ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ローマ書三章 神は異邦人にとっても神

 

 ユダヤ人は、神から律法が与えられている民族です。

 

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(へブル9:27)

 

 人間には、生まれつき原罪があります。原罪とは、罪を犯す源となる性質のことです。

 人を殺さなくても、殺意をもって呪います。偽証して人を貶めるのは、妬みや憎しみや怒りがあるからです。自分を守るために嘘をつきます。

 

 嘘も、妬みも、憎しみも、怒りも、呪いも、人のうちにある罪の種の実です。人間は、罪の種を持って生まれています。原罪のない人はひとりもいません。それは、肉体を持つ肉の人の宿命です。

 

 人を造られた神は、非常に良いものとして造られました。

 しかし、人は、自分を造られた創造主の神のことばを軽んじて、被造物でありながら神に反逆する堕天使長、すなわち、天から追放されて闇にはいった滅びの子悪魔の言葉を信じて、神に反逆する闇の仲間となってしまいました。

 悪魔は、人を闇に引き込み、罪の縄目にかけて罪の奴隷としました。神の栄光を映し出す人は、闇の子になり下がったのです。

 

 神は、焼き尽くす火です。聖なる神は、罪汚れを、火で焼き尽くされます。

 悪魔に捕らえられた人はみな、火で焼き尽くされなければならない罪をかかえています。

 

 神は、天から追放した反逆者であり、決して悔い改めることのない敵対者である悪魔と悪霊どもを、永遠に燃え盛る火で焼き尽くされます。永遠に焼かれてもなお、彼らの罪は、きよめられることがありません。

 

 しかし、罪の縄目に捕らえられている人には望みがあります。神は、彼らに救いの道を用意されました。

 

 神は、地上に神を恐れる正しい人アブラムを見い出されました。神は、アブラムを選び、人類の救いのために、アブラハムの子孫に「救世主」を遣わすことを定められました。そして、契約を結ばれました。

 アブラハムの子孫イスラエルは、救世主を世に生む民族です。そして、アブラハムのひとりの子孫に、キリストの油を注がれました。ダビデの子ナザレのイエスです。

 「人の子」として来られた、悪魔を踏み砕く神のひとり子です。

 

 イスラエルは、神の御子キリストを迎えるにふさわしい民となる必要がありました。神は、イスラエルに神の律法をお与えになりました。神の民として、守るべき律法です。ほかの民族にはない、天の法です。

 

 地上の神々のことばではありません。天の神のみことばです。いのちを得させるための律法です。

 

 イスラエルの民は、神の律法により、罪を知らされました。神の律法を持たないほかの民族は、神を知ることも、罪を悟るこもありません。自分の好き勝手に生きています。

 しかし、神から律法を受けているイスラエルは、常に罪を意識しなければなりません。

 

 罪の報酬は死です。神に聞き従わない者は、エデンの園から追放されたアダムの道を行きます。神の律法を知る神の民は、罪の呪いを恐れます。

 

 生まれつき原罪を持つ肉の人に、神の律法を守ることはできません。

 神が焼き尽くす火であることを知る神の民は、律法の違反に伴う罪の呪いを恐れます。

 

 預言者イザヤは、イスラエルに言いました。

 「罪人たちはシオンでわななき、神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。

 『私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉(永遠に燃え盛る火の池)に耐えられよう。』」(イザヤ33:14)

 

 「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。すべての人が迷い出て、みな、無益な者となった。

 善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10-12)

 

 「彼らの口は、呪いと苦さで満ちている。」(ローマ3:14)

 

 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ3:18)

 

 これらの律法の言うことはみな、律法の下にある人々(ユダヤ人たち)に対して言われていることを知っています。それは、どの国の人々も神の裁きの御手の下にあり、神の民が神に服するように、全世界が神の裁きに服するためです。

 

 「なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

 しかし、今は、(罪に定める)律法とは別に、しかも律法(モーセが、イスラエルに命じた「私のようなもうひとりの預言者がイスラエルに遣わされる。彼(民を罪の滅びから救い出してくださるキリスト)に聞き従わなければならない。」という神の命令)と預言者(キリストの誕生とキリストについての預言)によってあかしされて、神の義(律法の守れない民に、罪と滅びから救い出していのちを与えるキリストを遣わすことで、神のみことばの成就と、神の愛による罪の贖いと御救い)が示されました。(義は人にはありません。義は神のものです。人は、神に聞き従って義とされるのです)

 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(律法の下にいる者も、律法の下にいない者も、割礼の民も、無割礼の民も、すべての人は、律法によってではなく、神が遣わされたキリストを信じる信仰によって、神に義とされるのです。これが、神の義です)

 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに(神の子羊の贖いの血によって)、価なしに(どんな罪を犯した罪人でも、罪の重さによらず)義と認められるのです。」(ローマ3:20-24)

 

 神は、キリスト・イエスの血を、信仰による、なだめの供え物として、公に示されました。

 それは、御自身の義を現わすためでした。(みことばの真実、預言の成就、そして、神の人への憐れみと慈しみと赦しと真実の愛と御救いとを明らかにされました)

 すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見逃しておられましたが、それは、今の時に神の義を示すためでした。

 こうして、神みずからが(罪の贖いの子羊を用意されて、神の子羊イエスの全き血によって罪を贖い、罪を取り除くことで愛を示して、彼らの)義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのです。

 

 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、神への信仰によるのです。

 

 神は律法を持つユダヤ民族だけの神ではありません。律法を持たない民族の神でもあります。なぜならば、ユダヤ民族も、ほかの民族も、すべての人は、ひとりの神によって造られており、また、創造主によって裁かれるのです。

 

 「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。

 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者(ユダヤ人)を(律法によってではなく、神が遣わされた救世主を信じる)信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者(異邦人)をも、(ユダヤ人から出る救世主を信じる)信仰によって義と認めてくださるのです。」(ローマ3:29,30)

 

 一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっているすべての人は、創造主を認め、いのちの根源であられる神、創造主が遣わされた救い主を信じるならば、その信仰によって、神は罪を赦し義とされて、裁きを過ぎ越されるのです。

 

 神が遣わされる救い主は、神のひとり子であられ、神とともに、罪を赦し、また、罪に定める裁き主だからです。

 

 神は、律法を守ることができず、律法の違反の呪いを恐れる神の民ユダヤ人を救うため、また、神を知らずに滅びに向かう神の民でなかった異邦人を救うために、救い主を遣わされました。

 ユダヤ人も、異邦人も、ユダヤ人から出たひとりの救い主キリスト・イエスを信じる信仰によって、いのちを得るのです。イエスの与えるいのちは、死なない永遠のいのちです。

 

 神は、きょうも私たちひとりひとりに語っておられます。

 「(罪の赦しと御救いの)望みを持つ捕われ人よ。とりで(霊の父、いのちを得させる神)に帰れ。」(ゼカリヤ9:12)

 イスラエルの望みである主は、すべての人の望みの主となられました。