ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

昭和三十年代の世代

 

 

 昭和三十年代の世代は、「現代っ子」と呼ばれた世代です。

 今思えば、不思議な事ですが、この世代の人たちが生まれたのは、第二次世界大戦が終わって、十年程しか経っていない時ではありませんか。戦争が二十年も前の事ではないのです。

 

 この世代の祖父母は、明治生まれの人たちが多いでしょう。大正生まれの祖父母であったとしても、その祖父母たちは明治生まれの親に育てられた人たちです。

 昭和三十年代は、凛とした明治生まれの精神の残像が残る世代です。

 

 昭和三十年代に生まれた子どもたちは、戦争を知らない日本人です。戦争をくぐり抜けた日本人たちには、新しい風を吹き込む世代のようであったと思われます。

 

 過去を振り返ることをやめて、前を向いて歩こうとする日本国です。

 昭和33年には、東京タワーが完成しています。

 戦争には負けましたが、日本人に新たな希望の息を吹き入れました。助け合って、復興をめざします。

 そんな復興の中で育った世代です。大人たちは、敗戦で意気消沈してはいませんでした。新しい日本国のために歩み出していました。

 

 昭和39年には、東京オリンピックが開催されました。日本国で、「平和の祭典」東京オリンピックが開催されたのです。日本国は、国際社会の中で新しい一歩を踏み出したのです。

 

 日本国には、活気があふれていました。少し前まで、戦死者や戦争孤児や食べる物もない貧しさや、原爆の悲しみ、敗戦の痛みを抱えていた国民であったことを、昭和三十年代生まれの人たちは、自国の事と考えられないほどに平和に慣れ親しんで成長しました。

 

 親たちの努力で、戦後の貧しさは、私たちの経験ではなくなっていました。貧しさよりも、豊かさに目を向けながら育った世代です。

 洗濯機、冷蔵庫、車、テレビなど、電化製品が家庭に普及し、しばらくすると、クーラーを求めて、暮らし向きが便利で豊かになっていました。

 

 日本国民の大多数が自分を中流階級と意識するほどに、暮らし向きは向上したのではないかと思います。

 しかし、明治生まれの人たちが生存していた時代の、精神の根底にあった芯のようなものは、生き方の自由を求める柔らかいものに変わりました。

 

 武士道の精神のような、生き方に芯のあった日本国は、思い思いに生きてよいという統率力を嫌う個人主義となり、日本人の精神は漂う雲のようになりました。

 

 もはや戦後ではない、と言われた日本国で育った私たちは、自由を謳歌する新しい日本人の大人を見て育ちました。

 

 昭和三十年代の現代っ子たちは、初老となりました。

 私たちは、古き良き日本の名残りを記憶しつつ、自己主張して和合しない日本を見ています。

 

 戦争は大和魂に影を落としましたが、家族を愛し、隣人との助け合いの社会で、家庭と社会が一体となって人間形成の役割を果たしていた頃の、精神の礎が確かにあったかつての日本は、今よりも平和で幸せだったと思います。

 

 昭和三十年代の世代は還暦を迎えて、社会の第一線から退いている人もあるかと思います。

 時間の拘束がなくなった今では、精神的な豊かさを求めるために、恵まれた環境に置かれています。

 

 社会的な責任に費やす時間に代えて、人間存在そのもののあるべき姿を見つめ直すために必要な時間を多く持っています。

 多くの経験を積んで、若い頃よりも少しは思慮深くなっていることでしょう。

 

 私たちの肉体の死後に入る、魂の世界に備える時間を持っています。

 今の日本の行く末を案じて、祈る時間をたっぷりと持っています。

 

 若い人たちは、社会的責任を背負っていて、心に余裕がありません。かつての私たちと同じです。

 時間に余裕のある私たちにまかされる、目に見えない魂と精神といのちのために祈る働きがあります。

 

 私たちひとり一人、自分の魂に、それぞれ真剣に向き合ってもよいのではないかと思います。

 子どもや孫たち、また、地域や日本人や日本国などへと、祈りは拡大していきます。

 

 私たちの偽りのない祈りのことばが私たちを変え、日本を変えていくのではないかと思います。日本人の救いは、この年代の人たちの祈りを必要としています。

 

 昭和三十年代の世代は、愛を知る日本国を経験しているからです。

 愛は、私たちの記憶の中にあります。

 

 戦後の日本で心がさまよう日本人たちの中にあって、悲しみを知らずに育った私たちは、大人たちの慰めであり、希望だったのではないでしょうか。

 敗戦国の日本に、新しい風を吹き入れるために生まれて来た「現代っ子」の私たちは、今の時代においては、先行きのわからない混迷する世界の中で、世界を救うメシアが現われると預言されている日本国の、また、日本人の霊性を引き上げるために存在するように思います。

 

 厳格でもなく軽率でもない、重くもなく軽くもない、中庸な育ちの昭和三十年代の世代の人たちの祈りは、大和魂を覚醒する助けになるのではないかと思います。

 崩れ行く日本国の精神にあって、愛を知る人たちが目覚め、不動のもの(肉体が死んでもなお、持ち続けることのできる希望と魂の救いと永遠のいのち)を手に入れることができたらと思います。