最初の人アダムは、獣の霊である蛇の言葉を信じて従い、神の命令に背いたことで、悪魔に侮りの心を起こさせ、神の栄光を汚しました。
人は、神を神としない悪魔の罪を負って、聖なるエデンの園を追放されました。罪を負った人は、エデンの園にふさわしくない者となりました。
エデンの園は、主権者であられる神のことばと一つの世界です。すべてのものは、神の霊と一つであり、調和と平安がありました。この平和の園の管理者だった人が、神のことばに背いて、園の秩序と調和を乱しました。
園の主人は、神御自身です。管理者である「人」は、主人に聞き従う忠実な者であることが求められます。神に忠実であることが、管理者の地位をあずかる人の務めなのです。
しかし、管理者である「人」みずからが、神の命令に背く結果となりました。ほかの被造物ではなく、神のことばと一つであることが求められる「管理者」が違反をしたのです。
蛇が神の敵である悪魔の言葉を語っても、エデンの園の存続に影響はありませんでした。しかし、管理者のアダムが蛇の言葉に従い悪魔の言葉の下にはいることは許されないことでした。
管理者が罪を犯すと、エデンの園全体がその罪の下に置かれます。人の罪は、すべての被造物を悪魔の罠に陥らせたのでした。
罪の報酬は死です。
罪を犯した人だけではなく、エデンの園全体がいのちを失いました。
土地は、アダムの罪ゆえに呪われました。呪われた土地から芽生えるものもまた、呪いを受けたものなのです。すべてのものに、死が定められました。
植物は枯れ、生き物は死に、土にかえります。必ず死ぬものとなったからです。
被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではありません。被造物は、蛇に騙されません。騙されたのは、「人」です。
被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けています。
「被造物は、実に、切なる思いで神の子たち(神の秩序を守り神と調和する、神に忠実で神のことばと一つの人)の出現を待ち望んでいる。」(ローマ8:19)
神のことばと一致しない人の考えること、することはみな、破壊と破滅に向かっています。これが、神の命令に背き、神のことばから外れた人の結末です。
「神は(違反し天の秩序と調和を乱して、罪を犯した)人を(エデンの園から)追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」(創世記3:24)
ケルビムは、智天使と訳されており、神の戦車を引いたり、御座を運んだりと、神に直接仕える役目の天使だそうで、一体はエデンの園の門を守っています。
神は、ユダヤ民族と契約を結び、イスラエルを神の祭司の国民として選ばれました。神は、モーセに命じて、イスラエルにアカシヤ材で契約の箱を造らせなさいました。
設計されたのは神です。神に命じられた寸法どおりに箱をつくり、純金を内側と外側とにかぶせました。
純金の贖いのふたをつくり、その両端に、槌で打って作った二つの金のケルビムをつくりました。ケルビムは「贖いのふた」の一部であり、翼を上のほうに伸べ広げ、互いに向かい合って、ケルビムの顔が「贖いのふた」に向かうようにして、「贖いのふた」を覆うようにします。
「贖いのふた」を箱の上に載せ、箱の中には、神がお授けになった二枚の石板(モーセの十戒)と、神が選ばれた祭司職はアロンとアロンの子孫であることをあかしするアーモンドの実を結んだ「アロンの杖」と、イスラエルを生かすのは神御自身であることをあかしする、荒野の道中の四十年間イスラエル人が食べた天から降らせたパンの「マナ」を入れた「金の壺」とが納められました。
神は、「贖いのふた」の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、モーセに命じることをことごとくモーセに語られました。
エデンの園のいのちの木への道を守るために置かれたケルビムは、神の祭司の国民のイスラエルのあかしの箱(イスラエルが神に選ばれた神の祭司の国民であることをあかしするもの、すなわち、イスラエルが守るべき神の掟である「十戒」を神御自身が御自分の指で書きつけられた「二枚の石版」と、大祭司職をアロンとアロンの系図に与えたことをあかしする「アロンの杖」と、神御自身がイスラエルを生かす方であることをあかしする「マナ」、すなわち、荒野での四十年間、百万人以上のイスラエル人を生かすために天から降らせたパン「マナ」のはいった「金の壺」とが納められている「契約の箱」)のふたの上にも置かれていました。
ケルビムは、いのちの木への道を守り、また、イスラエルの神の臨在を運ぶ「主の箱」をも守っていたのです。
ヒゼキヤ王は主の前で祈りました。
「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。(すなわち、王の王であられる神)あなたが天と地を造られました。」(列王記第二19:15)
ケルビムは、神の大切なもの、聖なるものを守っています。
イスラエルが神の民であることをあかしする「あかしの箱」すなわち、「契約の箱」には、「贖いのふた」があり、そのふたの両端には二体のケルビムが翼を広げて、「贖いのふた」を覆い、「契約の箱」を守っています。
「契約の箱」に触れることが許された祭司は限られています。「契約の箱」を運ぶ祭司も、神によって定められています。それ以外の者が「契約の箱」に触ることは許されません。触れたならば、ただちに神に打たれて、その場で息絶えます。
サムエル第二6:2-8に、ウザの割り込みの記事が書かれています。神の箱を運び出している時、牛がそれをひっくり返しそうになったので、箱に手を伸ばしてそれを押さえたウザに、主の怒りが燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、ウザをその場で打たれ、ウザが神の箱のかたわらのその場で死んだことが書かれています。
神の聖なる領域に、神に召されていない者が割り込んだ事への裁きでした。ケルビムに守られた神の聖域に、人は入り込んではならないのです。
「契約の箱」と呼ばれる「神の箱」は、神の臨在であり、罪の贖いの血を流す神の子羊イエス・キリストのひな型と思われます。
二枚の石板は、モーセの律法をことごとく成就するキリストをあかしするしるしであり、アロンの杖は、天のまことの聖所でとこしえの大祭司となられるキリストをあかしするしるしであり、マナは、永遠のいのちを得させることばを語るキリストであることをあかしするしるしです。
神は、イスラエルに約束されたとおり、永遠のいのちを得させる神の御子キリスト・イエスを遣わされました。
イスラエルは、神の箱の神の臨在を恐れつつ大切に神殿の至聖所に納めたように、人の姿となって来られた契約の箱、すなわち、神のひとり子イエス・キリストを神の聖者として迎え入れなければなりませんでした。
神の箱の「贖いのふた」は、民の罪を贖う「神の子羊イエス・キリストの血」の象徴です。
神の箱に納められている「二枚の石板」は、キリストの与える律法、すなわち、イスラエルに、霊とまことによって生けるまことの神を礼拝する御霊を授けて真理を教える「聖霊」の象徴です。
神の箱に納められている「マナのはいった金の壺」は、永遠のいのちを得させる「イエスのことば」の象徴です。
神がイスラエルに遣わされた、世の罪を取り除く神の子羊の贖いの血は、ケルビムによって守られています。それは、ケルビムはいのちの木への道を守る天使だからです。
罪を悔い改めない邪悪な者が、キリストの血の恵みの中にはいって罪が赦されることがないためです。
罪を悔い改めてキリストの血の中に入った者は、イエスのことばを思い起こさせて真理を教え、いのちの道へと導く「聖霊」すなわち、「真理の御霊」を受けて、永遠のいのちを得させる「イエスのことば」に聞き従い、いのちの木の実を食べる者とされるのです。
キリストの血による罪の贖いを信じることと、生かす御霊である「真理の御霊」を受けることと、永遠のいのちに至る食物(イエスのことば)を食べることとが、いのちの木に至る「いのちの道」を歩む、神と契約を結ぶ民に望まれることです。いのちの道を歩む民は、永遠のいのちを得て、新しい天と新しい地に住む神の子どもとされます。
神の子羊イエス・キリストは、天から下って来た生けるパン(いのちのパン)であり、だれでもこのパン(イエスのことばと信仰)を食べるなら、永遠に生きます。
いのちの木はケルビムに守られています。永遠のいのちはケルビムに守られています。神のことばに聞き従いケルビムに守られている魂に、悪い者は触れることができません。触れる時、神が燃える怒りをもって悪い者たちを打たれます。
私たちは、キリストの血によって神に買い取られた者として、神のことばをいのちの糧として生きてまいりましょう。恐れなくてよいのです。神が守ってくださいます。