長崎駅近くの西坂公園に日本二十六聖人記念館があります。
日本二十六聖人(すなわち、日本のキリスト教弾圧による殉教者たち)を記念し、また長崎のキリシタンの歴史を伝えるためにカトリック教会によって設立された博物館「日本二十六聖人記念館」があります。
館内には、細川ガラシャの肖像画があります。天を仰ぎ手を合わせるそのきよらかな姿に心が洗われます。明智光秀の三女で細川忠興の正室であった、たまさんは洗礼を受けて、クリスチャンネームで、細川ガラシャと呼ばれています。
キリスト教信者が1%といわれる日本国に、殉教するほどキリスト信仰に忠実に生きていた人たちがいたのです。
彼らは、死に至るまで信仰を持ち続け、イエス・キリストを否むことはありませんでした。彼らは、聖書に書かれたイエスの弟子たちのように、イエス・キリストの御名のゆえに殺された人たちです。豊臣秀吉の政策によることでした。
約二千年前のキリストの使徒たちの死のように、神の御子イエス・キリストを告白する信仰ゆえに殺された人たちが、日本国にいたのです。大阪や京都で捕縛された20人の日本人と、4人のスペイン人、1人のメキシコ人、1人のポルトガル人のカトリック信者たちです。
長崎で処刑せよという命令を受けて(長崎にはキリシタンが大勢いたので、隠れキリシタンへの見せしめだったのでしょう)、長崎の西坂の丘の上で処刑することが決まると、西坂の丘まで引いて行って、木にかけて処刑しました。
一行は、イエスが処刑されたゴルゴダの丘に似ているという理由から、西坂の丘を処刑の場として望んだといいます。十字架で処刑されたキリストのように、木にかけられ、四千人を超える群衆が見守る中、二十六人は槍で両脇を刺し貫かれて絶命しました。
二十六人の中には、わずか12歳の少年がいました。「キリシタンの教えを棄てればおまえの命を助けてやる。」と持ち掛けられたルドビコ茨木少年は、「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠のいのちを取り替えることはできない。」と言って、毅然とその申し出を断ったそうです。
二十六人は、キリストを主として、己の主を信じる信仰のために命を捧げました。永遠のいのちに希望を持つ彼らは、自分の命を主に捧げました。ある人は、十字架の上から群衆に向かって、自らの信仰の正しいことを語り、神が真実な方であることを語ったのです。
長崎の地には、神に忠実な殉教者の血が注がれています。目に見えない永遠のいのちの扉が開かれているようです。
80年前の8月9日に、長崎に原爆が投下されました。
焼け野原となった長崎の地のカトリック教会では、そのような状況下にあっても、生き残った人々が集まり、ミサを守りました。
天から降って来た悪魔の大王の原爆の被害に遭いながらも、天の御国におられる、とこしえの平和であられる私たちの神、主に心を向けて、祈りを捧げ、礼拝したのです。
長崎には、真実な信仰が息づいています。
終わりの時代に、キリスト教会から殉教者が起こり、国を贖い民族を贖うきよい血の流されることが、聖書には預言されています。殉教者の血は、多くの魂を救うのです。
2025年の長崎の原爆記念式典には、被爆者の数が十万人を切ったそうです。また、被爆者の平均年齢は、86歳となりました。
長崎の被爆者たちの願いは、「被爆者なき時代」を求めて、「長崎を最後の被爆地」とすることです。
神は、天からご覧になっておられました。
破壊者悪魔に操られた人間どもの終わりに、破壊と破滅があることをご存知です。破壊者に苦しめられてもなお、信仰を失わず、神の側にいた聖徒たちの祈りは、主の御前に立ち上るかぐわしい香りです。
世は悪くなる一方です。しかし、世の流れに流されずに、偽りと矛盾と罪と悪に満ちた闇の世の中にあっても、まことの光を見つめて、信仰と希望と愛とを失わない生き方を選ぶこともできます。
長崎のカトリックの人たちは、私たちに身をもって教えてくださいました。
8月9日に、わが町に原爆が投下されるなどと、誰が思ったことでしょうか。突然のことです。そして、一瞬で、破壊されました。悪魔の手の破壊力は凄まじいものです。
悪魔の子は、父である悪魔にふさわしいわざをします。
神の子どもたちは、光の主を見つめ続けました。闇に覆われ、崩れ去った町の姿を目にしても、地獄のような苦しみの中、人々の泣き叫びを聞いても、彼らは神に恨み言や憎しみの感情ではなく、町があった頃に皆で集まった時と同様に、集まって神を賛美し、礼拝したのです。
彼らの信仰は、本物でした。たとい、殺されようとも、火で焼かれようとも、すべてを失っても、神を失うことはありませんでした。
彼らの心は、目に見えない神と結びついていたのです。彼らは、信仰によって生きていたのです。
終わりの時に、キリスト教会の中から、神に忠実な信仰者たちの殉教が預言されています。カトリック信者の中から多くの人たちが、殉教者たちの御霊の教会に加わることでしょう。
「子羊(神の御座の右に着座されたイエス・キリスト)が第五の封印を解いたとき、私(ヨハネ)は、神のことばと、自分たちが立てたあかし(十字架のイエスは、私たちを救う神の御子キリストであるという信仰の告白)とのために殺された人々の魂(殉教者の魂)が祭壇の下にいるのを見た。
彼ら(殉教した魂)は大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者(神を神とせず、おごり高ぶる世の人々)に(迫害され殺された)私たちの血の復讐をなさらないのですか。』
すると、彼らのひとりひとりに白い衣(新しいからだ)が与えられた。そして彼らは、『あなたがたと同じしもべ(イエス・キリストに忠実なしもべ)、また兄弟(ユダヤ人)たちで、あなたがた(殉教者)と同じように殺されるはずの人々(殉教者)の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでなさい。』と言い渡された。」(黙示録6:9-11)
異邦人の時の完成のなるために、神は、キリスト教会の中から殉教者にふさわしい信仰の忠実な者を選り分けて、彼らの血を流されます。彼らの血は、国を贖い、民族を贖うために流されます。
神は、キリストのために苦しんだ人々の叫びを聞き届けておられます。
破壊者どもによって苦しめられた人々の声を覚えておられます。