ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

旧約聖書を成就するキリスト・イエス

 

 天地万物を造られた全知全能の神、主が、神と契約を結ぶアブラハムの子孫イスラエルにゆだねられた『聖書』は、地上のすべての民族を祝福する「神の祭司の国民」に与えられた「神のみことば」です。

 

 神は、創世の初めに、エバを騙した蛇の頭(神の御子に敵対し神に反逆する悪魔)を踏み砕く「人の子(女の子孫)」をお定めになりました。

 女から生まれる、神のひとり子イエス・キリストは、この時すでに、神に定められていました。

 

 神は、ひとり子に肉体を造って、「かかと」という名のヤコブの子孫に遣わすことを定めておられたのです。アダムとエバに子どもがひとりもいないときに、その事は定められていました。

 

 アダムにセツが生まれ、セツの子孫にノアが生まれ、ノアの子セムの子孫にアブラハムが生まれ、アブラハムの子孫にヤコブが生まれました。

 ヤコブは、神から、神と人と戦って勝利した者という名をいただいて、「イスラエル」と呼ばれました。

 

 ヤコブの子ユダの子孫にダビデが生まれ、神は、ダビデにイスラエルの王の油を注がれました。そして、神は、預言者ナタンをやって、ダビデに仰せられました。「ダビデの家(王家)とダビデの王国とは、わたし(イスラエルの神)の前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)

 

 神は、ダビデの王座をとこしえまでも堅く立て、神の前にとこしえまでも続くイスラエル王国を治めるひとりの子孫が起こることを約束されました。

 それは、イスラエルの父祖アブラハムに約束された、アブラハムのひとりの子孫をさします。あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の人類を救うキリスト【救世主】のことです。

 

 神は、アブラハムに約束されたアブラハムのひとりの子孫(キリスト)が、ダビデ王から出ることを約束されたのです。彼(ダビデの子)は、神が、蛇の頭(悪魔)を踏み砕くと仰せられた「人の子」です。

 

 そして、神は、この「人の子」(ダビデの子)を、御自分の子とすることを約束しておられます。

 「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」

 

 ダビデから四百年後のダニエル、また、イエスが生まれる六百年前にいたダニエルは、幻を見ました。

 「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。

 この方(人の子のような方)に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼(人の子のような方)に仕えることになった。

 その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7:13,14)

 

 ダニエルは、人の子イエスが、十字架の死と復活の栄光の姿で、天の雲に乗って天に上り、御座におられる方(永遠に生きておられる神)の前に進み出たところを、幻で見たのです。

 神が、蛇の頭を踏み砕くために遣わされた人の子、すなわち、女から生まれた神の御子イエスは、アブラハムの子孫であるダビデの子として、イスラエルに遣わされました。

 

 神の御子イエスは、遣わされた方(御座におられる父なる神)の御旨を成し遂げて、天に帰られました。父なる神の御前に進まれると、「人の子」イエス(復活の新しい人)は、天地万物を治める主権と、聖霊のバプテスマを授ける「キリスト」の権威の光栄と、とこしえの国(ダビデに約束された「とこしえのイスラエル王国」と「イスラエルの王」の王座)をお受けになりました。

 

 聖書には、暴虐に満ちた世を、神が大水で滅ぼしたノアの時代のことが書かれています。

 ノアは、箱舟にはいり大洪水の水の中をくぐって、滅びの世から救い出されました。

 キリストを生むイスラエルは、紅海の乾いた地を通って、四百年の間苦役によって苦しめられた奴隷の家エジプトから救い出されました。後から追って来たエジプトの王と軍勢は、紅海の水に飲まれてみな死体となりました。イスラエルは、紅海をくぐって救われました。

 

 神は、イスラエルに、人の子イエスの道を備えるバプテスマのヨハネを遣わされました。人の子もまた、バプテスマのヨハネから、水のバプテスマを受けたのです。

 暴虐の世を滅ぼしたノアの時代の洪水は、人類の水のバプテスマのひな型であり、奴隷の家エジプトの罪を滅ぼした紅海の水は、イスラエルの水のバプテスマのひな型でした。

 洪水をくぐって、ノアは、世を滅ぼた人類の不信仰の罪から離れて神の礼拝者となりました。

 紅海の水をくぐって、イスラエルは、人の奴隷から解放されて神の奴隷とされました。

 

 水のバプテスマは、世の罪から離れ罪の奴隷から解放されて、罪を赦してくださる神に立ち返る、悔い改めのバプテスマです。

 

 バプテスマのヨハネは、水から上がられたイエスの上に、聖霊が鳩のように天から下られたのを見ました。

 聖霊が下られるのを見て、このイエスが、聖霊のバプテスマを授けるキリストであることを知ったのです。

 

 聖書には、神が、イスラエルとエジプトとを、子羊の血によって区別されたことが書かれています。

 神は、イスラエルに、家の柱とかもいとに子羊の血を塗るように命じられました。エジプトの地には、子羊の血を塗ったイスラエル人の家々と、子羊の血が塗られていないエジプト人の家々とがありました。

 その晩、神が御使いを遣わされると、御使いは子羊の血を目印としてエジプトの地を巡りました。御使いは、子羊の血を塗ったイスラエル人の家々を過ぎ越し、血のしるしのないエジプト人の家々にはいって、その家の初子をみな打って行きました。

 子羊の血のしるしによって、神の裁きは過ぎ越されました。子羊の血は、いのちのしるしでした。神が生かす者であることのしるしでした。

 

 神は、「人の子」イエスの血を、神の子羊の血とされました。神の子羊イエスの血は、神が生かす者であることのしるしです。

 神は、神の御子イエスの血による罪の贖いを信じる人と信じない人とに、分けられます。

 

 聖書には、青銅の蛇のことが書かれています。神につぶやき、神の怒りを買った人々は、神が送られた毒蛇に噛まれて死にました。

 神は、モーセに青銅の蛇をつくり、旗ざおの上に掲げよ、と命じられました。そして、「青銅の蛇を仰ぎ見る者は毒蛇に噛まれても生きる。」と仰せられました。青銅の蛇を仰ぎ見る者は、神のことばを信じるその信仰によって死を免れました。

 

 神は、子羊(神の民)のいのちを救うために、十字架に神の子羊イエスをかけられました。神は、子羊(神の民)の罪の呪いを、神の子羊イエスおひとりに負わせられました。神の怒りは、木にかけられたイエスに臨みました。「人の子」イエスは、世のすべての人の罪ゆえに罰せられる「神の呪い」となってくださいました。

 神の子羊イエスは、神に呪われ、罰せられました。それゆえ、神の子羊イエスを、死に価する自分の罪(死刑囚の私)に身代わって死んでくださった「私のいのちの救い主」と信じて、救い主を遣わしてくださった神に感謝し、自分の罪を言い表わして神に立ち返るならば、生きるのです。

 

 聖書には、預言者ヨナの事が書かれています。

 ユダヤ人の預言者ヨナは、罪によって滅びる異邦人のニネベの人たちが救われるために、滅びの宣告と罪を悔い改めるならば神は思い直されるということを宣べ伝えるために、神に遣わされました。

 ヨナは、イスラエルの敵国のアッシリアの人たちの救いを望んではいません。神の命令を聞きながら、ニネベとは反対方向へ向かう船に乗り、嵐を引き起こしました。

 神のことばに背くヨナの罪が引き起こした嵐でした。神の怒りを鎮めるため、船を守るため、そして、嵐を鎮めるために、ヨナは海に投げ落とされました。

 神は、大魚を送り、ヨナを飲み込ませました。ヨナは、大魚の腹の中で三日三晩、神に悔い改めました。大魚の腹の中は暗闇で、ヨナは死を味わいました。神が命じられると、大魚はヨナを岸に吐き出しました。神はヨナを生かして、ニネベの人たちのところに送り、罪を悔い改めたニネベの人たちの裁きを思い直されました。

 

 イエスは、十字架で罪の贖いの血を流して死に、墓にはいって、三日目に死者の中から甦られました。十字架は、ユダヤ人と異邦人の隔ての壁を取り除きました。いのちの福音は、全人類に宣教されます。

 

 神がイスラエルに遣わされた「人の子」イエス・キリストの上に、旧約聖書は成就しました。

 エジプト人とイスラエル人とを区別した子羊の血のように、イエス・キリストの血は、神の子羊イエスの血の贖いを信じず不信仰なまま罪の中で死んで行く世の人たちと、神の子羊イエスの血の贖いを信じる信仰により子羊イエスの血によって罪が赦され神と和解する神の民とに区別されます。

 

 青銅の蛇を仰ぎ見ることなく死んだ者と、仰ぎ見て生きた者とに分かれました。木にかけられた神の子羊イエスを信じない者は、自分の罪の中で滅びます。しかし、神の子羊イエスを信じる者は、その信仰により救われます。

 

 聖霊によって死から甦った「人の子」イエスに、神は仰せられます。

 「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)

 全き光の神が、死から甦った「人の子」、御霊によって生まれた「新しい人」復活のイエスに、「わたしが生んだわたしの子。」と仰せられました。

 

 また、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」(へブル1:5)と仰せられました。神は、死に勝利する人の子の父となられました。そして、御霊によって新しく生まれる「新しい人の子」(新生した人)を、「わたしの子」と仰せられます。

 

 神は、アブラハムにエジプトの川から、ユーフラテス川までのカナンの地を与えると約束されました。

  

 「わたし(全能の神)は、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17:8)

 

 この約束は、今は成就していません。

 しかし、天から再びイエス・キリストが来られるとき、成就します。

 聖書のみことばは、神の御子である「人の子」、また、「復活の新しい人」キリスト・イエスによって成就するからです。

 

 聖書を信じる人たちは、このみことばの成就を信じて、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいます。

 神のみことばは、悪魔を踏み砕く「人の子」イエス・キリストによって、ことごとく、成就するのです。

 

 天から再び来られる神の御子キリスト・イエスは、とこしえに堅く立つダビデの王座に着座される「とこしえのイスラエルの王」なのです。