ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

救いに定められた魂が神に立ち返りますように

 

 今世は、魂の最終試験の時だと思われます。生まれ変わるという輪廻転生の解脱の時代を迎えているのではないでしょうか。

 

 仏陀は、輪廻転生のサイクルから解脱することを説いたそうです。

 永遠に続く輪廻のサイクルから解放されることを解脱(げだつ)と言うそうです。生命を受けてこの世で生きることは、良い事ばかりではありません。

 

 イエスは言われました。

 「人の子(人となられた神の御子イエス)を裏切るような人間は(永遠に)呪われます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」(マルコ14:21)

 

 イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダのことを言われたのです。ユダは、銀貨30枚を受け取って、イエスを殺そうとする祭司たちに引き渡しました。ユダは、イエスを売ったのです。

 

 ユダは、イエスの宣教の一行にいた十二使徒のうちのひとりでした。しかし、一行の金入れを預かっていたユダは、その中に収められたものを、いつも盗んでいたのです。

 会計係のユダが、そのお金をかすめ取っていたのです。ユダは、ほかの十一人の使徒たちの信頼を裏切っていました。ユダの心は、神の御子キリストの弟子にふさわしいものではありませんでした。光である神の御子イエスとともにいながら、闇を愛する者でした。

 

 「実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこに住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』」(使徒1:20)

 十一使徒たちは、イスカリオテのユダの裏切りは、聖書の預言の成就のためであったことを知りました。

 

 ユダの魂は、神を裏切る歩みをしてきた魂であり、イエスの時代にイスカリオテ・ユダとして生を受けていたようです。

 ユダは、生まれつき、『いのちの書』に名前が記されていなかった者なのでしょう。

 

 輪廻転生は、魂が功徳を積んで、解脱を達成するための行程のように思います。失敗しても、次にはそれを克服するチャンスをいただく。そういうことを幾度も重ねて、知恵を得、善を積み上げて行く。過去生の経験の積み上げによって魂が成長して、よりよく生きていよいよ、解脱に至るというのが、目的だと思われます。

 

 聖書に書かれていないのは、失敗しても次に生まれ変わったら、と安易に捉えないため、人生は一度きりで、このチャンスを生かさなければならない、と人生に真摯に向き合わさせるためなのかもしれません。

 

 輪廻転生と言っても、魂は過去生を記憶していないことがほとんどです。しかし、魂は、過去生によって善行を積み上げた魂は、より良いスタートを切ることでしょう。悪行を重ねた魂は、ユダのように、良心が麻痺した状態のままスタートするのでしょう。

 

 仏陀は、輪廻転生のサイクルからの解脱することを熱心に求めたのでしょう。生まれ変わることが良いことだとは思っていなかったようです。

 なぜならば、生まれて来たこの世は、罪の世だからです。生老病死の労苦から解放されることはありません。

 仏陀は、生老病死の労苦から解放されることが、永久的な魂の解放であると考えました。この世には、魂の憩いはないのです。仏陀は、生まれ変わることを良しとせず、すべての労苦から解放された安息の地「涅槃(ねはん)」に到達することを目ざしたのです。

 

 仏陀のように、今生を生きる中で、極楽浄土への憧れを持つ魂がいます。そのような人は、涅槃に到達する生き方を模索します。

 このような過去生を持つ魂は、神が救いに定められた魂の中にあるように思います。

 

 魂は、幾度もの経験のすえ、今生の人を生きています。光を求める人たちは、過去生でそのような精神を培った人なのかもしれません。

 しかし、世界のめまぐるしい変化の中で、変化に追いつくのに必死で、精神的な学びがおろそかになり、魂は眠らされているのでしょう。

 

 「あなたがたが眠りから覚めるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救い(世の終わりの時)が私たちにもっと近づいているからです。

 世はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、闇のわざを打ち捨てて、光の武具(救いのための真理のことばと御霊の祈り)を着けようではありませんか。

 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、妬みの生活ではなく、昼間らしい(光の子らしい)、正しい生き方をしようではありませんか。」(ローマ13:11-13)

 

 キリスト者は、仏陀が知ることのできなかった「いのちの道」を信仰によって得ました。仏陀が探究し続けた輪廻転生のサイクルから解放された境地にだれもが至ることのできる道です。しかも、その境地は、心の在り方による精神的なものではなく、実現する実在の千年王国です。

 

 人の子となられた創造主の神のひとり子が開いてくださいました。魂の解放と救いの道です。生老病死の労苦から解放される、唯一の手立てです。

 

 仏陀の入滅後、すなわち、死後、約六百年後に生まれた「明けの明星」神の御子イエス・キリストが、成し遂げてくださったのです。

 仏陀が生前、「私(釈迦)の後に、私の悟った悟りを実践して生きる人が現われる。」と預言した「明けの明星」です。

 

 イエスがイスラエルに生まれた時、東方の三人の博士が赤い星が空に現われたのを見て、「ユダヤ人の王」がお生まれになったことを知り、イスラエルに向かいました。イエスがお生まれになったベツレヘムで、幼子イエスをひれ伏して拝みました。彼らは、仏陀の預言を信じて「明けの明星」の訪れを待ち望んでいた人たちだと思います。彼らは、この幼子イエスが、「明けの明星」「世の救い主」であることを確信し、贈り物をささげて礼拝したのでしょう。

 

 仏陀の悟りは、悟りであって実現の難しいことでした。すべての人を「涅槃」に向かわせるにはどうしたらよいのか。

 

 しかし、仏陀の悟りを実践して生きる「人の子イエス・キリスト」は、ご自分の血を流して、救いを求めてご自分のもとに来る人々の罪を取り除き、真理を教える真理の御霊を授けてくださいます。

 仏陀も得ることのなかった「神の御霊」生かす御霊を受けます。そして、いのちの道へと導き、永遠のいのちを得させられるのです。

 仏陀は、修行をしました。自らの身を苦行できよめ、瞑想で魂の浄化を鍛錬しました。しかし、キリストがお与えになったのは、信仰でした。イエス・キリストを信じる信仰によって、御救いをお与えになるのです。イエス・キリストのうちに、救いの手順があるのです。

 

 私たちは、イエスを信じることで、永遠のいのちを得させられるという信仰を得ました。

 「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」(ローマ13:14)

 

 私は、ある時から、「救いに定められた人がすべて救われますように。悪いものから守ってください。魂が目覚めて救いを求めますように。そして、救いを求める彼らに、主よ、あなたが出会ってください。」と祈るようになりました。

 

 そして、地震や洪水や天災によってではなく、彼ら自身が個人的に魂を揺さぶられて目覚めますように、と祈ります。

 光の子らが自ら、目覚めるならば、自然災害の力で目覚めさせる必要はないからです。