ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

契約の民ユダヤ人の知らない神の契約

 

 ユダヤ民族は、神から『聖書』がゆだねられています。

 神は荒野で、神が契約を結んだアブラハムの子孫であるイスラエルを、奴隷の家エジプトから連れ出したモーセに仰せられました。

 

 「あなた(モーセ)は、このように、ヤコブの家(アブラハムの子孫ユダヤ民族の十二部族)に言い、イスラエルの人々(ヤコブの家とともにエジプトから出て来た在留異国人を含むイスラエル)に告げよ。

 あなたがた(かもいと門に子羊の血が塗られた家の中にいて神の御使いに打たれなかったイスラエル)は、わたし(全能の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主)がエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。(エジプトに下された十の災いを見、紅海の乾いた地を進んで荒野に入ったあなたがたは、神の力強い御腕によって、苦役を強いる奴隷の家エジプトからあなたがたを救い出されたのを見た)

 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。(アブラハムと契約を結んだアブラハム、イサク、ヤコブの神は、全世界を造られた創造主、すなわち天地万物を造られた全能の神、主であるから)

 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。(イスラエルは、全地において、全能の主、生けるまことの神に仕える、神の祭司の王国、天と地とを結ぶ聖なる国民となる)

 これが、イスラエル人にあなた(モーセ)の語るべきことばである。」(出エジプト19:3-6)

 

 モーセが、主の命じられたこれらのことばを民に語ると、民はみな口をそろえて答えました。

 「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」(出エジプト19:8)

 

 神とイスラエルの民とは、契約を結びました。

 神は、「イスラエルの神」となられ、イスラエルは、「神の祭司の国民」となったのです。神は、神の祭司の国民に、神のことば『聖書』をゆだねられました。

 

 『聖書』には、神の御計画が書かれていました。

 ユダヤ人から救いが起こること。人類を救うキリストがイスラエルから現われること。

 水で滅ぼしたノアの時代の後で、神が用意された火の滅びについて。また、火の滅びから救い出す救世主・神のひとり子を遣わす約束についてです。

 

 イスラエルは、神が天から遣わされる全世界を救う救い主を、地上で迎える民です。

 モーセは、イスラエルに命じました。

 「あなたの神、主は、あなた(イスラエル)のうちから、あなたの同胞(ユダヤ人)の中から、私(モーセ)のようなひとりの預言者をあなたのために(イスラエルの救いのために)起こされる。彼に聞き従わなければならない。」(申命記18:15)

 

 その預言者は、奴隷の家エジプトからイスラエルを救い出してイスラエルを約束の地(カナンの地)に入れるために、神に立てられたモーセのように、神のことばによって民を導き、罪の世から救い出してとこしえの家へと連れ上ってくださる、神の御子キリストです。

 神は、神の祭司の王国イスラエルに、天から神のひとり子キリストを遣わされます。ユダ族から出るユダの獅子です。ダビデの子です。

 

 モーセはイスラエルに言っています。

 「その預言者(とこしえの家、すなわち、天の御国に導き上ってくださるキリスト)に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。(キリストに従わないならば、神と契約を持つイスラエル人であっても、その契約は破棄されて、神が約束された「とこしえの家」にはいることはできない)」

 

 たとい、父祖アブラハムに契約のしるしとして神が命じられた、「割礼のしるし」を肉体にしるしていても、また、神の民の契約のしるしの「律法」の下にいても、神の契約は廃棄されます。

 『聖書』の命令の要点は、神のひとり子をイスラエルに遣わすから、神の御子に聞き従いなさい。彼は、イスラエルをとこしえの家に導き上るメシアである。ということです。

 

 神のひとり子イエス・キリストに聞き従わないならば、聖書のみことばを守っていない、ということになります。

 聖書は、神のひとり子キリスト・イエスについて書かれた書物だったのです。そして、神の御子イエスを迎え入れて、ナザレのイエスを「救い主」と信じて聞き従う者に、聖書の約束は実現します。神は、神のひとり子を受け入れた者に、神が用意されたとこしえの国「天の御国」にはいる「永遠のいのち」を得させられるからです。

 

 アダムが神の命令に背くと、状況は一変しました。エデンの園から追放されたアダムは、みずから労苦して糧を得なければなりません。アダムの背きによって、土地が呪われたからです。

 神のことばから外れたアダムは、愛と喜びに満ちたエデンの園の暮らしを失い、平安を失いました。いのちの的から外れたからです。神の愛がわからなくなったアダムの魂は、帰るべき安息の場所を知りません。

 

 モーセの命令に聞き従わなかったイスラエルもまた、神の祭司の王国、聖なる国民の地位を取り除かれました。

 神の御子イエス・キリストを信じなかったイスラエルは、ユダヤ人の国を失いました。そして、アブラハム、イサク、ヤコブの眠る先祖の地は廃墟となり、不従順なユダヤ人たちは、神に罰せられて、諸国に散らされました。自分の国ではない国々で、嫌われ、迫害され、苦しめられました。それは、アダムの罪で土地が呪われたように、ユダヤ人の罪で、世界の国々も呪いの中にはいったからです。

 

 神の祭司の国の罪は、悪魔を侮らせ、イスラエルは世の人々の嘲りとなりました。神は、全世界の国を、イスラエルにとって鞭とされたのです。神は、不信の子らを諸国の嘲りとされました。

 

 『聖書』を信じる民、『聖書』がゆだねられたイスラエルが、モーセの命令に背いて『聖書』の違反者となりました。違反した罪には刑罰が伴います。

 

 ユダヤ人たちは、モーセの命じた聞き従わなければならない救いの君キリストを待ち望んでいました。しかし、聖書の専門家たちは、自分たちが民衆に教えている教えを否定するかのようなイエスの発言に怒りを燃やしました。イスラエルの教師たちは、文字の律法を教え、イエスは、生ける神の御心を教えたのです。

 

 レビ人のようには正規に聖書を学んでいないナザレ人イエスが、パリサイ人や祭司たち、ユダヤの指導者たちを、神を知らない者たちであるかのように叱責します。ド田舎の大工のせがれであるナザレ人イエスが、大胆に神のことばを語り、多くの民衆を集めているのです。祭司たちは、正しい事を語るイエスを憎みました。また、イエスは、自分のことを「神の子」と言うではありませんか。指導者たちは、イエスを妬みました。

 

 イスラエルの教師である彼らは、自分たちの感情にまかせて、イエスを否定し、イエスがキリストであることを否んだのです。そして、民衆を扇動して、イエスを十字架につけたのでした。

 

 聖書を正規に学び立場ある人たちが、率先して、モーセの命令に逆らったのでした。自分たちが逆らうだけではなく、民をも逆らわせて、罪に罪を重ねたのです。こうして、イスラエルは、神が遣わされた神のひとり子キリスト・イエスに逆らいました。彼らの不信の罪、不服従の罪は、神を大いに怒らせて、モーセの契約は廃棄されました。

 

 シナイ山に登ったモーセの帰りを待ちきれずに、金の子牛を造った先祖たちに下った怒りと同様でした。モーセは、金の子牛を見て激しく憤り、神の指で書かれた二枚の石板を投げ捨てて砕きました。そして、再び、シナイ山に登って、もう一度、二枚の石板に神から十戒を受けたのです。

 

 神が遣わされた神のひとり子イエスに逆らった先祖たちを、神は、打たれました。彼らは、ローマ帝国に国を滅ぼされて、離散しました。

 

 しかし、神はいつまでも、怒ってはおられません。彼らの父祖アブラハムとの契約を守られます。また、ダビデ王に誓った契約も果たされます。神は、永遠に生きておられ、契約に忠実な神なのです。

 

 離散しているユダヤ人たちの中で、十字架につけたナザレのイエスがキリストであったことを悟る者が現われました。

 世俗派ユダヤ人の中でキリストを信じたユダヤ人は、ユダヤ人ビリーバーと呼ばれます。ユダヤ教徒の中でキリストを信じたユダヤ人は、メシアニック・ジューと呼ばれます。

 

 ユダヤ人の中に、神の御子イエス・キリストを信じる信仰のある人たちが起こるのをご覧になった神は、彼らと和解されました。

 ユダヤ人ビリーバーの信仰、メシアニック・ジューの信仰は、ユダヤ民族の罪を贖いました。彼らの悔い改めにより、ユダヤ人たちの国を再建する神の赦しと恵みが開かれたのです。

 

 しかし、ユダヤ人の国イスラエルが再建された現在でも、先祖が十字架につけたナザレのイエスがキリストであることを信じていません。神との和解が実現していません。それゆえ、イスラエルには争いが絶えないのです。

 

 神は、キリストを信じる1%のユダヤ人(ユダヤ人ビリーバーとメシアニック・ジュー)のゆえに、聖書のことばを成就しておられます。

 

 世界には、ユダヤ人たちが捨てた救い主イエス・キリストを信じて、契約の民ユダヤ人よりも先に、神の平安の中にはいっている異邦人たちがいます。

 

 神は、天から遣わされた御子イエスの口により、「天の御国」にはいるための新しい律法をお与えになりました。それは、文字の律法ではなく、罪の赦しと死からの解放と永遠のいのちとを得させる、いのちの律法「真理の御霊」です。

 この契約は、十字架で流された神の子羊イエスの血の契約です。キリストの血によって罪が赦され、キリストの御霊を飲んで死から甦り、永遠のいのちを得させられるのです。

 

 律法の下にいない無割礼の異邦人たちは、聖書を知らなくても、霊によって生ける神のことばを信じ、イエスのことばに従います。

 神のひとり子イエスを信じ、イエスのことばに聞き従う人は、神の御子イエス・キリストの契約を受け、御霊の律法を得て、「永遠のいのち」の約束に希望と信仰を持ち、キリストを愛しています。私たちは、文字によってではなく、キリストの愛によって神と和解し、神のみもとに帰るのです。

 

 律法の覆いで霊が頑なになっているユダヤ人たちは、キリストの契約を知りません。

 しかし、ユダヤ人も、主イエスに向くならば、その覆いは取り除かれて、神と和解し、平安を得ることができるのです。