主は言われます。
「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。(啓示の霊を注ぐからである)
その日、わたしは、しもべ(聖徒、すなわち、ユダヤ人とキリスト者)にも、はしため(異邦人と異教徒)にも、わたしの霊(生かす御霊)を注ぐ。」(ヨエル28,29)
二千年前、神は、神の御子イエス・キリストを、御自分の民イスラエルに遣わされました。しかし、多くのユダヤ人は救い主を信じませんでした。
キリストの福音は、異邦人に宣べ伝えられ、約束のなかった異邦人が救い主イエス・キリストを信じました。
神の慈愛が異邦人を悔い改めに導いたのです。
神は御自身の栄光のためにあらかじめ用意しておられた憐れみの器(救いに定められていた人たち)に対して、その豊かな(憐みと愛と慈しみの神の、御救いの)栄光を知らせてくださるためにです。
パウロは言います。
「それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。
『わたしは、わが民でない者(ヤコブの子孫ではない者たち)をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。
「あなたがたは、わたしの民ではない。」と、(無割礼の異邦人たちに)わたしが言ったその場所で、彼らは生ける神の子どもと呼ばれる。』」(ローマ9:25,26)
異邦人の多くが、ユダヤ人のイエス・キリストを、「わが主。わが神。」と呼びます。
「イエスは立って、大声で言われた。
『だれでも渇いているなら、わたし(イエス・キリスト)のもとに来て(いのちの水〈魂を癒し、霊を生かす真理の御霊〉)を飲みなさい。
わたし(救い主イエス・キリスト)を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける(神の子羊イエスが神の御計画を成し遂げて、罪の贖いと死からの復活の新しい創造の「新しい人」、すなわち、第二のアダムの初穂となられたあとで、天に上り、御父から聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けられ、そして、イエス・キリストの御名のよって注がれる)御霊(天の御国へと導く「もうひとりの助け主」)のことを言われたのである。
イエスはまだ(神の子羊の十字架の死と復活のみわざによって、御父から聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を有するキリストの御名の)栄光を受けておられなかったので、(助け主である)御霊はまだ(地上に)注がれていなかったからである。」(ヨハネ7:37-39)
律法の文字(聖書)は、いのちを教えますが、心の奥底からいのちを溢れさせて生ける水の川(生かす御霊)が流れ出るようなものではありません。
イエスは言われます。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書(ユダヤ人に救い主を遣わすと約束された預言のことば)が、わたし(神の子羊イエス・キリスト)について証言しているのです。(聖書の中に永遠のいのちの鍵があることを信じて、それを見いだそうと捜し求めているが、実は、律法と詩篇と預言者を成就する神のひとり子ナザレのイエスが、天からの使者であり、永遠のいのちを得させるキリストなのです)
それなのに、(こんなにもはっきりと、聖書に示されているのに)あなたがたは、(永遠の)いのちを得るために(神に遣わされた救い主である)わたし(神の御子イエス・キリスト)のもとに(永遠のいのちを得ようと、真理を尋ねに)来ようとしません。」(ヨハネ5:39,40)
イエス・キリストのことばを聞いて、キリストを遣わした方(御座におられる方)を信じる者は、(真理を受け入れる信仰により)死から復活し永遠に生きるキリストと繋がって、キリストのからだの一部となり、キリストのいのちを生きる者となります。
肉体のいのちは、全身を行き巡る「血」にあります。血はいのちです。
キリストのからだのいのちは、魂を生かす御霊にあります。御霊は永遠のいのちです。
終わりの時代に、神は、聖霊を注がれます。生かす御霊を注がれます。
愛に根ざし、愛に基礎を置いている人に、御霊の愛が注がれます。こうして、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることとなります。キリストの愛に触れた者には、真理が開かれます。真理の光が目を明るくし、啓示の霊によって、真理を悟るのです。
終わりの時代には、霊的な現われをされます。
イエスの時代、神は肉体を持った人の子として、訪れてくださいました。しかし、人の霊は閉じたままでした。霊は暗く、魂は人の図りにしたがい、さまよっていました。
終わりの時代、神は目に見えない真理の御霊、まことの光として、訪れてくださいます。すると、心の貧しい者(心の低い者)、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇いている者、憐れみ深い者、心のきよい者(純真な者)、平和をつくる者(争いではなく、平和と和合を愛する者)、義のために迫害されている者などは、理屈ではなく、霊によって敏感にキャッチします。
御霊に示される人は、自分の霊で、すぐさま、はっきりと「永遠のいのちを得させてくださるキリスト」を知るのです。