預言者ヨナは、神に命じられて、イスラエルの敵であるアッシリアのニネベの町へ行って、神のことばを叫ばなければなりませんでした。
自国イスラエルを苦しめる敵国の民の救いの為に、彼らにイスラエルの神のことばを伝えなければならないなどとは、思いもよりません。
イスラエルの神は、ユダヤ民族の神であられますが、天地万物を造られた全能の神、唯一まことの天の神でもあられます。
「その日、エジプトの国の真中に、主(全能の神、万軍の主)のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らが虐げられて主に叫ぶとき、主は、彼ら(エジプト人)のために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。
そのようにして主はエジプト人に御自身を示し、その日、エジプト人は(生けるまことの神)主を知り、生贄とささげ物(賛美と献金)をもって(全地の主に)仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。
主はエジプト人を打ち(懲らしめ)、打って彼らを癒される。(神は、神の子どもたちを懲らしめられる。神は、主を知るエジプト人をイスラエルと並べて、神の子どもとされる。神の懲らしめを受けるエジプト人は、罪が暴かれ、我に返って罪を悔い改め、そして、彼らの魂は、いのちの根源にへりくだって、素直に悔い改める真実な魂、神に覚えられる魂とされる)
その日(エジプト人の回復の時)、エジプトからアッシリアへの大路ができ、アッシリア人はエジプトに、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人とともに主に仕える。(エジプト人の中からも、アッシリア人の中からも、主に立ち返って、主に仕える者が起こる)
その日、イスラエルはエジプトとアッシリアと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。(おそらく、イスラエルの中の多くのユダヤ人たちが我に返り、生けるまことの神(イエス・キリストの父であられる神)に立ち返るのでしょう)
万軍の主は祝福して言われる。
『わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリア、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。』(神はいつまでも怒ってはおられません。いのちの根源であられる神に立ち返って、罪を悔い改める者、おそらく、神が遣わされた救世主【神の御子イエス・キリスト】を信じる者は、イスラエル人の敵であっても、罪を悔い改めるならば、神がキリストの血によって贖い、彼らの罪を赦して、イスラエルと同じ神の民に加えられるのでしょう)」(イザヤ20:19-25)
四百年間、神の祭司の国民ユダヤ民族を奴隷として苦しめたエジプトに対して神は宣告しておられました。
「わたし(イスラエルの神、主)はエジプトの王に立ち向かい、強いが砕かれている彼の腕を砕き、その手から剣を落とさせる。(エジプトを戦いの敗者とする)
わたしはエジプト人を諸国の民の中に散らし、国々に追い散らす。
しかし、わたしはバビロンの王の腕を強くし、わたしの剣(戦いの勝利)を彼(バビロンの王)の手に渡し、(エジプトの王)ファラオの腕を砕く。彼(ファラオ)は刺された者がうめくようにバビロンの王の前でうめく。(エジプトは、バビロン帝国によって苦しめられる)
わたしはバビロンの王の腕を強くし、ファラオの腕を垂れさせる。このとき、わたし(万軍の主)がバビロンの王の手にわたしの剣(万軍の主の剣)を渡し、彼(バビロンの王)がそれ(剣、すなわち、戦い)をエジプトの地に差し向けると、彼ら(エジプト人)は、わたし(イスラエルの神)が(天地万物を造られた全能の神、全地を統べ治める)主であることを知ろう。」(エゼキエル30:22-26)
神は、神の民イスラエルに対して高ぶった、ユダヤ民族の奴隷の家エジプトを裁かれました。
「わたし(イスラエルの神)はエジプトの地を、荒れ果てた国々の間で荒れ果てさせ(世界の国々の中で栄華を誇った大国のエジプトは、名もないつまらない国々と並べられて、力のない弱弱しいつまらない国とする)、その町々も四十年の間、廃墟となった町々の間で荒れ果てる。わたしはエジプト人を諸国の民の中に散らし、国々に追い散らす。
まことに、神である主はこう仰せられる。四十年の終わりになって、わたしはエジプト人を、散らされていた国々の民の中から集め、エジプトの捕われ人を帰らせる。彼らをその出身地、パテロスの地に帰らせる。彼ら(エジプト人)はそこで、取るに足りない王国となる。
どの王国にも劣り、二度と諸国の民の上に抜きん出ることはない。彼ら(エジプト人)が諸国の民を支配しないように、わたし(イスラエルの復讐をするイスラエルの神)は彼ら(エジプト)を小さくする。」(エゼキエル29:12-15)
イスラエルの神、主は御自分の民イスラエルのために戦われます。
神は仰せられます。
「復讐はわたし(神)のすることである。わたしが報いをする。」(ローマ12:19)
神の民の復讐と報いとは、主のものです。神は、神の時に立ち上がり、神の民を苦しめた者たちにふさわしい報いをお与えになります。神の民を祝福する者には、神の祝福を。また、神の民に高ぶって神の民を呪う者には、神の呪いをお与えになります。
神が遣わされた救世主(神のひとり子イエス・キリスト)が世界を救い、統べ治める時代になり、イスラエルの神の時代からキリストの時代に移行しました。
神が、神のひとり子イエス・キリストに、主権をお与えになったからです。
エジプト人の中にも、アッシリア人の中にも、キリストを信じる人が起こると、彼らもまた、神の民に加えられるのです。
アッシリアのニネベの宣教にしぶしぶ従った預言者ヨナは、ニネベの人たちが罪を悔い改めて神に立ち返り、神がニネベの町を滅ぼすことを思い直されたのを見て、不機嫌になりました。
神は、ヨナの不機嫌を直そうと、一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせると、ヨナは木陰をつくるとうごまを非常に喜びました。
しかし、神は、一匹の虫を備え、虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れ、ヨナは暑さで衰え果て、死を願って言いました。
「私は生きているより死んだほうがましだ。」(ヨナ4:8)
「主は仰せられた。
『あなた(ヨナ)は、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。』」(ヨナ4:10,11)
イスラエルの神は、預言者ヨナに、御自分はユダヤ人の神だけではないこと、ユダヤ民族の神は、エジプトもアッシリアも造られた「全地の神」であることを教えられました。
神は、エジプト人にも、アッシリア人にも、惜しみなく、御自分のひとり子イエス・キリストをお与えになります。イスラエルの敵であった彼らを、キリストにあって義なる者に造り変え、御自身の民に加えてくださるのです。
神は、御自分の民イスラエルの心を頑なにして、御自身が遣わされた神の御子キリストを信じることができないようにされました。
それは、神の囲いの外にいる異邦人を救いに招き入れるためです。なぜならば、イスラエルにキリストを遣わされた神は、全世界の神でもあられるからです。
異邦人はまことの神を知りませんでした。自分たちで造った偶像を「私たちの神」として拝んでいたのです。
しかし、生けるまことの神は、異邦人の死んだ霊をも生かしてくださいます。神は、異邦人に憐れみをかけ、啓示の光を照らして、異邦人が、神の救い主イエス・キリストを信じることができるようにされました。
御救いは、唯一まことの神が、万民の前に備えられたものです。異邦人は、神の選びの民ユダヤ人たちが悟ることのできなかった真理(天の神が遣わされた救い主神の御子イエス・キリスト)を悟り、ユダヤ人たちが見ることのできなかった生けるまことの神の栄光を見(イエス・キリストのうちに神の御子の栄光を見)、ユダヤ人たちが聞くことのできなかった神の御声(真理の御霊のことば)を聞くことが許されたのです。
神の民ではなかった異邦人たちが、神の遣わされたキリストを信じて、神の民ユダヤ人たちよりも早く、神の国の平安にはいっています。
キリストの民は、神の子羊イエス・キリストの血によって罪が赦され、罪の縄目から解放された自由を味わっています。
キリストの民は、キリストの御霊を受けて、魂の救いの喜びと平安を味わっています。
神は、イスラエルを愛するイスラエルの神であられ、また同時に、万民を愛するいのちの根源、唯一の神なのです。
神は、イスラエルにが立ち返る時を用意しておられます。
神は、イスラエルも、エジプトも、アッシリアも、あらゆる国々、あらゆる民族を愛しておられ、それらの魂が滅ぶのを望んではおられません。すべての魂を惜しまれる創造主なのです。
神は、ひとりひとりの前に、悔い改める機会を設けておられます。災害、事故災い、苦難、病気、大切なものの死、あらゆる場面でいのちを思う機会を備えておられます。そして、そのいのちの先におられる神(生けるまことの神)を知り、まことの神に救いを求めるように、と願っておられます。
ニネベの人たちが悔い改めて、行ないをただし、ひたすら神に、滅ぼさないように思い直してくださいとお願いしたように、だれでも、罪を悔い改めて魂の救い主キリストのもとに来るならば、キリストの愛はその魂をおおい、神の慈しみと恵みとは、その魂を死と滅びから救い出してくださるのです。