イエスは言われました。
「わたしを遣わした方(天におられる父なる神)の御心を行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ4:34)
イエスは、世にいのちを与えるために、天から遣わされていました。イエスは、天の神が遣わされた神の御子キリストです。
イエスはご自分で来られたのではありません。父なる神が神のひとり子に肉体を造り、「人の子」の姿で来られました。
イエスは、肉体を持つ「人の子」であり、また、永遠の昔から父なる神、創造主とともにおられる「神のひとり子」です。
肉体の、イエスは、肉体の生命のために、私たちと同じ食物を必要とされました。しかし、肉体は一時的なものです。食物を食べていても、ずっと生き続けられるものではありません。老いていくからです。
神の御子であるイエスは、永遠の昔から霊体として生きておられました。イエスの霊は、神の御子の霊体であって、神格を持つ霊体です。
神格のある「父なる神」と「子なる神」と「聖霊」は、三位一体の神であり、一つです。完全に一致した神格霊です。
御子は、ご自分と一つである父なる神に遣わされて地上に来られました。地上にいても、イエスの霊は天上の父と一つでした。
御子は御父の御思いを成し遂げるために来られました。
ユダヤ人が厳格に守り、律法に従って決して働いてはならない安息日に、癒しのわざをしたイエスを、ユダヤ人たちは、安息日を破ったと言って迫害しました。
「イエスは彼らに答えられた。
『わたしの父(イスラエルの神)は今に至るまで(安息日にも)働いておられます。ですから(神の御子である)わたしも(父とともに)働いているのです。』
このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。」(ヨハネ5:17,18)
別の箇所では、責めるユダヤ人たちにイエスは、こう言っておられます。
「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
神の家にはいって、(祭壇に仕える)祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない(祭壇の)供えのパンを食べました。
また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。(イエスは、預言者の油、祭司の油、王の油の三つの油を持つキリストです。神に仕えるレビ族から出ておらず、ユダ族のイスラエルの王ダビデの子から出たキリストは、とこしえの祭司の油を持つお方です。イエスは、十字架の贖いのみわざの後に死から復活して、天に上り、天のまことの聖所で仕える、とこしえの大祭司となられました)
あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。(神の御霊を宿す神の神殿であり、神がともにおられる神の御子がここにいます。人の手で造った神殿よりも偉大です)
『わたし(主)はあわれみは好むが、生贄は好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たち(安息日に神のみわざをする人たち)を罪に定めはしなかったでしょう。(主は、悔い改める心もなく、神にへりくだる心もないのに、儀式を形式として行なうことよりも、心の通う霊とまことの礼拝を望んでおられます。神は、形だけの生贄を満足されません。神は、安息日に礼拝する者たちのうちに、愛を御覧になりたいのです。病む人を憐れむ心は、神の憐れみと神の愛とを映し出す心であり、神の栄光を現わしています。安息日は、神の御前に集まる神の民の心を御覧になって、神御自身が安息される日でもあるのです。神は、彼らの間に、愛と平和があることを御覧になりたいのです)
人の子は安息日の主です。(人の子、すなわち、神が遣わした神の御子イエス・キリストは、神と人とを和解させて神の安息と民の安息とを導き、天には栄光を、地には平和をもたらして、まことの安息を与える〈魂に安らぎを与える〉、安息日の主です。安息日のために主がおられるのではなく、主のために安息日があるのです。人の子は主であって、安息日でも神のみわざを行ないます)」(マタイ12:3-8)
安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼ぶイエスに殺意を持つユダヤ人たちに、イエスは答えて言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。(このことは真理です)
子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。(すなわち、安息日に神に癒しを求める者があれば、父なる神は、その祈りを聞いて癒されるのです)
それは、父が子を愛して、御自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、(霊が閉じて思いの暗い不信仰な)あなたがたが(それを見て)驚き怪しむためです。
父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。(イエスは、いのちの根源であられる神から出ているのです)
また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。(裁きの基準は、神の御子イエス・キリストご自身にあるのです)それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。(人が、裁きをされる天の神を恐れるように、イエスの中に永遠のいのちがあることを知って、イエスは神に遣わされた神の御子キリストであることを信じるためです)子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。(神の栄光の御姿である神の御子がわからない者は〈神の御力を現わし、真理の神のことばを語るイエスが神から出た者であることを信じない者には〉、目に見えない神を知ることはできません)
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたし(イエス・キリスト)のことばを聞いて、わたしを遣わした方(天の神)を信じる者は、永遠のいのちを持ち、裁きに会うことがなく、死からいのち(肉の人の生命から、死から甦って永遠に生きる神の子どものいのち)に移っているのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
死人が神の子の声を聞く時が来ます。(霊に死んで、神から遠く離れた人が、神のひとり子の声を聞く時が来ます)今がその時です。そして、(神の御子イエス・キリストのことばを)聞く者は(永遠のいのちを得て)生きるのです。
それは、父が御自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのち(聖霊)を持つようにしてくださったからです。(真理の御霊を持つものは、一度死んでも甦り、永遠のいのちを得させられるのです)
また、父は裁きを行なう権を子(神の御子イエス・キリスト)に与えられました。子(イエス・キリスト)は(エバを騙した蛇の頭〈悪魔〉を踏み砕く)人の子だからです。
このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて(キリストの号令によって)(墓の中から)出て来る時が来ます。(キリストが再臨して、とこしえのイスラエルの王となられる千年王国で、墓の中で眠っていた死者たちは、甦るのです)
善を行なった者は、甦っていのちを受け、悪を行なった者は、甦って裁きを受けるのです)」(ヨハネ5:19-28)
イエスは、墓から甦られました。
そして、弟子たちにお会いになって、言われました。
「平安があなたがたにあるように。父がわたし(神のひとり子イエス)を遣わしたように、わたしもあなたがた(イエスの弟子たち)を遣わします。」(ヨハネ20:21)
そして、ご自身の息を吹きかけて言われました。(イエスは弟子たちに、キリストの息である生かす御霊を与えられます)
「聖霊を受けなさい。(イエスが死から甦ったように、あなたがたを死から甦らせ、永遠のいのちを得させられる聖霊を受けなさい)
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。(イエスは、イエスが父から受けた権威を、弟子たちにもお与えになりました。すなわち、罪を赦す権威と、罪のまま残す権威をお与えになりました。弟子たちが御霊にあってだれかの罪をゆるすなら、その人の罪は取り除かれ、だれかの罪をそのまま残すなら、その人の罪は取り除かれないまま罪あるままで神の御前に立つことになります)」(ヨハネ20:22,23)
御霊によって生まれ、キリストの兄弟姉妹とされる神の子どもたちは、新しく造り変えられて、聖霊によって生まれた死のない新しい人の子、すなわち、神の子どもたちの長子であるイエス・キリストのように、言うことでしょう。
「私を遣わした方(主イエス・キリスト)の御心を行ない、そのみわざを行なう(神の栄光を現わす)ことが、わたしの食物です。」
新しく創造された神の子どもは、霊の食べ物を食べます。肉なる存在ではなく、御霊によって生きる者だからです。
イエスは言われます。
「なくなる(肉のからだのための)食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物(イエスの御心を行ない、神の栄光を現わすためのみわざを成し遂げること)のために働きなさい。それこそ、人の子(キリスト)があなたがた(主イエスの弟子たち)に与えるものです。この(神のみわざを成し遂げた)人の子(イエス・キリスト)を父すなわち神が認証されたからです。(そのように、イエスのわざをする者は神に認証されるのです)」(ヨハネ6:27)