この事は私の思いの中にあることです。
闇の中に天体を造られたのは主です。
天から追放された堕天使たちの中で、堕天使長ルシファーと一つ心ではない堕天使たちを憐れみ、彼らを悪魔と化した堕天使長から救い出すために、闇の中に天体を造られたのだと思います。
神は、星々の生命体(堕天使たち)の心を調べ、神のはかりにかなう魂を地球に置かれました。地球に、いのちある者(悪魔を避け神を恐れる心が残っている堕天使)たちを置かれました。
地球は、いのちある者たちの希望の星でした。
神は、地球の魂に、救いを与えようとの御計画でした。悪魔や悪霊どもの攻撃から守り、ほかの星々のようにブラックホールに飲み込まれないように、神に守られた星です。
神は、現象世界の星である、時間と空間に拘束される不自由と、太陽の光と水と空気によって生きる地球の中で、神を求めさせようとされたのでしょう。そして、神のことばによって生きる、という学びを用意されたのでしょう。
地球の営みによって従順を学んだ魂たちを試みる所が、エデンの園なのではないでしょうか。
神は、エデンの園を管理する「人」を造られました。神は、土の塵から造られた肉のからだの中に、神が聖別される魂をいれて神のいのちの息で生きる「人」とされました。神がひとり子のために、御子を助ける者としてより分けられた、比較的正しい堕天使たちの魂だと思います。
神は、ひとり子とともに、ひとり子のために「人」を造られました。神のことばである「神のひとり子」に聞き従う者として、御子のために造られました。
神の御子の主権に逆らう悪魔と悪霊どもを足台とし、御子の主権が堅く立てられるための協力者であり、神の御子の同労者です。
神は、土から造られた人のかたちに、いのちの息を吹き入れて、生きた「人」とされました。そして、神のことばとともにある「人」を、エデンの園に置き、エデンの園の管理者とされました。
「人」はひとりでした。神は、ひとりの人を御覧になって、園を正しく管理するためには、人のうちに愛を育てなければならないと思われました。
神の愛の中にいて神に愛されるだけではなく、人もまた、被造物を愛する者としなければなりません。人は、愛し愛されることの喜びと平安と管理することを学ばなければなりません。
そこで、神は、深い眠りにつかせて、人のあばら骨からもう一人の人を造られました。人は、自分のあばら骨から造られた人を非常に喜びました。
人は、「これこそ、ついに、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」と言い、また、自分をアダム、女をエバと名づけました。
こうして、ひとりの人は、男と女に分かれて一体になることを学びます。互いに互いを分かち合い、受け入れ合い、愛を学ぶためです。ひとりの人である時よりも、成熟する者となるためです。
ところが、エバが蛇の言葉に騙されて、神のことばを守りませんでした。エバは違反者となりました。アダムは、違反者となったエバを咎めることなくエバとともに、違反者となりました。
エデンの園の管理者である人は、神のことばに従うことよりも、妻を選び、エバの言葉に従いました。人は、主人である神よりも、エバを愛して、神のことばから外れました。人は、神の御思いよりも、自分の思いを選んだのです。
神は、自分自身を主人とする「人」をエデンの園から追放されました。悪魔は、蛇に言葉を授けて人を惑わし、人を神のことば(神のひとり子)から引き離しました。神のことばから外れた人は、いのちから切り離されました。
神が禁じられた「善悪を知る知識の木」の実を食べた人は、違反者であり、「罪人」となりました。罪の報酬は死です。
神は、人を死なせないために、「善悪を知る知識の木」の実を取って食べてはならない。」と命じておられました。
「それを取って食べるその時、あなたは必ず、死ぬ。」と仰せられた神のことばは、アダムとエバの上に成就しました。
神は、堕天使たちの救いの仕分けのために、「善悪を知る知識の木」をエデンの園に置かれていたのでしょう。試みに勝利する堕天使たちの魂には、「いのちの木」の実を取って食べる祝福を用意しておられたのでしょう。
エデンの園から追放された「人」は、罪ある者となって、自ら試みられるものとなりました。被造物を管理する管理者失格です。
管理者アダムの背きの罪により、被造物全体が罪の中に入れられました。
このことは、天使長ルシファーの反逆の罪により、ルシファーに統率されていた天使たちもまた、天から追放されたのと同様です。
神は、土の塵から造られた人が、きよいものを選ぶことのできない弱い者であることを御存じです。
堕天使たちの御救いの計画は中断しました。管理者である「人」を失ったからです。エデンの園の機能は、管理者を失って、中断されました。
神は、まず、管理者である人を、正しい位置に戻すことを御計画されました。
人のうちに罪を認めたエデンの園で、神は御自身の定めを仰せられました。
「わたし(創造主である全能の神、主)は、おまえ(人をだました蛇、すなわち、悪魔の子)と女(人の子)との間に、また、おまえの子孫(獣の霊)と女の子孫(人の霊)との間に、敵意を置く。(獣の霊と人の霊とは、敵対するものであり、和合することはない)彼(罪のない人の子)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(悪魔の子)は、彼(神が遣わす全き「人の子」、すなわち、処女から生まれる「肉体を持つ神のひとり子キリスト」)のかかと(ヤコブの子孫、神の御子キリストを生むユダヤ民族、すなわち、イスラエル)にかみつく。」(創世記3:15)
永遠に生きておられる神は、悠久の時の中で、御計画を実現されます。
神に反逆し、天から追放された堕天使たち。
悪魔となった堕天使長と、悪魔に従う悪霊となった堕天使たちは、闇を支配する滅びの子となりました。
悪霊にならなかった堕天使たちも大勢います。彼らは神が造られた天体にかくまわれます。また、光を求める堕天使たちを、光に立ち返らせるために地球を造られました。
神は、地球の現象を通して、いのちを学び、愛と調和のことを学んだ堕天使たちを試みるエデンの園を造られました。
神は、人を造り、エデンの園の管理者とされました。
人は、悪魔に騙され神の命令にそむいて罪ある者となり、死ぬ者となって、エデンの園から追放されました。
被造物全体が、罪の縄目に苦しみうめきました。
神は、人をエデンの園の管理者として回復させるために、神のひとり子に肉体を造り、ヤコブの子孫の処女から「人の子」として生まれさせました。
神が遣わされた「人の子」イエスは、世の罪を取り除く神の子羊として十字架にかかり、死なれました。
神の子羊イエスは、三日目に墓から甦り、霊のからだで復活し、イエスの弟子たちに現われました。
イエスは、ご自分は死んでも甦り、いつまでも生きている「キリスト」であることを証して、弟子たちの見ている間に天に上られました。
神の子羊イエスは、天の御座におられる方(父なる神)から、主権と光栄と国をお受けになりました。その主権はとこしえのものです。神の子羊イエスは、天の聖所で仕えるとこしえの大祭司、とこしえの国の王、黙示を与える預言者、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けて、神の御座の右の座に着座されました。
最初の人アダムの時代は古いとされ、蛇の頭である悪魔を踏み砕くために神が遣わされた「罪の贖いの神の子羊イエス」が開く新しい創造の時代が始まったのです。
世の罪を取り除く神の子羊の血が流されると、罪の報酬である死の呪いは打ち砕かれました。神は、キリストの死と復活により、罪人たちの信仰を試されます。
キリストを信じる者は義とせられ、キリストを信じない者の罪は残ります。神は、神が遣わされた救い主を信じた者たちに、死から復活する「キリストの御霊」を与えられます。彼らは信仰により、キリストの御霊によって新しい創造を受けます。
女から生まれた人は、肉の人。最初のアダムの子孫です。生まれつきの人です。彼らは死んで土にかえります。
御霊によって生まれた人は、御霊の人。神の御子イエス・キリストによる新しい創造の「第二のアダム」です。彼らは死んでも甦って霊のからだで復活する御霊の子、すなわち、天の御国にはいる神の子どもです。
キリストは、神から主権と光栄と国を与えられています。とこしえの主権であり、とこしえに生きる国民の王です。
神は、キリストに国を与えられます。御霊によって新しい創造を受けた七つの御霊の教会です。
神は、地上に平和の君キリストが治める千年王国を、神の子羊イエスにお与えになります。争いはなく、武器が農具に打ち直される、愛と調和と喜びと平安に満ちた平和な国です。
永遠のいのちを得させられた御霊の人たちが、キリストとともに治める世界です。エデンの園の回復です。
神の都には、いのちの木があります。善悪を知る知識の木はありません。千年王国は、試みの世界ではありません。神に義とされた人たちが、都にはいって「いのちの木の実」を食べて、永遠のいのちを得させられる世界です。
神のことばは、「イスラエルの王(神の子羊イエス・キリスト)」となられました。
エデンの園の管理者のアダムは、キリストの血によって贖われ、聖霊の宮に造り変えられて、永遠に生きる「新しい人」となりました。
悪魔を踏み砕いたキリストが治められる国は、永遠に生きる者の国です。神の子どもたちの現れにより、被造物全体が滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
反キリストが聖徒たちを苦しめて世を悪魔礼拝の世界とした三年半の時の後に訪れる、まことの平和です。
アダムを管理者として置かれたエデンの園は、いのちの木の実を食べる園として回復します。
神は、新しい管理者を得ました。御霊によって新しく生まれた人(第二のアダム)です。第二のアダムは、新しいエデンの園(千年王国)の管理者です。
悪魔は千年の間縛られています。すべての堕天使たちの御救いの時です。
「いのちの書」に名前のしるされている人たちは都に入り、いのちの木の実を食べることが許されて、天の御国にはいる永遠のいのちが得られます。
最後の時代に回復する、キリストと御霊の子どもたちによって管理されるエデンの園は、宇宙全体の被造物の御救いをもたらします。
こうして、宇宙全体の中から集められる光の子らは、闇と滅びから永遠に救い出されるのです。