ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の子どものしるしは御霊

 

 神は、全地にあってアブラハムを選び、アブラハムに仰せられました。

 「あなた(アブラハム)は、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたし(全能の神、主)の契約を守らなければならない。

 次のことが、わたしとあなたがた(アブラハムの家)と、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがた(アブラハムの家)の中のすべての男子は割礼を受けなさい。

 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫でない者も。(アブラハムの家で仕えるしもべにも、また奴隷にも、神は割礼を要求されます)

 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者(奴隷)も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。

 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民(契約の民)から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」(創世記17:9-14)

 

 永遠の昔からおられる、生けるまことの神は、契約の神です。契約のことばを与え、神の命令に従うことを要求されます。

 

 神は、最初の人を造ってエデンの園に置かれると、人に命じて仰せられました。

 「あなたは、(エデンの)園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

 しかし、善悪を知る知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16,17)

 

 神の命令はただ一つでした。善悪を知る知識の木からは、実を取って食べてはならない。

 それ以外の木の実は、どれを取って食べてもよいのです。善悪を知る知識の木の実だけはいけないのです。なぜならば、それを取って食べる時、いかなる理由があろうとも、その実を取って食べるその時、必ず死ぬからです。

 

 しかし、人は、そのたった一つの命令を守ることができませんでした。「必ず死ぬ。」と警告までされていたのに、誘惑に打ち勝つことができませんでした。

 それで、人は、エデンの園から追放され、エデンの園の管理者でなくなりました。そして、自分自身が生きていくのもままならない、惨めな者になってしまいました。

 

 神は、アブラハムと契約を結ぶ時、アブラハムの家の男子の包皮の肉を切り捨てることを命じられました。肉に施した割礼が、契約のしるしとなるのです。

 割礼のない者は、無割礼の男として神に退けられます。彼は、神の契約を破る者です。契約を破る者は、神の民にふさわしくありません。その者は、神に聖別された契約の民から絶ち切られなければなりません。

 

 契約の民の中に、神の契約のしるしのない者がいてはならないのです。それは、神を侮り、聖なる神をけがす者です。愛餐のしみです。神の聖別された民の中に、不純物があってはなりません。

 

 アブラハムの子孫は、契約の民から絶ち切られないために、生まれて八日目に割礼を施します。今も続いています。アブラハムの子孫は、神の契約に忠実です。彼らは、神の契約のしるしを持つ民です。

 

 イエスは弟子たちに言われました。

 「だれでも私(神の御子イエス)を愛する人は、わたし(イエス・キリスト)のことばを守ります。そうすれば、わたしの父(全能の神、主)はその人を愛し、わたしたち(イエスとイエスの父)はその人を愛し、わたしたちは(わたしたちが聖霊を遣わすと真理の御霊は)その人のところに来て、その人とともに住みます。(神の子どもは、御父、御子、聖霊の三位一体の神の交わりの中にはいる者です)

 わたし(神の子羊イエス)を愛さない人は、わたし(神の御子キリスト)のことばを守りません。あなたがたが聞いていることば(イエスがこの世を去った後で、父はもうひとりの助け主を遣わされるという約束)は、わたしのもの(イエスのことば)ではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。(真理の御霊をお与えになることは、神の御子イエス・キリストを信じる者との父の約束なのです)」(ヨハネ14:23,24)

 

 イエスは、父の約束である「もう一人の助け主」について、言われました。

 「わたし(イエス・キリスト)は、あなたがた(イエスの弟子たち)といっしょにいる間に、あなたがたに話しました。

 しかし、助け主、すなわち、父がわたし(神の御子イエス・キリスト)の名によってお遣わしになる聖霊(キリストのバプテスマは、聖霊のバプテスマです。父なる神が、神の御子イエス・キリストの御名によって授けるバプテスマのしるしとして遣わされる聖霊)は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:25,26)

 

 水のバプテスマは、神の子どもとなるバプテスマではありません。

 神を知らなかった者が、キリストの十字架の贖いの福音を聞き、自分のうちに死に至る罪があることを知って、罪を悔い改めて神に立ち返り、滅びる人生から救い主イエスとともにいのちの道を歩みたいと心の向きを変え、そして、罪を贖って永遠のいのちを得させてくださる救い主イエス・キリストとともに生きて行きます、という決意の表明でした。

 

 神のひとり子イエスは、もとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知りませんでした。

 

 神は、この方(神の御子イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々(「イエスは、天の神が遣わされた罪の贖いの神の子羊であり、死に定められた罪人を死から救い出し、永遠のいのちを得させてくださるキリストである。」という真理を信じた人々)には、神の子どもとされる特権をお与えになりました。

 

 私たちは、水のバプテスマを受けることで、神の子どもとされる特権を得たのです。

 

 神は、彼らを神の子どもとするために、キリストのバプテスマを授けられます。イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊のバプテスマです。

 

 アブラハムの契約は、肉の割礼がしるしでした。

 アブラハムの子孫イスラエルの契約は、割礼のしるしと神の律法でした。

 イスラエルの律法の最も大切な律法は、「神が遣わされるキリストに聞き従わなければならない。」です。

 しかし、神のひとり子キリストがご自分の国であるイスラエルに来られたのに、ご自分の民(ユダヤ人)は信じませんでした。

 

 神に遣わされたキリストは、永遠のいのちを得させて、天の御国にはいらせてくださる「とこしえの救世主」です。

 神は、神の御子イエス・キリストのために、とこしえに生きる神の子どもたちを創造されます。神は、肉のイスラエルを天に引き上げられるのではありません。

 死から甦られたキリストにふさわしく、死から甦り永遠のいのちを得させられる「とこしえのイスラエル」を創造されます。

 

 真理の御霊は、新しい創造をされる「もうひとりの助け主」です。神は、御霊によって、キリストに似た新しい人に造り変えてくださいます。

 

 「とこしえのイスラエル」はユダヤ人でもキリスト者でもありません。御霊によって新しい創造を受ける人たちです。

 神の子どものしるしは、「肉の割礼」でもなく、聖書でもありません。御霊を受けることです。

 

 イエスのことばを思い起こさせ、真理を教えてくださる御霊が、その人のうちに住まわれます。

 神の子どものしるしは、「心の割礼」です。(肉の割礼は、包皮の肉を切り捨てますが、心の割礼は、自我を切り捨てます)

 

 パウロは言います。

 「肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬほかはないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。

 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。

 その霊(御霊)によって、私たちは(天の神を)『アバ、父よ』と呼ぶのである。

 御霊みずから、私たちの霊とともに、私たちが神の子であることをあかしして下さる。」(ローマ8:13-16)

 

 イエスは言われました。

 「わたし(イエス・キリスト)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」(ヨハネ14:27)

 

 イエスは世を去り天に戻られましたが、魂の救いを得させるもうひとりの助け主【真理の御霊】を授けて下さり、キリストの信仰を与え、平安を与えられます。