ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ローマ書四章 アブラハムの信仰にならう人の幸い

 

 パウロは言います。

 「私たち(ユダヤ人)は、『アブラハムには、その信仰(アブラハムの信仰)が(神に)義とみなされた。』と言っていますが、どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。(アブラハムの信仰は、何によって神にはかられたのでしょうか)

 (アブラハムが神に従って肉に)割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。

 彼(アブラハム)は、割礼を受けていないとき(神のみことばに聞き従う)信仰によって(主に)義と認められたことの証印として、(自分の肉に)割礼というしるしを受けたのです。それは、彼(アブラハム)が、(生けるまことの神を)割礼を受けないままで信じて(神に)義と認められるすべての(アブラハムのような信仰の)人の父となり、また割礼のある者(アブラハムの血肉の子孫ユダヤ民族)の父となるためです。(アブラハムは、無割礼の人の信仰の父であり、また割礼の民アブラハムの契約を相続する血肉の子孫ユダヤ民族の父なのです)

 すなわち、割礼を受けている(者)だけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った(全能の主、生けるまことの神に聞き従うアブラハムの)信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。(アブラハムは、肉の割礼を受ける以前に、また聖書のない時代に、信仰によって神に義とされました。それは、アブラハムが、主の御声を聞き、御声に聞き従うという、信仰の歩みを実践する者たちの「信仰の父」となるためです)」(ローマ4:9-12)

 

 「世界の相続人となるという(神の)約束(「あなたは多くの国民の父となる。」〔創世記17:4〕、「あなたの子孫〈キリスト〉は、その敵〈神に敵対する滅びの子悪魔〉の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫〈アブラハムの血肉の子孫イスラエルに遣わす神のひとり子キリスト〉によって、地のすべての国々は祝福〈神の御救い〉を受けるようになる。」〔創世記22:17,18〕)が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫(イスラエル)に与えられたのは、律法(聖書のみことば)によってではなく(アブラハムの時代には聖書はありません)、信仰の義によったからです。(モーセが生まれる以前に、アブラハムの信仰によって、アブラハムの相続人であるイスラエルもまた、アブラハムの腰にあって義とされました。イスラエルは、生まれた時から神に聖別された選びの民族です。神によって聖別された神の民です。ユダヤ民族は、聖書によって義とされるのではなく、アブラハムの信仰によって義とされるのです)」(ローマ4:13)

 

 「そのようなわけで、世界の相続人となることは、(アブラハムの)信仰によるのです。(「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方〈神〉を信じるなら、〈すなわち、神の赦しを信じ、神の愛と恵みを信仰によって受け取るならば〉その信仰が義とみなされるのです。」〔ローマ4:5〕)

 それは、(神の一方的な)恵みによるためであり、こうして(世界の相続人となるという)約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々(ユダヤ人)にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々(多くの国民)にも保証されるためなのです。

 『わたし(全能の神、主)は、あなた(アブラハム)をあらゆる国の人々の父とした。』と(聖書に)書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者(神の御子イエス・キリストによって神と和解するすべての者)の父なのです。」(ローマ4:16)

 

 「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、(閉経した九十歳の妻)サラの胎の死んでいることとを認めても、その(神の約束の成就を待ち望む)信仰は弱りませんでした。

 彼(アブラハム)は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力がある(真実な方である)ことを堅く信じました。(神を信じ続けることは、神の栄光であす。それはまた、神の栄光を現わす私たちの義です)

 だからこそ、それ(神に信頼する信仰)が彼(アブラハム)の義とみなされたのです。(神を信じることは神の栄光。神を信じないことは悪魔の勝利です)

 しかし、『彼の義とみなされた。』と(聖書に)書いてあるのは、ただ彼(アブラハム)のためだけでなく、また(神を信じる)私たちのためです。

 すなわち、私たちの主(神の子羊)イエスを死者の中から甦らせた方(聖霊)を信じる私たちも、その(目に見えない生けるまことの神の御霊、もうひとりの助け主【真理の御霊】を信じる)信仰を(神に)義とみなされるのです。

 主イエスは、(守ることのできない律法の違反に恐れ、違反の呪いに怯える)私たちの(死に定められる)罪のために(生贄の神の子羊となって罪の贖いの血を流すために、十字架の)死に渡され、私たちが義と認められるために(天からもうひとりの助け主を遣わして、御霊による新しい創造を施し、神の子どもに新しく造り変えるために)、(死から)甦られたからです。(死から甦られた主イエスは、御霊によって新しく生まれる者の初穂となられました。第二のアダムの新しい創造によって、私たちは御霊を受けて永遠のいのちを得させられる望みを得たのです)」(ローマ4:19-25)

 

 世界の相続人、すなわち、神の子どもとされることは、信仰によります。

 割礼のあるなしは関係ありません。聖書を持つ持たないは関係ありません。

 アブラハムは、割礼のしるしのないときに、また、聖書が与えられていないときに、神を信じて義とされました。

 

 アブラハムは、生けるまことの神の御声を聞き、信じて神のことばに従いました。

 神は、信仰によって、義とされました。

 神のアブラハムへの約束は、割礼と律法を持つ民イスラエルだけのものではありません。地のすべての国々の祝福となるのです。

 

 罪を取り除き、神と和解させる神の御子イエス・キリストを信じる人は、どの国、どの民族、どの言語関係なく、神の救いのみことばを信じて、神の御救いを感謝し、愛と恵みに満ちた神をほめたたえて神の栄光を現わす人です。

 

 アブラハムは、全能の神、主を信じて神のみことばに聞き従って神の栄光を現わし、神に義とされました。

 

 最初の人アダムは、神のことばよりもエバの言葉を信じ、神のことばに背いて罪ある者となりました。

 しかし、アブラハムは、神のことばを信じて神に栄光を帰し、義とされました。

 

 割礼のない異邦人も、聖書のない異教徒も、目に見えない生けるまことの神のことばを信じ聞き従うならば、神のことばに背く不信仰な罪人ではなく、アブラハムの信仰にならう義人です。信仰によって、義とされる人々です。

 

 信仰による義は、アブラハムの信仰にならう人々にも、保証されるのです。

 

 「ダビデもまた、行ないとは別の道で(行ないがなくても)神に義と認められる人の幸いを、こう言っています。

 『不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。

 主が罪を認めない人は、幸いである。』」(ローマ4:6-8)