魂の二極化とは、どのように分かれるのでしょうか。
生まれつきの人間と、魂の救いを受ける人とに分かれます。
生まれつきの人間は、すべての人の道を行き、死にます。魂の救いを得る人は、一度死んでも死から甦り、永遠に生きます。
生まれつきの人間の意識は、神を第一とはしません。彼らは目に見えるものを信じます。目に見えるものが確かであって、現象に確証を求めます。人間からの理解と賞賛とが誉れです。彼らの人生は彼ら自身のものであって、理屈を好みます。
魂の救いを受ける人は、神に立ち返り、神を仰いで生きます。彼らは目に見えない霊なる神こそ揺るがない真実な存在であることを魂で捉え、生かしてくださる御霊に出会い、いのちの根源である神に帰る備えをします。彼らは、本質を悟った者です。魂こそが人の実体です。
人はみな、罪ある者として生まれました。女から生まれた者はみな、蛇の頭である「悪魔」の言葉に聞き従い、悪魔の言葉を食べた者なのです。
悪魔の言葉を食べる者は、死へと続く「罪の呪い」の道を行きます。目に光があるようで、実は、霊は暗いのです。彼らの霊は、闇の中をさまよっています。どこから来て、どこへ行くのかを知りません。
霊は死んで闇の中をさまよっています。肉体は生きていても、すでに、死が定まっているのです。だれも、この罪の呪いの「死の宿命」から逃げ出すことはできません。人は、みなが死ぬことを、だれもが知っています。
「死にたくない。」と言って死んで行く人もいます。人は「死」にあらがえないのです。
息をして生きる者は、息を取り去られると、死にます。息をしている間は、血流が巡り、身体が機能して、何も考えなくても、生きています。いのちを与えるいのちの根源から息をいただいているからです。
多くの人は、いのちの根源の存在を知りません。思い浮かべることもありません。何のために生まれて来たのか、何のために生きているのか、と思いを馳せながら、進化論を信じることによって、創造主の存在を打ち消しています。
人は、哲学や宗教、文明や難しいことには、一生懸命取り組みますが、自分が神に造られた存在であるという簡単な答えを一笑に付します。
自分のいのち、植物のいのち、生き物のいのち。自分の身の回りは、いのちに溢れ、創造主の栄光を幼い頃から死に至る時まで、見続けているのに、霊の目が閉じ、霊の耳が閉じているため、悟ることができません。
神は、神のひとり子のために「人」を造られました。神は全き光であって、すべての被造物の存在の理由であり、原因である方です。神を尋ねれば、自分の存在理由や、いのちの源を知ることができます。人は、神と神の御子に愛されて造られ、慈しみと喜びと愛によって保たれています。
愛のある人は、愛を突き詰めた先に、大いなる愛の存在に辿り着きます。愛は愛を引き寄せるのです。
愛には、平安と喜びといのちが伴います。そして、いのちの根源に至る信仰が置かれます。愛は、神のことばに引き寄せられます。神のことばには、愛といのちがあるからです。
愛のない者は、疑いと不安と怒りと憎しみと裏切りと滅びが伴います。愛のない者は、愛から外れて愛なる神に敵対する悪魔に順応します。悪魔は反逆者であり破壊者だからです。
光は、愛を信じる信仰の世界。闇は、愛をあきらめた不信仰の世界。
神は、地上に、光を投じられました。
神が、神のことばに肉体を造り、「人の子」の姿で、遣わされたのです。それは、人を造られ人を愛する創造主、神のひとり子ナザレのイエスです。
光を愛する者は、天から照らす「神のことば」、創造主の愛に出会います。
光を求める者は、真理を愛し、「神のことば」に繋がって暗闇から救い出されます。
エデンの園で、「人」は、神のことばから外れて、悪魔の言葉と結びつきました。
人は、神のことばから外れると、いのちの根源である神から離れて、破壊者である悪魔の死と結びついたのです。
神のひとり子の愛は、破壊者に捕らえられた人の罪の身代わりとなって死に、罪を贖って、霊の死んだ魂を闇から救い出し、罪を赦して、光の子に造り変えます。
受肉する前の神のひとり子は、神とともに星々を造り、アダムを造られました。
肉体を持つ「人の子」となって地上に遣わされた神のひとり子は、御霊とともに、新しい創造をされます。
罪の呪いの死を抱えるアダムに代わって、受肉した神のひとり子が「死」に、ご自身の血によって罪を贖い、死に勝利して、復活のからだで死から甦り、永遠に生きる「新しい人」(第二のアダム)として新しく生まれました。
神のひとり子は、罪の贖いの神の子羊のみわざを成し遂げて、「新しい人」となって、天に上られました。
神の御子イエスは、天から遣わされたキリスト、すなわち、永遠のいのちを得させる救世主です。人類を、死と滅びから救う「唯一の救い主」です。いのちの根源であられる神が、死んで行く人類に、いのちを得させるために、遣わされた救世主です。
救世主(私たちを造られた神のひとり子、私たちの魂を悪魔の滅びから救い出すキリスト)に出会う人は、幸いです。
キリストの福音は、世界中に宣べ伝えられます。聞く耳のある人は幸いです。彼らは、死からいのちに移るのです。闇から救い出されて、神の愛に満ち満ちた光に招かれるのです。
これは、魂の試験です。
悪魔に繋がる魂は、闇を愛して不信と偽りとを受け入れ、光を憎みます。
罪が明るみに出されることを恐れて、神のことばを憎み、光のほうに来ようとはしません。
これらの魂は、神のことばを信じず、悪魔の言葉を信じたのです。
蛇の言葉を信じ、神の命令を軽んじて、悪魔の言葉に聞き従ったエバと同じ道を、みずから選んだのです。もはや、アダムのせいにはできません。エバのせいにはできません。自分自身の罪によって、悪魔と同じ運命を辿ります。彼らの心は地上にあるのです。
愛を知る魂は、光に近づきます。神のことばを慕い、神が遣わされた救世主を自分の霊で悟ります。そして、神の御霊によって、新しく生まれます。これらの魂は、神を知り、感謝と喜びに満ちて神をほめたたえ、いのちある者とされます。彼らの心は天上にあるのです。
闇の世に、天からの光が投じられました。魂を闇の滅びから救い出す、魂の救い主のみことばです。
魂の救い主を信じる人は信仰によって、罪が赦され、義とせられ、いのちを得る「光の子」とされます。
光の子らは、世の終わりに現われる、世界を統べ治めるキリストの民です。神は、これらの魂を、神のひとり子に与え、神の御子を長子とし、彼らをキリストの兄弟姉妹として、天の御国の相続人とされます。
魂の救い主キリストを信じない者は、神のひとり子に敵対する悪魔の民、反キリストの民です。神は、これらの魂を、悪魔と悪霊どものために用意された永遠の火の池に投げ込まれます。
神は、神のひとり子とともに、人を造られました。
神は、神の御子キリストにつく光の子らを、御霊によって新しく創造して、キリストに敵対する闇の子らと分けられます。
世界は、神のひとり子につく「キリストの民」と、神のひとり子に敵対する悪魔につく「反キリストの民」とに分けられるのです。