神は、人が神のことばから外れ、エデンの園から追放されるとき、人の罪を赦して再びエデンの園の管理者として立たせる御計画を持たれました。それは、すぐにではありません。
天から追放された堕天使長(悪魔)のためには、永遠に燃え盛る火の池が用意されました。悪魔と悪魔に仕える悪霊どもには、神に背いた罪を悔い改めて神に立ち返り、神にへりくだる「いのちの光」がないからです。悪魔たちは、漆黒の闇にふさわしい者です。
人は、悪魔に騙されました。悪魔の策略にまんまと引っ掛かってエデンの園を追放された人には、悔いる心が残っています。
神は、人を惑わした蛇に仰せられました。
「わたし(創造主である全能の神、主)は、おまえ(蛇、悪魔の子)と女(人)との間に、また、おまえの子孫(悪魔の子)と女の子孫(人の子)との間に、敵意を置く。
彼(人の子)は、おまえ(悪魔の子)の頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(悪魔)は、彼(人の子、すなわち、罪人を救うキリスト)のかかと(キリストを生むヤコブの子孫、すなわち、ユダヤ民族)に噛みつく。」(創世記3:15)
ヤコブの名前の意味は、「かかと」です。
ヤコブの子孫ユダヤ民族は、キリスト(神に遣わされて人の姿となって地上に来られる神のひとり子イエス、すなわち、「人の子」)のからだのかかとの部分であり、キリストを倒すために悪魔の標的とされて、悪魔に噛みつかれる民族であることを御計画されました。
神は、世の初めから、悪魔と神のひとり子との戦いを定めておられました。神に敵対する悪魔は、神のひとり子に敗北する宿命です。
「光(天の御国の真理の光)は闇(悪魔に捕らえられた滅びの世)の中に輝いている。闇(死と滅び)はこれに打ち勝たなかった。(しかし、闇の子らはこれを悟らなかった)」(ヨハネ1:5)
神は、「人」をお造りになるときに仰せられました。
「われわれ(父なる神、子なる神、聖霊)に似るように、われわれの形に、人を造ろう。そして、彼ら(人)に、(神が創造された被造物すべて、すなわち)海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」(創世記1:26)
神は、人を、すべての被造物を支配する管理者として、神に似せて造られました。
人は、神と交わり、神のことばを受けて、神に聞き従う忠実な管理者として、エデンの園に置かれました。
神は、お造りになったすべてのものを御覧になって、「非常に良い。」と満足されました。神に造られた「人」は、神が非常に良いと満足されたすべての被造物を管理するのにふさわしい者でした。なぜならば、神に似せて造られたからです。
すべての被造物は、それぞれ創造主の栄光を現わしていました。創造主であられる神の栄光を現わすすべての被造物を管理する「人」は、その中でも卓越した存在でした。
すべての被造物は神を仰ぐようにして、管理者である「人」に仕えていました。
人には罪がありませんでした。完全に聖なるもので、神のことばと一つの存在です。人は、神の栄光をそのまま映し出していました。
しかし、エバが蛇の言葉に聞き従うと、状況は一変しました。夫のアダムは、妻のエバをこよなく愛していました。
アダムは、愛する妻、自分のあばら骨からできた「アダムの骨からの骨、アダムの肉からの肉」である、一心同体のエバを、自分自身のように愛していました。
アダムは、神のことばに背くことを否とせず、エバの言葉に聞き従うことを然りとしたのです。アダムは、罪から離れることができませんでした。神に罪を犯したエバを選んだのです。
神のことばに背いた人は、いのちの根源のいのちから外れました。
「わたしはある」と仰せられる神から外れて、「私」という自我によって生きる、いのちの主人となりました。
人は、蛇の言葉に聞き従うことで、悪魔の手に陥り、獣の霊を受けて神に反逆する悪魔の一味とされました。
神御自身が、「非常に良かった」と仰せられた人は、もはや「人」ではありません。姿は「人」ですが、神のことばから外れた人の心は、悪魔の支配下にある汚れた獣の霊とともにあります。
獣の霊は、聖なる神の霊と相容れません。
神のことばに背く人は、永遠の火の池が用意されている悪魔の道を行く反逆者、聖なる神に敵対する獣の霊を受けてしまったのです。
神が、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた、神の栄光を映し出す「人」は、神に反逆する破壊者悪魔の背きを映し出す「罪人」となりました。
神は、罪人の救いのために、「人の子」を用意されます。
それは、「非常に良かった」と、神が満足された姿のままの人です。獣の霊を受けず、神の霊とともにある人です。
神は、アダムが百三十年生きた頃、「非常に良かった」最初の人に似た人、すなわち、神が最初に造られたアダムのかたちどおりの子、「セツ」をアダムに生みました。
神は、セツの子孫に、「人の子」を遣わす御計画をされました。セツは、最初に創造されたアダムのかたちどおりの人でしたが、アダムの血を引く原罪のある罪人の子どもです。完全な人の子ではありません。神が、非常に良いと満足された、神のことばと一つの人ではありません。最初のアダムのかたちどおりですが、エデンの園に置かれたアダムと同じものではありません。セツは、エデンの園を知らないのです。
罪人の罪を贖う血は、神が罪をお認めにならない聖なる血でなければなりません。しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のない人はどこにいるのでしょうか。
神は、処女マリアの胎内に、御自身のひとり子を、「完全な人の子」として宿らせなさいました。神の御子イエスは、人(男と女)の欲求によって生まれたのではありません。しみもしわも傷もなく一度も罪を犯したことのない、父なる神に従順な人の子でした。
完全な人の子は、罪の生贄の子羊として遣わされました。世の罪を取り除く贖いの子羊です。神は、完全な人の子(聖なる全き人の子)の血を必要とされたからです。
神が非常に良かったと満足された人は、最初の人アダムひとりです。
罪に堕ちたアダムの子孫は、不完全な人の子となりました。生まれつき、しみ(生まれつき闇の心)があり、しわ(神にへりくだることのできない高慢)があり、傷(神に対する負い目)のある、聖くない人の子です。
しかし、神が人類の救いのために用意された「人の子」は、悪魔を打ち砕く全き光の神の霊とともにいる神の御子です。原罪の肉体の中に入られながら、一度も罪を犯すことのなかった、聖なる全き人です。
ダニエルは、イエスが生まれる五百五十年以上前に、人の子となられた神の御子を幻で見ています。
「見よ、人の子のような方(神がモーセに語られた、イスラエルが聞き従わなければならない、モーセのようなもうひとりの預言者、すなわち、世界を救うキリスト)が天の雲に乗って来られ、年を経た方(御座におられる方、昔も今もこれからも、永遠に生きておられる、生けるまことの神)のもとに進み、その前に導かれた。
この方(メシアとなられた人の子)に、主権(天においても地においても権威を持つ王権)と光栄(永遠のいのちを得させられる人の子らを創造するための、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威)と国(罪が取り除かれて争いはなく、すべての被造物が喜ぶ愛と平和に満ちたエデンの園の回復と、神のことばと一つの第二のアダム〈新しく創造される人の子ら〉が管理する千年王国)が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼(悪魔に勝利した神の子羊、すなわち「人の子」)に仕えることになった。(最初の人アダムは、神のことばから外れ悪魔の言葉に聞き従って「罪人」となったが、第二のアダム「人の子」は、神のことばと一つの「神の子ども」となる。神から、とこしえの国をいただき、ダビデの王座に着くとこしえのイスラエルの王【神の国の王】キリストに、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく仕える)
その主権は永遠の主権(「人の子」イエス・キリストの主権は永遠のもの)で、過ぎ去ることがなく(死から復活した第二のアダムの初穂である神の子羊の主権はとこしえのものであり)、その国(人の子らの国、すなわち、復活して父なる神の御座の右に着座した神の子羊イエス・キリストの右の手にある七つの御霊の教会)は滅びることがない。(御霊の教会は、死から甦って永遠のいのちを得させられる神の子どもたちであり、神が用意される新しい天と新しい地に住まいが設けられる)」(ダニエル7:13,14)
人の子となられた神の御子イエス・キリストにおいて、神は、聖書のみことばをことごとく成就されます。
(過越しの)祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。
「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。(神に遣わされ、天から来られるメシアに)イスラエルの王に。」(ヨハネ12:13)
「イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは(聖書に)次のように書かれているとおりであった。
『恐れるな。シオンの娘。
見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。』
初め、(イエスの)弟子たちにはこれらのことがわからなかった。(これらのことが、預言の成就であることを悟ることができなかった)
しかし、イエスが栄光を受けられてから(十字架で罪の贖いの血を流して、死から甦り、復活のからだで天に上られ、御座におられる方から、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けられて、弟子たちに聖霊のバプテスマをお授けになられてから)、これらのことが(メシアのことを預言する聖書のみことばが)イエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼ら(イエスの弟子たち)は思い出した。」(ヨハネ12:14-16)
「人の子」は、死から甦り、御霊によって新しく生まれた新しい人、第二のアダムの初穂である神の子羊イエス、すなわち、キリストのからだの頭です。
真理の御霊は、頭であるキリストの御思いに聞き従うキリストのからだを建て上げられます。
神は、キリストの御霊を受ける人たちに、人の子の霊をお与えになります。彼らは、獣の霊に勝利する信仰の勝利者、人の子らです。
キリストは、御霊によって新しい創造を受ける人の子ら(御霊によって新しく生まれる新しい人たち)を集めて、キリストの国を完成されます。
エデンの園の回復の千年王国で、人の子らは、天から来られたイスラエルの王イエス・キリストとともに、世界を治めるのです。