「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それ(善悪の知識の木の実)を取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられた神のことばに聞き従わずに、エバの誘いに乗って、善悪の知識の木の実を食べたアダムの霊は、いのちの根源であられる神のいのちから外れ、死にました。
アダムは、エバが蛇と語り合っているのを見ていました。アダムはエバといっしょにいたのです。
そして、「(神が必ず死ぬと言われた善悪の知識の木の実を食べても)あなたがたは決して死にません。(死なないどころか)あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、(神からことばを受けなくても、善悪の知識を得た)あなたがたが神のようになり、(自分自身で)善悪を知るようになることを神は知っているのです。(そうなったら、人は神のしもべではなく、神と等しくなり、人の知識は、神の言葉のようです。神と人とを区別するものはなくなるのです)」と、蛇が言うのを聞きました。
アダムの心はなびきます。アダムは、神のことばに背く勇気はありません。しかし、エバは、蛇の言葉を真に受けて、自分の手で善悪の知識の木の実を取って、食べました。
アダムは、エバをたしなめることも、神のことばの成就を恐れて、エバが死ぬ心配をしているわけでもありません。様子を見ていました。しかし、エバに変化はありませんでした。
エバに死の変化を見ないアダムは、蛇の言葉が正しかった、と思ったのでしょうか。安心したのでしょう。エバが善悪の知識の木の実を取って、アダムに与えました。アダムは、何の心配もせずに、食べました。
すると、アダムの意識が変わりました。無邪気な幼子のようであったふたりは、己を顧みる大人のような意識を持ったのです。
神が、善悪の知識の木の実を食べてはならないと命じられたとき、エバはまだ、アダムの中にいました。アダムのあばら骨でした。エバは、神から直接命令を受けていませんでした。
アダムのあばら骨から造られたエバは、エデンの園の管理者であるアダムから聞かされていました。
エバの背きによっては、アダムは死にません。しかし、アダム自身が食べたとき、人は死にました。アダムが木から取って食べたのではありません。木から取ったのはエバです。そして、アダムに与えたのでした。
エバが罪を犯したとき、アダムは、エバを失うことを惜しんだのでしょうか。エバとともにいたいと思ったのでしょうか。アダムは神の声(命令)に聞き従うのではなく、妻の声に聞き従いました。そのとき、ふたりの目は開かれました。互いを見たのです。神を見ていた目が互いを見るようになったのです。
ふたりは、自分たちが裸であることを知りました。それまでは、そこに意識はなかったのです。そして、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作りました。
彼らは、園を歩き回られる神である主の声を聞きました。すると、ふたりは、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠しました。
何ということでしょうか。善悪の知識の木の実は、ふたりに自我意識を芽生えさせたのです。それまでは、自我はありませんでした。主人は主おひとりです。人は主人ではありませんでした。人は、神を我として生きていたのです。人は神のことばと一つでした。しかし、人は、自分の思い、自分の言葉を得て、いのちの根源である創造主から離れました。いのちの源を外れた彼らに待っていたのは「死」でした。
人の意識は、神の栄光から互いの裸と、自分を意識する「恥」でいっぱいになりました。自我によって生きる者となったのです。
善悪の知識の木の実がもたらした自我は、神の存在に恐れを抱きました。恐れかしこむためにではなく、自分の罪を明るみに出したくない、隠したいという思いから来る恐れです。神の光が自分の闇を照らし、明るみに出されることを恐れました。
闇を抱えたふたりは、聖なる神の光に照らされることを恐れて、神である主の御顔を避けて隠れました。
人の心は、光を嫌いました。心の闇は、光を憎み、闇を愛しました。立派な罪人となってしまいました。
罪を犯したアダムとエバは、光の方に来ようとはしません。主の御顔を避けて、陰に隠れました。
幼子の意識だったふたりは、何も恥じることなく、臆することなく、神の御顔を拝していたのに、善悪の知識の木の実を食べると、主の御顔を避ける者となりました。罪は、ふたりの意識を、主のいのちの光から、悪魔の死の闇に移したのです。
いのちを得させるために、地上に来られた人の子イエスは弟子のペテロに言われました。
「シモン(ペテロの本名)、シモン。見なさい。サタンが、あなたを麦のようにふるいにかけることを願って(神に)聞き届けられました。(あなたは、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたし〈十字架につけられるナザレのイエス〉を知らないと言います。あなたは、三度わたしを否みます)
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31,32)
イエスは、ご自分のもとに来たシモンを最初に見た時に、シモンに目を留めて言われました。
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(ペテロ)と呼ぶことにします。」(ヨハネ1:42)
ペテロは岩です。イエスは、シモンのうちに、岩のように堅固な信仰をご覧になったのでしょう。
神は、岩のように堅固な信仰を秘めるシモンをサタンがふるいにかけることを許されました。シモンの信仰を打ち砕いて、ペテロの信仰を建て上げるためでした。
祭司長たちはイエスを捕らえて、裁判にかけるために大祭司の家に連れて行きました。ペテロは、遠く離れてついて行きました。
中庭に焚いてある火のところにペテロはいました。女中が「この人も、イエスといっしょにいました。」と言うと、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人(ナザレのイエス)を知りません。」と言いました。
ほかの男がペテロに「あなたも、彼(ナザレのイエス)の仲間だ。」と言うと、ペテロは、「いや。違います。」と言いました。
また別の男が、「確かにこの人(ペテロ)も彼(ナザレのイエス)といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言いました。それといっしょに、ペテロがまだ言い終えないうちに、鶏が鳴きました。
主(イエス)が振り向いてペテロを見つめられると、ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出し、ペテロは、外に出て、激しく泣きました。
ペテロは三度も、イエスを知らないと主を否んだのです。
シモンは、自分の身にそのようなことが起こるなどとは、これっぽっちも思っていませんでした。
シモンはイエスに言ったのです。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)
シモンは主イエスに祈られていました。シモンの信仰がなくならないように、イエスは祈られました。そして、言われたのです。
「だからあなた(ペテロ)は、(信仰を失うことなく、イエスを否んだことを悔い改めて)立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)
シモンは、自分が三度もイエスを否んで、主を裏切ったことを知ったとき、激しく泣きました。彼の心は、主の前に注ぎ出されました。ペテロは、自分を顧みて、自分の行為を激しく責め、また、深く悔い改めたのです。
ペテロは、イエスを裏切ったことを恥じて、イエスの弟子の仲間から去って行くことはありませんでした。
イエスが墓にはいってから、漁に出かけてほかの弟子たちに生きる勇気を与えたのはペテロです。
イエスが墓から甦られたと聞いて、墓へと走って行ったのはペテロです。
ペテロは、確かに、イエスの祈りに守られて、信仰を失うことはありませんでした。
復活されたイエス・キリストは、シモン・ペテロに言われました。
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち(ほかの弟子たち)以上に、わたし(イエス)を愛しますか。」
ペテロは「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」
このやり取りは、三度繰り返されました。
三度の裏切りに対して、イエスは、三度の愛の確認と、ペテロの心の傷の癒しと、愛の建て上げをされました。
イエスは、ペテロに、神の御子イエス・キリストの子羊を飼い、羊を牧し、羊を飼う使命を与えられ、また、神の栄光を現わすために死に至るまで聞き従う忠実な信仰者として任命されたのです。(ヨハネ21:15-18)
アダムは、自分の背きの罪に気づいた時、主の御顔から隠れました。
主は、いのちの根源から外れて死を選んだアダムをエデンの園から追放されました。
ペテロは、自分の背きの罪に気づいた時、激しく泣いて悔い改めました。もはや、自分の信仰に信頼する者ではなく、イエスの信仰に信頼する者となり、信仰の土台をイエス・キリストに置きました。ペテロは、いのちの木であるイエスにしっかりと繋がりました。
イエスは言われました。
「あなたはペテロです(岩のような信仰者です)。わたし(イエス・キリスト)はこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(イエス・キリストとひとつとなった信仰の上に建てた教会は、闇の力もかないません)
わたしは、あなたに天の御国の鍵を上げます。」(マタイ16:18,19)
ペテロは、イエスを否む罪によって、深く後悔し去って行く信仰の失格者ではありません。しっかりと悔い改めて、キリストから天の御国の鍵をいただいた信仰の勝利者です。
自分の罪に気づいたとき、主の御顔を避けて、神から身を隠す者ではなく、罪を言い表わしてしっかりと悔い改め、神の赦しを得て神の愛によって建て直されて、御霊の導かれるいのちの道を歩む新しい人に変えられましょう。