世の中には、多くの宗教があります。それぞれ教祖がおり、信者は彼のことばを聞いて、そこに救いがあると信じて従っています。
救いとは、いったい何でしょうか。
仏教の創始者釈迦(仏陀)は、生老病死からの解放、輪廻転生のサイクルからの解脱を目ざしました。
仏教の創始者と言いますが、実は、釈迦は宗教をつくるつもりはありませんでした。弟子たちが、仏陀の教えを人々に知らせ、伝承するために活動していたその働きが群れとなって、宗教の形態となっていったと思われます。
神道は宗教ではありません。聖典も教義もありません。自然との調和、他者との和合の中に、霊なる神がおられ、この神の恵みにあずかって生かしていただいているのです。
神道では、神を聖なる方であるとして、神の御前に出るためには、身も魂もきよくなることが求められます。
キリスト教の創始者はイエス・キリストとされていますが、仏陀と同様に、イエスもまた宗教をつくることを願ってはおられませんでした。
神を恐れ、神を知ること、また、人々が神にへりくだって神のことばに聞き従う信仰を持ち、神が遣わされたキリストの御名によって救われた人たちが神をほめたたえて、神の栄光が現わされることを求めていました。
生老病死、この世の労苦から解放されることへの願望。
生かしてくださる神にふさわしく、きよい者となって、すべてのものと調和し平和であることへの願望。
すべての不安と恐れ、争いや怒り、罪の縄目から解放される自由と、死の恐怖からの解放、光への憧れと、聖い神と平和である魂の救いへの願望。
天から来られた救世主がいます。
それは、最初の人アダムが創造されるよりも先におられた神のひとり子です。星々が造られるのを創造主であられる全能の神、父なる神のかたわらで見ていた御子です。
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(ヨハネ第一1:5)
神は光でした。神の御子もまた、光です。
「(神のひとり子は)すべての人を照らすまことの光であって、世に来た。彼(神の御子イエス)はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」(ヨハネ1:9,10)
神が霊であるように、受肉前の神の御子もまた、神の御子の霊として、世にいたのです。
アブラハムが割礼のないアブラムであったとき、天地を造られたいと高き神によってアブラムを祝福し、アブラム自身が十分の一をささげたシャレムの王メルキゼデクは、受肉前の神のひとり子であったと、私は考えます。
後に、神は、朽ちることのない、復活のいのちの力によって、まことの天の聖所で大祭司の務めをする神の子羊キリスト・イエスについて、「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」(へブル7:17)と仰せられました。
神は、受肉前の神のひとり子と、肉体を持つ人の子として来られた神の御子イエスを、等しい者とされました。
「わたし(神の御子ナザレのイエス)の上に主の御霊がおられる。(イエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けて水から上がられると、天が開け、神の御霊が鳩のように自分の上に下ってくるのを見ました)
主が、貧しい人々に(へりくだる魂に解放の良き訪れの年を告げる)福音を伝えるようにと、わたし(ナザレのイエス)に(キリスト【救世主】の)油を注がれたのだから。
(全能の神)主はわたし(神の御子イエス・キリスト)を遣わされた。
捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。(罪の縄目にうめく人に、罪の赦しと罪の訴えを退け罪からの解放を、また、真理に目が閉ざされている人には真理の光を照らして真理を悟らせるために、魂の救い主を遣わされた)
しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。(正しい事を望む人々を世の悪から救い出して、罪の奴隷から自由にし、主が死と滅びの悪の手から買い戻した魂に、主御自身が治められる千年王国が地上に実現する恵みの年が開かれることを告げ知らせるために、全地の主は、神の御子イエス・キリストを遣わされた)」(ルカ4:18,19)
神が遣わされたキリストのうちに、仏陀の求めた、輪廻転生のサイクルからの解脱、生老病死からの解放の成就があります。また、キリストのうちには、神道が求めた聖さにまさる、神の子どもとするための新しい創造の成就があります。
キリストは、すべての人を照らすまことの光であり、真理の御霊を授ける神のひとり子なのです。御霊のうちに、永遠のいのちがあります。
神は、神のひとり子に肉体を造り、人の子として、世に遣わされました。
人の子ナザレのイエスは、神に聞き従って、十字架で罪の贖いの神の子羊の血を流されました。罪を犯されなかったナザレのイエスの聖なる血は、すべての人の罪を覆う血です。
世の罪を取り除く罪の贖いの血を流されたイエスは、死んで墓に入りました。そして、三日目に、聖霊が新しく創造した復活のからだで死から甦って、永遠に生きる「新しい人」となられたのです。
処女マリアの胎から肉の子として生まれた「人の子」イエスは、神の霊(聖霊)によって、肉の人ナザレのイエスの死から、永遠に生きる「新しい人」キリスト・イエスに生まれ変わったのです。
「新しい人」は、御霊によって生まれた、御霊の人です。女から生まれた肉の人は死んで、御霊によって生まれる「新しい人」が新しく創造されました。
「人の子」ナザレのイエスは一度死んで、御霊によって生まれた「新しい人」となって、天に上られました。新しく創造された新しい「人の子」はご自分を遣わされた方、すなわち、天の父なる神のみもとに帰られたのです。
「新しい人」神の子羊イエスは、御座におられる方、すなわち、天の神からキリストの権威を受けられました。
聖霊によって生まれた「新しい人」復活のイエスは、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を、父なる神からお受けになりました。
神のひとり子は、ナザレのイエスとなって、世に来られました。
「人の子」イエスは、罪の贖いの子羊となって、死んで甦り、御霊によって生まれる「新しい人」として誕生されました。
神に遣わされて来られたイエスは、「新しい創造の初穂」となって、御座におられる方のみもとに帰り、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けて、永遠のいのちを得させる救世主となられました。
そして、神が遣わされた「人の子」すなわち、神の御子イエスを信じる人たちに、聖霊のバプテスマを授けて、キリストの兄弟となる「新しい人」すなわち、御霊によって生まれる神の子どもたちを、新しく創造されるのです。
父なる神と神のひとり子がともに造られた、土の塵から造られた「人」は、罪を持つ肉なる人として死にました。
父なる神は、神のひとり子を人の子とし、肉に死んだ人の子を、御霊によって生まれる「新しい人」に、新しく創造されました。
神は、御子とともに、御子のために創造された「土から造った人」に、永遠のいのちを得させるために、御子に肉体を造って「人の子」の姿とされました。
神は、愛する神のひとり子を、土から取られた「人の子」と同じ姿にされたのです。
「人の子」は、「土から造った人」に、永遠のいのちを得させるために、ご自分のいのちをお与えになりました。
肉体を持つ御子イエスは、十字架で、世の罪を取り除く聖なる贖いの血を注がれました。
神は、御自身の御計画に従順な子羊イエスを、聖霊によって、死から甦らせ、御霊のいのちで永遠に生きる神の子を生ませられたのです。
「あなた(死から甦ったイエス)は、わたし(神)の子。
きょう、わたし(神)があなた(キリストとされる新しい人、すなわち、第二のアダム)を生んだ。」(へブル1:5)
「わたし(天の神)は彼(新しい創造の第二のアダム)の父となり、彼(新しい人〉はわたしの子(神の子ども)となる。」(へブル1:5)
神が遣わされた救い主イエス・キリストを信じる人に、神は、イエス・キリストにされたと同じ新しい創造をされます。
聖霊によって生まれる「新しい人」を創造されます。
肉の人は罪に死んで、キリストの御霊によって、神の子どもに造り変えられます。
イエス・キリストは、「永遠のいのち」を得させるために、世に遣わされた救世主です。
「聖書が書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によって(永遠の)いのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)