ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人の子らの霊 獣の霊

 

 「みな一つ所に行く。みな塵から出て、みな塵に帰る。(どんな人も必ず死んで、土に還る)

 だれが知っているだろうか。

 人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。」(伝道者3:21)

 

 女から生まれ肉体を持つ人はみな、寿命の間生きて死に、朽ちて土に還る。土から造られたので、土に還るのです。創造主を信じない人もみな、同様に土に還ります。

 

 みな肉体は朽ちて土に還りますが、肉体の中にあった魂は、意識体として生き続けます。

 

 人の子に結びついた霊の人の「魂」は、人の子(肉体を持つ「人の子」(神の子羊イエス)となられた神のひとり子は、一度死んで、死に勝利し復活のからだで甦りました。復活した「人の子」は、御霊による新しい創造です。ナザレのイエスは、死から甦り「永遠に生きる神の子どもの初穂」となりました。人の子イエス・キリストに結びついた魂は、初穂のイエス)の体験をともにします。

 「人の子」イエスは、死から甦り、御霊によって生まれ、永遠に生きる新しい創造の人となりました。「人の子」は、世の罪を取り除き、魂を救うキリスト【救世主】であり、天の御座におられる方のみもとに引き上げられました。

 キリストを信じる魂は、キリストを頭とするキリストのからだとされます。これらの魂は、人の子(キリスト)のからだの一部とされるのです。救世主イエス・キリストの御救いを受けた魂です。彼らは、人の子の霊によって生きます。神は、御救いを受けたこれらの魂を「人の子らの霊」と呼ばれます。

 

 しかし、人の子(神のひとり子イエス・キリスト)に結びつかない霊の人の「魂」は、神のひとり子に敵対する悪魔に捕らえられたままの魂です。復活のからだを受けることのない、裸の意識体です。悪魔は獣の霊。裸の意識体は、獣の霊を受けている「魂」です。

 

 裁き主であられる神は、「人の子らの霊」を、キリストのおられるところ、すなわち、天に引き上げられます。そして、天から追放した反逆者悪魔(堕天使長)を投げ入れるために用意した永遠の火の池に、「獣の霊」を投げ込まれます。

 

 ナザレのイエスは、滅びの子悪魔に捕らえられて獣の霊に繋がっている死ぬべき人を、死と滅びから救い出し、永遠のいのちを得させるために、天から下って来られた神のひとり子です。

 

 天から来られた神の子羊イエスは、イエスが見たこと、聞いたことを証し、父なる神について、天の御国について、永遠のいのち【真理の御霊】について、証言されました。

 

 イエスは言われました。

 「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子(死をもたらす悪魔を踏み砕くために、肉体を持つ人の子として来られた神の御子キリスト)です。

 モーセが荒野で蛇(青銅の蛇)を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。(不従順で不信仰な民を怒り、毒蛇を送って毒蛇に噛まれたユダヤ人たちを死に至らせた神が、死んで行く民を救う手立てとして、モーセに青銅の蛇を造り、旗ざおに掲げるように命じられました。青銅の蛇は、死に価する不信仰な民の罪の身代りに、呪いの木に掲げられました。青銅の蛇を仰ぎ見る者は、毒蛇に噛まれても生きました。そのことと同様に、不信仰と不従順の罪で神の怒りを買って死んで行く人類の、罪の身代わりとして、神の子羊イエスは、呪いの木〈十字架〉にかけられなければなりません。十字架にかけた神の子羊イエス・キリストを仰ぎ見る者は、すなわち、自分の罪を赦すために、自分の罪の身代わりとなって死んでくださった罪の贖いの神の子羊イエスを信じ、救い主イエスを仰ぐならば、人は、その信仰によって神に義とされ、神の裁きを免れて生きるのです)

 それは、(神の御子イエスは、私たちの罪の身代わりとなって、死に定められる呪いの木にかけられたことを)信じる者がみな、人の子(人となられた神のひとり子イエス・キリストの罪の贖いの血)にあって(罪を取り除かれて、その信仰により神に義とされて)永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:13-15)

 

 人に永遠のいのちを得させるために書かれた『聖書』は、言います。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。(神は、ひとり子に肉体を造り、死と死後の裁きが定められた人類を、罪が赦され裁きを免れて永遠のいのちを得させられる「祝福の子」とするために、神のひとり子を「呪いの子」として裁かれました。神の御子イエス・キリストを信じる人々に、永遠のいのちを得させるためです)

 神が御子を世に遣わされたのは、(罪深い悪い)世を裁くためではなく、御子(が流される贖いの血)によって世が(罪を取り除かれて)救われるためである。

 御子(人の子となられた神のひとり子、すなわち、神の子羊イエス・キリスト)を信じる者は裁かれない。(神は、御子を信じる信仰によってその人の罪を赦し、その信仰によって義とされるからである)

 (神が遣わされた神のひとり子を)信じない者は神のひとり子の御名(神のみわざを行ない、神のことばを語り、神の栄光を現わし、生けるまことの神を証言したナザレのイエスが、神の遣わされたキリスト〈救世主〉であること、すなわち、ナザレのイエスが、神に遣わされ天から来られた、「人の子」となられた神の御子であること)を信じなかったので、すでに裁かれている。(神の御子イエス・キリストを信じない者は、神の愛と慈しみゆえに、滅びゆく人類にお与えになった、神の御救いの道を信じなかった。青銅の蛇を仰ぎ見ないで死んでいった不信仰なユダヤ人たちと同様、十字架につけられた神の御子イエスを信じない人たちもまた、不信仰ゆえに、自分の罪の中で死んでいくのです。彼らは、不信仰によって、永遠に神から離れます。彼らは、神の御子イエスを信じないことによって、遣わされた神をも信じなかったのです)」(ヨハネ3:16-18)

 

 「この方(上から来られた神の御子イエス・キリスト)は(天で)見たこと、また聞いたことをあかしされるが、(獣の霊の人は)だれもそのあかし(神の御子の真実なことば)を受け入れない。(獣の霊の人は、地から出て地に属する者で、悪魔の言葉を聞き、地のことばを信じる)

 そのあかし(天に属する神の御子イエス・キリストのみことば)を受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである。(イエス・キリストのことばを受け入れる者は、神がまことであることを、確かに認めたのである)」(ヨハネ3:32,33)

 

 「父(神の御子イエスの父、すなわち、生けるまことの神)は御子を愛して、万物をその手(御子の手)にお与えになった。(最後の裁きは、御子の愛を受け取った「人の子らの霊」と、御子の愛を踏みにじった「獣の霊」とに分けられる)

 御子を信じる者は、永遠のいのちを持つ。御子に従わない者は、永遠のいのちにあずかることがないばかりか、神の怒りがその上に留まるのである。」(ヨハネ3:35,36)

 

 人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地に下る。

 人の子らの霊は、天の御国にはいって、とこしえの安息を得る。

 獣の霊は、永遠の火の池に投げ込まれ、永遠に昼も夜も苦しみを受け休みを得ることはない。

 

 人類は、天から追放された堕天使長(悪魔)の言葉に従って、エデンの園から追放されたアダムのからだと、天から来られたキリスト「人の子イエス」のことばに従って、新しい人(神の子ども)に造り変えられて天に帰る第二のアダムのからだ(キリストのからだ)とに分かれます。