ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

貪欲によって目をくらませるな

 

 イエスは人々にたとえを話されました。

 「ある金持ちの畑が豊作であった。

 そこで彼(金持ち)は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

 そして、こう言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

 そして、自分の魂にこう言おう。「魂よ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。(生きるための必要はたくわえられた。もはや、労働も生きるための苦しみも味わうことはない。ただ、安心して人生を楽しもう)」』

 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえの魂は、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

 自分のために(自分自身の生命の守りと安心のために)たくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:16-21)

 

 金持ちは、肉体の生命を生きていました。魂に語りかけながら、永遠に生きる魂に永遠のいのちを与える生き方をしていなかったのです。

 肉体は老いて死んで朽ちて土にかえります。

 しかし、魂は、永遠のいのちを得ようと切実な思いでいるのです。

 

 すべての人の肉体は、必ず、滅びます。しかし、すべての魂は、死ぬことがありません。永遠に残るのです。魂は、おそらく幾度も肉体を脱いでは、永遠のいのちを得るために、生まれ変わって再挑戦しているのではないでしょうか。

 

 この金持ちは、魂の課題を忘れて生きていました。肉体の自分が、魂の実体だと思ってしまったようです。実は、肉体の自分の本体は魂にあり、また、魂の実体は、いのちの根源にあるのです。

 魂は、肉体をもって生まれ、魂の実体であるいのちの根源(生けるまことのいのちの神)に帰る道を求めているのでしょう。

 

 しかし、多くの人は、目に見えるものが本当の世界で、霊の世界は人の空想の世界だと考え、真理をひっくり返していることに気がつきません。有限の世界にしがみつき、無限の世界を知ろうとしません。

 

 金持ちは、豊かな財産に満足し、これで安心して生きて行けると、自分の魂に語りかけました。

 しかし、神は仰せられます。「おまえの魂は、今夜おまえから取り去られる。」すなわち、おまえには、もはや命は残っていない、今夜死ぬのだ、と言われたのです。

 

 金持ちは、自分は賢い生き方をしていると思っていました。貧しい人たちのように、あくせくしなくてよいのです。明日のことを心配しなくてよいのです。

 しかし、神は、金持ちを、「愚か者。」と叱責されました。

 

 金持ちは、自分を人生の中心に置き、自分のために生きていました。魂が肉体をもって生まれてきた目的に無頓着でした。

 魂は、魂の牧者のもとに帰りたいと願っていたことでしょう。

 しかし、目に見えない霊の世界のことは死んでみないとわかりません。今、自分は生きているのです。死後のことを考えるよりも、生きている今の自分を喜ばせてあげたいではありませんか。

 

 金持ちは、自分の富を見て、満足し、自分は人生の成功者であると考えたことでしょう。

 

 しかし、神は言われます。

 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおり、死後の備えなく、また、自分の財産を自分で使うことなくすべての財産を残し、自分の予期しない時に死を迎えるのです。そして、魂は、再び、闇にとらえられて、平安がありません。

 

 イエスは、金持ちに言われます。

 「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布(天に覚えられる生き方、与える生き方)を作り、朽ちることのない宝(神の称賛)を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。(施しは、神にささげられた、天の御国に残る永遠の財産です)」(ルカ12:33)

 

 神は、限りある肉体の人生が、魂の実体ではないことを教えておられます。

 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と気をもむことは、肉体のことです。これは、魂のことを心に留めず、神を知ろうとしない人々も熱心に求めていることです。

 

 神は、本来の生き方を知らせようとしておられます。

 それは、魂の生き方です。魂は、魂の父のもとに帰りたいと願っているのです。

 

 神は、魂を魂の父のもとに帰らせるために、天から救い主を遣わされました。

 世の滅び、肉体の滅び、死の滅びから救い出す、魂の救い主(神の子羊イエス・キリスト)です。

 

 神の御子イエスの歩まれた道の先に、いのちの根源であられる父がおられるのです。父から遣わされたイエスは、父のもとに帰る道を開き、父のみもとに帰られました。人は、神の御子イエス・キリストの御足跡を歩んで、御父のみもとに帰ります。

 

 「イエスは、みなの者に言われた。

 『だれでもわたし(神の御子イエス・キリスト)について来たいと思うなら、自分を捨て(自分の肉の欲を満足させるために生きるのをやめ)、日々自分の十字架を負い(天の御国のための生き方をし)、そしてわたし(イエス・キリスト)について来なさい。

 自分のいのちを救おうと思う者(自分のために生きる者)は、それ(魂の救い、すなわち、魂のいのち)を失い、わたし(神の御子)のために自分のいのちを失う者(自分の行きたくない所に連れて行かれる者)は、それを救うのです。(魂の救い、すなわち、永遠のいのちを得るのです)

 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身(魂)を失い、(御救いを)損じたら、何の得がありましょう。(人として生まれて来たのは、魂の救いを得、永遠のいのちを得させられる魂となるためではなかったのですか)」(ルカ9:23-25)

 

 イエスは言われます。

 「何はともあれ、あなたがたは、神の国(神に義とされる生き方と、神の子どもとされる歩み)を求めなさい。そうすれば、これらの物(あなたがたの生活に必要な物)は、それに加えて与えられます。

 小さな群れよ。(世の人々があなたがたの歩みを理解できずに、蔑んだり、憎んだりしても)恐れることはありません。あなたがたの父である神(魂の父)は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(この地上の苦しみには必ず終わりが来ます。あなたがたは肉体の死を恐れることはありません。なぜならば、神はあなたがたに、永遠のいのちと新しいからだをお与えになるからです)」(ルカ12:31,32)

 

 「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12:34)

 自分の心の中に何があるのか、調べましょう。そして、魂の御救いを第一としましょう。

 魂がいのちの根源のもとに帰るならば、そこには、神が設けられた永遠の住まいが用意されているのです。

 そして、神の国の為にした施しや祈りの報いを受け取り、神の称賛と、誉れをいただくのです。