「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
御霊を消してはなりません。預言を軽んじてはいけません。」(テサロニケ第一5:16-20)
いつも喜んでいること、絶えず祈っていること、すべての事に感謝すること、これが、神が神のひとり子キリスト・イエスにあって望んでおられることです。
キリスト・イエスは、天から遣わされた唯一の救い主です。キリストの望みは、天の父なる神がほめたたえられて、神が栄光を取られることです。
キリストを地上に遣わされた天の神の望みは、人がいつも喜んでおり、絶えず神に祈り、すべての事について、感謝することです。
これは、キリスト・イエスを信じている人に対してだけではなくて、信じていない人にも、すべての人に望んでおられることです。
なぜならば、すべての人は、おひとりの神によって造られているからです。神を信じる人も信じない人も、神の御子イエス・キリストを信じる人も信じない人も、御霊を受けた人も御霊を受けていない人も、創造主に覚えられている被造物なのです。
人は、神が「われわれ(父なる神と、子なる神と、聖霊)に似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた、唯一の被造物です。神は、人のうちに神のかたちをご覧になっているのです。
神のかたちは、己のごとく愛する愛とひとつ心の一致と平和、喜びと信頼です。
神の中に、裏切りも争いも怒りも憎しみも悲しみも嘆きもありません。一体である安息と愛と全き光です。
いつも喜んでいるのは、光の性質です。全き光の神には暗い所が少しもありません。
絶えず祈るのは、いのちが流れ続けているからです。
すべてのことに感謝するのは、互いに優劣がなく愛でつながっているからです。
人の喜びは、光を見、正しい道を歩んでいるからです。
人が絶えず祈るのは、神との交わりだからです。
人がすべてのことに感謝するのは、神に愛されているからです。
いつも喜んでおり、絶えず「祈り心」をもって歩み、すべてのことを感謝することは、人のわざではありません。神がともにおられるからです。
イエスが弟子たちに「あなたがたは、わたし(ナザレのイエス)をだれだと言いますか。」と言われたとき、シモン・ペテロは答えて言いました。
「『あなた(ナザレのイエス)は、生ける神の御子キリストです。』
するとイエスは、彼(ペテロ)に答えて言われた。
『バルヨナ・シモン。(ヨナの子シモン)あなたは幸いです。このことをあなた(ペテロ)に明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父(神の御子イエスのまことの父、すなわち、創造主であられる天の神)です。』」(マタイ16:16,17)
ペテロが自分から「ナザレのイエスは、生けるまことの神の御子キリストです。」と言ったのではなく、天の神がペテロにお示しになったので、ペテロは、生けるまことの神に示されたままを話したのだ、とイエスは言われました。
いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝することは、天の神の御心にかなったことです。しかも、そのことは、神が、人に望んでおられることなのです。
イエス・キリストを知らなくても、御霊を受けていなくても、いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝する人に、神は、イエス・キリストを信じる人と同様の恵みを用意しておられます。
また、御霊を受けていない人であっても、いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝するならば、神は、啓示を与え、御自身を現わしてくださいます。
いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝するすべての人が、神に祝福されるのならば、イエスを主キリストと告白し主イエス・キリストの御名によって祈るキリスト者たちが、いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝すると、地上に神の国が来るのです。
キリスト者の魂の平安と喜びは、キリストの血によって罪が赦され神と和解しているからです。
肉体のいのちが血にあるように、魂のいのちは御霊にあります。祈りは、御霊に働いていただいている結果です。キリスト者は、天のまことの聖所で神に仕えておられる「とこしえの大祭司」であるキリストに、イエス・キリストの御名によって祈っています。
祈りの言葉ではありません。祈りの言葉が出る以前から、主は、その人の心にある思いをご覧になっておられるのです。それゆえ、心にあるままを正直に祈ることが大切です。嘘偽りのない正直な祈りの中に、主の安息と喜びがあります。
正直な祈りは、心からほとばしるいのちです。私たちは、祈りによって私たちのいのちを主の御前に注ぎ出しているのです。
いのちの主に、私たちのいのちを注ぎ出すことは、これこそ、いのちの交わりであり、祈りが魂の呼吸といわれるゆえんです。
すべてのことに感謝することは、自分を癒し、人間関係を癒し、地域を癒し、社会を癒し、国を癒すことです。
2025年は、光に向かう人と、闇に向かう人とに分かれ始める年だと言われています。
光の子は、神道の中にも、仏教の中にも、無宗教の人たちの中にも大勢いるでしょう。キリスト者は、光の子の長子のような存在です。なぜならば、とこしえの大祭司である神のひとり子イエス・キリストを知って、天の聖所におられるこの大祭司に向かって祈る者だからです。
神は、イエス・キリストの御名によって祈る祈りを聞いてくださいます。
イエスは言われました。
「わたし(イエス)は、あなたがたがわたしの名(イエス・キリストの御名)によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」(ヨハネ14:13)
神の御子イエス・キリストの御名によって祈ることは、御子イエスを地上にお遣わしになられた父なる神の栄光なのです。それは、父なる神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストを、唯一のメシアとして信じた者の祈りだからです。神の御計画をそのまま受け入れた、キリストの弟子だからです。
神の子羊イエス・キリストを信じることは、神のひとり子を遣わされた神をも信じることなのです。
キリスト者は、ほかの光の子らよりも、一足先に、天の御国を味わっています。それゆえ、後から来る光の子たちが正しい道、いのちの道を歩むように祈りによって守り導く務めがあります。
キリスト者が、いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝する歩みをしないでは、神の国は来ません。遠いまだ見ぬ国となってしまいます。
ほかの光の子らが、神の国を見るかどうかは、キリスト者たちの生き様が大きく関わっているように思います。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがた(キリスト信者)に望んでおられることです。
神は、まず、私たち、神の御子キリスト・イエスの御名を呼ぶ者たちに、望んでおられます。
私たちは、光の子らの先頭に立って、神の望んでおられることを実行してまいりましょう。
私たちが、これらのことにへりくだって従うならば、平和の神が私たちを喜びと平安で満たしてくださいます。そして、光を選ぶ光の子らは真理を知るようになることでしょう。