ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

魂に幸いを

 

 生けるまことの神、主は、いのちの根源であられ、霊の父です。

 霊の父は、アダムの罪によって神のことばから外れて霊の父を失ってしまった魂たち、すなわち、いのちの根源であられる神から外れて、死んでしまった霊の魂に、いのちをお与えになられます。

 

 生けるまことの神は、魂に永遠のいのちを与え、「幸いな魂」としてくださいます。

 人は、何を着ようか、何を食べようか、と肉体に関わることを心配しますが、肉体は一時的なものです。

 寿命になれば、肉体は老いて朽ち果てます。しかし、肉体の中にあった魂は、存在し続けます。

 

 死んだ霊の魂は、死の世界にはいると、からだのないまま、その意識を持ち続けます。

 しかし、神が用意された罪の贖いの「神の子羊イエス・キリストの血」を受けて神と和解し、神に立ち返った魂は、永遠のいのちが約束された「生かす御霊」を受けて、復活の新しいからだを着させられます。

 

 生かす御霊、すなわち、真理の御霊によって生きる魂は、キリストのからだとされます。一度死んで死から甦られた救世主イエス・キリストを頭とする、永遠に生きる復活の新しいからだです。

 

 土から造られた肉体の人、最初の人アダムは、死にます。

 「あなた(アダム)は、(エデンの)園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられた神のことばが、アダムの上に成就したからです。

 

 それゆえ、アダムの子孫、すなわち、地上で生きる全人類は、一度死ぬことと、死後に裁きが定まっている者です。神に逆らい、天から追放された堕天使長、すなわち、闇の主権者となった悪魔と同じ裁きが下ります。

 神は、天から追放された悪魔と悪霊どもを裁きに定めておられます。悪魔と悪霊どものために、永遠に燃える火の池を用意しておられます。

 

 エデンの園から追放されたアダム「人」もまた、悪魔の道(裁きの道)を辿る者となりました。エデンの園の管理者である「人」が罪に定められると、星々の生命体となった堕天使たち(宇宙人と呼ばれる「地球外生命体」)もまた、「人」の運命をともにします。

 すべての被造物は、裁きの対象となってしまいました。

 

 神は、悪魔に騙されて罪に堕ちたアダムを、悪魔の道から救い出し、死に定められた罪の呪いを取り除くために、人(アダム)の罪に代わって死の呪いを受ける「生贄の神の子羊」を用意されました。

 

 神は、祝福と御救いの契約を結ぶアブラハムのひとり子を、全焼の生贄として、モリヤの地でささげるように、とアブラハムに命じられました。すると、アブラハムは、イサクとふたりの若い者とを連れてモリヤに向かいました。

 

 神は、アブラハムに約束された御救いの約束を実現するために、全焼の生贄を必要とされたからです。アブラハムの契約を受け継ぐ跡取り息子のイサクの血(いのち)を要求されました。

 人類の御救いには、罪の贖いの血が必要です。罪の中で死んでゆく人類の罪を取り除く生贄を、アブラハムのひとり子に要求されました。

 

 アブラハムは、ひとり子イサクを全焼の生贄として神にささげるために、モリヤの地に向かいました。神には人を死者の中から甦らせることもできる、とアブラハムは考えたからです。

 アブラハムは、信仰によって、死者の中からイサクを取り戻しました。

 

 神は、アブラハムを試み、そして、アブラハムの信仰を御覧になりました。

 アブラハムが、刀を取って自分の子イサクを屠ろうとしたとき、主の使いが天からアブラハムの名を呼び、仰せられました。

 「あなた(アブラハム)の手を、その子(あなたのひとり子イサク)に下してはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。(アブラハムは、従いづらいことをも、ものともせず、神のことばに聞き従い、その心は神のことばとともにあった)

 あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたし(主)にささげた。」(創世記22:12)

 

 「アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼の生贄としてささげた。

 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある。』と言い伝えられている。」(創世記22:13,14)

 

 これは、神のひとり子である神の子羊イエス・キリストの型です。

 本来は、人類がみずから十字架にかかって、罪の処罰を受けなければなりません。しかし、神は、罪人の代わりに、「神の子羊」を用意してくださいました。

 肉体を造り、人の子として処女から生まれさせた「神のひとり子イエス」です。

 

 主の山には備えがあります。

 イサクの燔祭のための祭壇は、モリヤの地にありました。エルサレムにある神殿の丘です。かつて、イスラエル王国のソロモン王が建てた神の神殿のあった場所です。現在は、イスラムのモスクが建っています。

 

 神は、この場所に、本物のエルサレム、すなわち、人の手で造った神殿ではなく、天から下って来た「新しいエルサレム」を用意しておられます。永遠に生きる者たちのエルサレムです。

 キリストが統べ治められる平和な世界、千年王国の時代のエルサレムは、天から下って来た「神と神の子羊の御住まい、天のエルサレム」です。

 死から甦り、復活された新しいからだの「イスラエルの王、永遠に生きる主キリスト・イエス」の御住まいです。

 

 霊の父は、神の子羊の血で罪を贖い、死んでいた霊の「魂」に生かす御霊を授けられます。

 神のひとり子イエス・キリストは、魂の救い主です。

 

 まことの救い主は、生ける御霊を授ける神のひとり子イエス・キリストです。

 金銭を要求する強欲な偽りのキリストとは違います。

 まことのキリストは、救い主イエス・キリストを信じて「魂の救い」を得ることを要求されます。

 

 御救いを受ける人には、明らかな特徴があります。それは、神をほめたたえる賛美のくちびるが与えられることです。

 

 「なんと幸いなことでしょう。

 その力(私たちの力である生けるまことの神に喜び歌い、賛美する心)が、あなたにあり(賛美の力があなたのうちに宿り)、その心の中にシオンへの大路のある人は。(主の家に住み、常に主をほめたたえる人は幸いです。その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人は幸いです。〈賛美が主御自身にあってほかの神々に向かず、その心が神の家への道を歩み、神に心が定まっている者は幸いです〉)

 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。(主の道を歩むゆえの迫害や苦難さえも、神は祈りに変え、それをいのちの証とし、神の恵みと愛とを得る所とされます)」(詩篇84:5,6)

 

 「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなた(主の御霊)に、戒められ、あなたの御教えを教えられる(イエスのみことばを思い起こさせ、真理を教える「真理の御霊」に教えられる)、その人は。

 わざわいの日に、あなた(魂の救い主キリスト)がその人に、平安を賜るからです。

 その間に、(あなたを苦しめた)悪者のためには(滅びの)穴が掘られます。

 まことに、主は、御自分の民を見放さず、御自分のものである民を、お見捨てになりません。

 裁きは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。(反キリストの時代は悪が横行し、裁きは曲げられますが、キリストが世界を治められるときには、再び、神の義が裁きを行ないます。神の民はみな、喜びと誉れをもって、主に聞き従うでしょう。「霊の父」に立ち返り、「魂の救い主キリスト」に救われた「魂は幸い」です)」(詩篇94:12-15)