イエスに安息日に目をあけてもらった、生まれつきの盲人は、安息日を守っていない(すべてのわざを休まなければならない安息日にわざをした)イエスを罪人であるとするパリサイ人たちに言いました。
「あの方が罪人であるかどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲人であったが、今は見えるということだけです。」(ヨハネ9:25)
しかし、イエスが神から出たことを信じないパリサイ人たちは、盲人だった人の証言を信用しません。何度も確かめます。
すると、盲人だった人は言いました。
「このことはもうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか。」(ヨハネ9:27)
「そこで彼ら(パリサイ人たち)は彼(盲人であったがイエスによって目が見るようになった人)をののしって言った。
『(聖書の知識のない無学な)おまえはあれ(ナザレのイエス)の弟子だが、(聖書を正規に学んでいる)私たちはモーセの弟子だ。
(私たちは)モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人(ナザレのイエス)がどこから来た者か、私たちは知らない。(イエスが神から出た者である根拠はない。だれが証明できようか)』(ヨハネ9:28,29)
パリサイ人たちは、旧約聖書を学んでいました。旧約聖書には、モーセのことが書かれています。モーセは、神に遣わされた預言者でした。
しかし、旧約聖書のどこを探しても、ナザレのイエスの名を見つけることはできません。ユダヤ人の聖書(旧約聖書)には、メシアはベツレヘムから出る、と書かれているではありませんか。ガリラヤ地方のナザレからメシアが起こるとは書かれていません。イエスは、ナザレの村の大工ヨセフの息子で、正規に聖書を学んだことのないナザレ人ではないですか。
このときには、まだ、新約聖書はありません。イエスのことを記述した書物はなかったのです。
イエスは、天に上られた後で、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を、御座におられる方(父なる神)から受けられました。キリスト・イエスは、イエスの弟子たちに、聖霊のバプテスマを授けて、彼らを聖霊の宮とされました。
御霊を受けた弟子たちが、キリストがお授けになった真理の御霊によって、新約聖書を書きました。
御霊によって書かれた新約聖書は、最初の聖書(ユダヤ人の聖書、すなわち旧約聖書)と等しく、神の権威を持つ書物です。最初の聖書をお与えになった神のひとり子である、神の御子イエス・キリストのことばだからです。神の御子は、遣わされた父なる神のことばを話されました。ナザレのイエスは、父なる神が遣わされた、世を救うキリストです。
新約聖書は、聖霊が、神の御子イエス・キリストの弟子たちにお与えになった神のことばです。
最初の聖書(旧約聖書)は、キリストを遣わすことを約束し、イスラエルから起こるメシアを明らかにした書物です。
モーセは、「(奴隷の家エジプトからイスラエルを救うために、神に遣わされた)私(モーセ)のようなもうひとりの預言者(罪の奴隷の世から救い出し、永遠のいのちを得させる救世主〈神のひとり子〉)に聞き従わなければならない。聞き従わない者は、神の契約の民から断ち切られる。」と言っています。
また、預言者たちは、モーセの命じた聞き従わなければならない「もうひとりの預言者(メシア)」について、預言しました。神は、キリストが世に来られたときに、はっきりと彼がキリストだとわかるように、前もって語っておられたのです。
イエス・キリストは、預言者たちの預言の成就として来られました。イエス・キリストの誕生とその歩みとは、預言書に書かれている預言どおりでした。
聖書を学んでいない無学な民は、信仰によって、ナザレのイエスがキリストであると悟りました。しかし、聖書を正規に学んでいるパリサイ人たちは、ナザレのイエスの上に聖書の預言が成就していることを悟ることができませんでした。
イエスがどこから来たのか知らない、と言う律法の専門家に、盲人であった人は答えて言いました。
「私の目をあけてくださったのに、その方がどこから来たか、ご存知ないとは、不思議なことです。
私たちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞き入れになりませんが、神を敬い、その御心を行なう人の言うことは、聞き入れてくださいます。
生まれつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。
もしあの方(ナザレのイエス)が神から来た人でなかったら、何一つできなかったはずです。」(ヨハネ9:30-33)
「これを聞いて彼ら(パリサイ人たち)は言った。
『おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えようとするのか。』
そして彼を外へ追い出した。(こうして、イエスをキリストと信じる彼は、ユダヤ人の会堂から追い出された)
イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。(モーセは、キリストに聞き従わない者は、神の聖なる民イスラエルから断ち切られる、と言いました。しかし、実際は、キリストに聞き従わない会堂の人たちが、神の御子イエス・キリストを信じキリストに聞き従うユダヤ人たちを、ユダヤ人の会堂から追放したのでした)
そして(イエスは)彼に会って言われた。
『あなたは人の子(神が遣わされたキリストをさす)を信じるか。』
彼は答えて言った。『主よ。それはどなたですか。(人の子とはどなたのことですか)その方を信じたいのですが。』
イエスは彼に言われた。
『あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが(このわたしが)、その人(人の子)である。』
すると彼は、『主よ。信じます。』と言って、イエスを拝した。
そこでイエスは言われた。
『わたしが世に来たのは、裁くためである。(神が遣わしたキリストをどう捉えるかによって信仰の有無がはっきりとし、信仰のある者と信仰のない者とが明らかになるためである)すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである。(聖書のみことばを理解しない人たちがキリストによって真理を受け入れ、聖書のみことばを知っていると言っている人たちがキリストにつまずいて真理を退ける。聖書を知っているから真理〈神〉を知っているのではない。真理〈神のキリスト〉を信じる者が聖書のみことばの真理を知るのである)』
そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った。
『それでは、私たちも盲人なのでしょうか。』
イエスは彼らに言われた。
『もしあなたがた(パリサイ人たち)が盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが「見える」と言い張るところに、あなたがたの罪がある。(「聖書を知っている。」と言っているのに、なぜ、聖書に書かれたキリスト〈キリストの御霊〉を信じることができないのか。「聖書に書かれたことはどういうことなのか。わからない。」と言って真理を探究しているならば、イエスから真理を聞くことができ、まだ救いがあった。しかし、今あなたがたは「私たちは聖書を知っている。真理に目が開かれている。」と言っている。「自分は知っている。見えている。」と言うあなたがたは、真理を語るイエスにへりくだって、イエスから教えを受けることはできない。そして、キリストを信じないあなたがたは、モーセの言ったとおり、神の聖なる民から断ち切られる)』