あなたが生まれた時、今度こそは、故郷に帰ることができるかと期待に胸を躍らせたことでしょう。

 

 しかし、母の胎内から出て、人間のことばやしきたりや常識などを教え込まれるうちに、心の目は目に見えるもの向けられて、魂のことは忘れてしまうようです。

 

 過去生がわかっても、それは実体のない抜け殻です。実体は、今生きている私にあるのです。

 もし、私が今生で魂の救いを受けることができたならば、魂の過去生の系図にも報いがあるのでしょうか。過去生も現世も一つの魂ですから、魂が救われるならば、過去生は失敗したが、とうとう魂の故郷に帰ることができる、ということでしょう。過去生の失敗はそのままです。それゆえ、過去生の系図が報われるわけではないと思います。また、終了している過去は、もはや責任に問われることはありません。

 過去生の人は、一度死にました。肉体の死によって、魂はニュートラルになったのです。

 

 私たちひとり一人の思考は、今生の系図の遺伝子情報と、過去生の経験データなどが複雑に絡み合っているでしょうが、私たちの魂の救いの恩恵を受けるのは、今生の系図なのでしょう。

 

 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト20:12)

 父と母は、自分が存在している原因です。父と母を憎む事は、自分自身の存在を憎むことであり、いのちの根源への感謝がないということになります。

 

 私たちひとり一人は、地上で生きている間は肉体に拘束されており、系図によって存在しています。魂はかたちのないものであって、肉体の中にはいらなければ、いのちの試験を受けることはできません。

 

 人はだれでも、一度死ぬことと死後に裁きを受ける事が定められています。神は、裁きを受けない魂、永遠のいのちを得る魂として、いのちの根源に繋がるために、魂に、いのちの試験を受ける人生を与えておられます。

 

 いのちの根源に繋がるとは、「わたしはある」といわれる神の中にはいることです。

 「私」という自我によって生きると、魂の声は聞こえません。自分の中に在る最も近い魂を知ることができません。

 しかし、心の素直な人は、知らず知らずのうちに魂の望む方に向かいます。

 

 神は、過去生のことを赦されたから、すべてを帳消しにして、新しい人生をはじめさせてくださったのです。記憶が消えていてよいのです。今生の私と、過去生の人生の二重生活を魂は望んでいないでしょう。せっかく、もう一度、試験を受けるチャンスを与えられているのですから、現実逃避しないで、今生をしっかり生きてほしいと思います。

 

 いのちの根源は、それぞれの魂に語りかけておられることでしょう。魂は、今度こそ、魂の故郷に帰ろうと働いているでしょう。

 

 いのちの主は、今生の人の魂が、いのちの道を見い出していのちの道に歩むように、とすでに救い主を遣わしておられます。

 魂の傷やシミやしわ、神のことばから離れ、好き勝手に生きて、神のいのちに高ぶる罪を赦すために、魂の父神のことば(神の御子)は人の子となって世に現われ、魂を死と裁きから救い出すために、贖いの血を流されました。キリストの血を受けた魂は、罪の贖いの子羊の血によってきよいのです。

 

 神が遣わされたキリストを信じると、魂は罪の滅びから解放されます。

 キリストの血は、罪人の心を神に向かわせ、いのちの根源と魂は和解を得ます。キリストは、天から来られた仲介者です。神と人との仲介者なのです。

 

 仲介者によって、魂は魂の故郷、神のみもとに帰ることができます。

 仲介者は、天の聖所で執り成す大祭司です。大祭司キリストは、救いを受け入れた魂に、神の御霊を授けられます。

 神に立ち返った魂の人の霊に、もうひとりの助け主を住まわせられます。真理の御霊です。真理を教え、イエスのことばを思い起こさせ、悪い者から守り、安全にいのちの道を進ませ、永遠のいのちを得るようにと、助けてくださいます。

 

 生まれ変わりがあるとしても、終わりの時代には、今のこの時が最後の試験になることでしょう。

 もし、今が、何度も生まれ変わっている魂の最後の試験であるならば、今生きている私たちは、魂のアンカーなのです。

 

 「天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。」(イザヤ34:4)

 黙示録では、第六の封印が解かれたとき、天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、山や島がその場所から移された(黙示録6:14)とあります。

 このとき、天体は消えて、地球を取り巻く太陽系銀河だけが残されるのではないのかと思います。

 

 千年王国は、何光年もかなたに居た星々の生命体(宇宙人と呼ばれる堕天使)の試験の時になると思います。

 新しく創造された人(御霊の教会)がキリストとともに管理する世界です。いのちの木の在るエデンの園の回復です。

 いのちの木の実を食べた人が、永遠のいのちを得ることのできる、神のことばの世界、いのちを創造する世界を、信仰に勝利した魂の人々がキリストとともに治めることでしょう。