神を信じる人は、目に見えない霊なるものを信じています。
目に見えないものには、天に属するものと地に属するものとがあります。心の目を明るくする光と、心の目を暗くする闇です。
光に向かう先には希望と平安と喜びがあります。しかし、その道には、闇の勢力の妨害が許されています。しかし、肉に死んでその妨害を乗り越えて勝利するならば、信仰によって、神との和解と神との調和を得て、とこしえの安息に入ります。
闇に向かう先には偽善(神に覚えられない偽りの善)と肉の喜びと不信があります。すべてのものが偽りの平安で麻痺しています。多くの者が進む道です。戦いの少ない道に見えていたのが、進んで行くと、裏切りと怒りと争いと破滅に至ります。
イエスは、ペテロと呼ばれるシモンに言われました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたし(イエス)は、あなた(ペテロ)の信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(サタンのふるいによって信仰が揺さぶられて、自分のうちに信仰を持ち続けることのできない弱さを見つけて打ちひしがれても、信仰がなくならないようにイエスが祈っておいたから、ペテロは信仰を再び取り戻すことができます)
だからあなた(ペテロ)は、(イエスを否んだ不義を悔い改めて)立ち直ったら、(同じように、サタンにふるわれて恐れによってイエスを置いて逃げた自分に落胆し心許ない信仰の)兄弟たちを力づけてやりなさい。(自分自身の不信仰に心破れ打ちしおれている兄弟たちを励まし勇気づけ、赦してくださる主イエスに思いを向けさせ、主のことばに立ち返らせて、彼らの信仰がなくならないように助けてあげなさい)」(ルカ22:31,32)
神は、私たちの信仰を、自分自身の熱心による肉的な信仰から、神にへりくだって主の御霊の助けを受ける霊的な信仰に、信仰の次元を高めてくださいます。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。イエスの父なる神は、人の熱心や努力によってではなく、御霊によって礼拝する礼拝者を求めておられます。
人のものは肉です。どんなに純真で熱心であっても、肉であり、天に残されるものではありません。
しかし、御霊は天のものであり、天の神のみもとに残されるのです。
肉体が老いて朽ちて行くように、肉の努力による熱心な信仰は、とこしえの輝きを持っていません。そこには、御霊のいのちがないのです。喜びも平安もない、習慣としきたりに裏づけされる、いのちのない信仰となるのです。
このようなひからびた信仰を、いのちの神が喜ばれるでしょうか。
神は、神といのちを通わせる「真の礼拝者」を求めておられます。いのちには光があります。希望と愛と喜びの伴う信仰です。
黒い濁流の川が勢いよく流れる幻を見ました。
その濁流が流れ去った後に、白い衣の御使いがその地に立ち、その濁流に飲まれ濁流が流れ去って黒く汚れた地に、宝を一つ一つ見つけていました。
その地に隠れていた輝く魂が現われたのです。濁流に流されたからこそ、姿を現わした尊い魂です。
濁流に飲まれた地の人々のそれぞれの思いが、神の御前で露になります。
望みを失って呆然とする人。いのちが守られたことを感謝する人。神を恐れる人。神をうらむ人。神に立ち返る人。神に背を向ける人。御使いは、神を恐れる心のある人、互いに助け合って困難な状況を乗り越えるために立ちあがる人、いのちに感謝する人、それぞれの心にあるものを見て、いのちの光のしるしをつけているようです。
今は、神を恐れる正しい人が、霊とまことによって、神を礼拝する信仰が現われるときです。そのような魂が目覚めるときです。
ヨブ記には、神は、神に忠実な神のしもべのヨブをサタンが試みるのを許されることが書かれています。
信仰のない者への裁きではありません。
神を恐れる信仰を持つ正しい人の信仰を試すために、サタンが働くことを、神が許しておられるのです。
何事も、神の許しがなければ起こりません。サタンであっても、自分勝手に神の人を苦しめたり、誘惑したり、不和をもたらしたり、争いを引き起こしたりすることはできません。
すべての事は、神の承諾があってのことです。
信仰があるから危険から守られるというわけではありません。
コリント第二11:23-27には、神に忠実に聞き従うパウロの身に起こった数々の難が書かれています。
サタンは、神に忠実なしもべをその道から外すために、聖徒に戦いを挑んで来ます。
サタンの働きを許される神は、聖徒たちがサタンに勝利することを期待しておられます。
「キリストは永遠に存在されるのであって変わることのない祭司の務めを持っておられます。(キリストは死から甦って天に上り、天の聖所でとこしえの祭司の務めをしておられます)
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、(イエス・キリストの御名によって祈る)彼らのために、執り成しをしておられるからです。」(へブル7:24,25)
キリスト者の祈りには、キリストの助けがあります。キリストは、私たちのために、執り成していてくださるからです。
また、キリストは、私たちの弱い信仰を奮い立たせて信仰の道を導いてくださる「助け主【真理の御霊】」を授けてくださいます。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいのかわからないのですが、御霊御自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのために執り成してくださいます。」(ローマ8:26)
肉の私たちは、どのように祈ったらよいのかわかりません。私たちの魂は痛み、霊はうめくだけです。しかし、人の心を探り知る方(神)は、キリストが人にお与えになった御霊の思うところが何であるかを知っておられます。
「なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御心に従って、神の御旨にかなう執り成しをしてくださるからです。」(ローマ8:27)
今は、祈りを強化するときです。祈りは霊的なものです。サタンの働きも霊です。霊の攻撃に対抗するものは、祈りであり、賛美です。神をほめたたえ、感謝することもサタンの嫌うことであり、サタンの力を弱めます。
光に対抗する闇の力は強力です。信仰のともしびを消すために働きます。光が強ければ強いほど、大勢の悪霊どもが集結して働くことでしょう。
フランクリン・ルーズベルトのことば
「背負う荷物を軽くしてほしいなどと願ってはならない。
背負えるだけの強い背中にしてほしいと願いなさい。」
信仰の勝利を得るために、日々祈りを積み上げましょう。
「主よ。私は弱い者です。どうか、信仰を失うことがないようにお守りください。光を見失って希望を持つことができないときには、神が支えてくださって、神を信じ神にすがる力を恵んでください。悪しき者を見分け、悪しき者に勝利する力を与えてください。信仰の勝利者として神の御前に立つ者としてください。」
「彼(神の子羊イエス・キリスト)は傷ついた葦(傷ついて弱った信仰者)を折ることなく、ほのぐらい灯心(消えかかった信仰)を消すことなく、真実をもって道をしめす。」(イザヤ42:3)
御霊をいただいている人は、祈りましょう。
信仰者たちが苦難の中でも、信仰がなくならないように祈りましょう。
また、光を求める人たちが、その希望を失わずに、いのちの神に辿り着くことができるように祈りましょう。
祈りによって、守られます。