2025年7月5日、様々な噂がありましたが、無事に守られました。
災害でおののくのではなく、みなが心をひとつにして、感謝と喜びをささげるならば、もしそうであったとしても、大難が小難に、小難が無難になると信じるひとりの人のうちに、神鍋高原に集ってともに祈ることで、ともに闇を破って光を開こうという思いがわき、みなに声をかけて実現した、神鍋高原フェス。
集合意識の力を信じる人たちが集まり、その思いは天に届きました。
アメリカは、日本人の集合意識の特別な力に気づいており、戦後、日本人に「個」の思想を植え付けたようです。
聖書の士師記には、神から特別な力をいただいたサムソンのことが書かれています。
サムソンは神に誓約をささげる生まれながらのナジル人でした。
サムソンの母は、ダン人の氏族でマノアの妻。不妊の女で、子どもを産んだことがありませんでした。
主の使いは、この女に現われて言いました。
「見よ。あなたは不妊の女で、子どもを産まなかったが、あなたはみごもり、男の子を産む。
今、気をつけなさい。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。
見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」(士師記13:3-5)
イスラエルの士師である怪力サムソンの力は、ペリシテ人をおびやかしました。
サムソンは、自分の力の源が神であることを知っていました。
サムソンの力の源を知りたいとしきりにせがみ、責め立てる妻デリラに嘘をつき続けることは、サムソンにとって死ぬほどつらいことでした。
とうとう、サムソンは、デリラに真実を明かしました。
「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私(サムソン)の神の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」(士師記16:17)
デリラは、ひとりの人を呼んで、自分のひざの上で眠らせたサムソンの髪の毛をそり落としました。デリラはペリシテ人の領主たちを呼んでおり、ペリシテ人たちは、その手に銀を持って上って来て、デリラに銀を与えました。
ペリシテ人は、主が去られたサムソンをつかまえて、その目をえぐり出し、サムソンをガザに引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつなぎました。
こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていました。しかし、サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸び始めました。
ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをささげて楽しもうと集まり、「私たち(ペリシテ人)の神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくださった。」と言い、また、民を見たとき、「私たちの神は、私たちの敵を、この国を荒らし、私たち(ペリシテ人)大ぜいを殺した者(サムソン)を、私たちの手に渡してくださった。」と言いました。
彼らは、心が陽気になったとき、「サムソンを呼んで来い。私たちのために見せものにしよう。」と言って、サムソンを牢から呼び出しました。
目のないサムソンは自分の手を堅く握っている若者に、「私の手を放して、この宮をささえている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」と言いました。
宮は、男や女でいっぱいであり、屋上にも約三千人の男女がいて、サムソンが演技するのを見ていました。
サムソンは主に呼ばわって言いました。
「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私(サムソン)を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」(士師記16:28)
そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかると、「ペリシテ人といっしょに死のう。」と言って、力をこめて、それを引きました。
すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ち、サムソンが死ぬときに殺したペリシテ人は、サムソンが生きている間に殺したペリシテ人の数よりも多かったのです。
日本人の集合意識は、この髪の毛が伸びたサムソンの力のようだ、と私は思います。神のナジル人サムソンは、髪の毛が伸びたことで、主の力を取り戻しました。
「個」の意識を握らされていた日本人が集合意識に目覚めて、再び、「和国」の精神を取り戻すならば、神の力が働きます。
7月5日の災難は、神の計画にあったことかも知れません。しかし、日本人が目覚めて、ともに一つ心で、霊とまことをもって感謝し喜び楽しむならば、神の裁きの手は動きません。
もし、日本人が災難の預言に震えおののいて、闇を見ているならば、その事は起こったのかも知れません。
しかし、日本人の中に、闇を見ないで、光を見ようと、光を求めた人たちがいたのです。しかも、ともに集い、心を一つにして宇宙に光を放とうとしたのです。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)
いのちは人の光です。これらの日本人は、天地万物を造られたいのちの根源、自然と宇宙、霊なるもの、いのちを求めたのです。
神は、日本人の霊の目が目覚めるならば、災害を起こす必要はありません。災害は、神から心が離れた者を神に立ち返らせるために有効な手段です。
富士山から、各地に真理の光が放たれる幻を見ました。神鍋高原にも放たれています。
2000年に、富士山の上に鎮座されたと古神道の言う「国常立の神」。かつて、あまりにも厳格な神であるため、地の神々に丑寅(北東)の方角に封印されたと言われる「うしとらの金神」。まだ、日本の神々は、国常立の神に仕えることなく、天照大御神の下にいたのでしょう。
2025年、いよいよ封印が解かれて、国常立の神が日本の精神性を回復して、「和国」(自然と調和し、被造物が一体となり、和する心の民の国)を建て上げられるのでしょう。
この「和国」は日本人の国ではありません。
あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の人々が、神の御霊によって一つとされる「御霊の教会」です。
教会というと、クリスチャンの集まりのように思われますが、そうではありません。ユダヤ人や異邦人、あらゆる人種がおり、また、ユダヤ教、キリスト教、神道、仏教、そのほかの宗教や無宗教の人たちで構成される神の民、霊なる生けるまことの神を礼拝する、生きた霊の人たちです。
死んで行く肉体の命ではなく、生かす御霊によって永遠のいのちを得させられる神の民は、魂によって真実を捉え、霊によって神を知る者、また、神の愛に結びつく新しい人たちです。
神は、封印が解かれた日本国に、新しい「和国」を、純真な魂のために造られるのでしょう。これは、物質の国ではなく、霊の国です。
日本国には、終わりの時に、世界に救いをもたらすふたりの証人(「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」のユダヤ人)が隠されています。
神は、日本国から、千年王国にはいる「とこしえのイスラエル」を新しく創造され始めるのではないでしょうか。すべてのユダヤ人は救われる、と神の約束があります。現在のイスラエルは、ふたりの証人の宣教によって、霊の覆いが取り除かれるのでしょう。
日本人の魂は、目覚めています。大和魂は目覚め、調和する集合意識は回復し、天と繋がります。その健やかな和の心は、世界に及び、多くの魂がその集合意識に加わって行くことでしょう。
日本人の魂に、和の心が回復し、集合意識が甦り、生かす御霊によって新しく造り変えられる「新しい神の国」が目に見えないところで創造されて行くことでしょう。