ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ローマ書八章 御霊の初穂をいただく聖徒は圧倒的勝利者

 

 「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 なぜなら、キリスト・イエスにあって、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなた(私)を解放したからです。」(ローマ8:1、2)

 

 私たちは、母の胎から生まれ出た時から、「罪と死の原理」のうちを歩んで来ました。エデンの園から追放されたアダムの子として生きていました。

 生老病死の労苦、すなわち、生きることの苦しみ、老いることの不安、病むことの痛み、死の恐怖とともに生き、ついには死んで墓に納められるのです。

 

 すべての人は罪人であって、人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています。それが、人の行く道であり、世の摂理なのです。

 

 しかし、神のひとり子イエス・キリストが世に来られると、世に、光が投じられました。真理の光です。

 神が天から遣わされた真理のことば(いのちの根源である主のひとり子「人の子」イエス)は、生老病死の労苦からの解放を探究した仏陀の待ち望んだ「明けの明星」でした。

 

 神に遣わされたイエスは、世の罪を取り除く聖い血、罪の贖いの血を流しました。十字架につけられたイエスは、肉体の死によって、罪に勝利を取られました。

 一度も罪を犯さなかった「人の子」イエスは、罪がないのに木にかけられて、罪の呪いを受けられました。

 

 罪の報酬は「死」です。しかし、罪のないイエスには「死」という報いはふさわしくありません。「死ぬべき罪」のない方が、死の国に入って、生きられました。闇に光が輝きました。

 

 「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

 死の国の闇に、光はふさわしくありません。闇は、この光を飲み込むことができませんでした。

 

 悪魔の闇は、光を飲み込む漆黒の闇です。ブラックホールは、常に光に勝利して来ました。

 しかし、イエス・キリストのいのちの光を飲み込んで滅ぼそうとしても、飲み込むことができませんでした。かえって、いのちの光は、闇の中に輝き、闇を照らす明かりとなってしまったのです。闇は神の子羊イエスのいのちの光に、打ち勝つことはできませんでした。

 

 全き光であるイエスのいのちには、暗いところがありません。闇と共振

 神の子羊である「人の子」イエスは、御霊によって、新しい復活のからだで甦りました。イエスの肉体は、十字架で死にましたが、御霊の与える新しいからだで甦られたのです。

 

 肉のからだ(肉体)は、生老病死の労苦を負い、朽ちて滅びます。

 しかし、御霊が与える新しいからだは、永遠に生きる御霊のからだ、いのちのからだです。

 

 肉のからだは、罪と死の原理によって、死んで滅びます。

 しかし、御霊が与える御霊のからだは、永遠に生きるいのちのからだです。

 

 神は、神の子羊イエス・キリストを、死から甦らせて、御霊による新しい創造の初穂とされました。復活のイエス・キリストは、御霊の初穂です。

 

 「あなたは、わたしの子。

 きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)

 

 最初の人アダムは死にました。処女マリアから産まれた「人の子」イエスは、十字架の上で死にました。

 神は、墓に納められた「人の子」イエスに、御霊によって永遠のいのちを得させて、死なない霊のからだで新しく生んだ、と仰せられました。神が「新しい人」復活のイエスを生んだのです。

 御霊が、肉に死んだ「人の子」イエスを、永遠に生きる「新しい人」に生まれさせました。

 

 「わたし(神)は彼(「新しい人」イエス)の父となり、彼(御霊によって生まれた「人の子」イエス・キリスト)はわたしの子(神の子ども)となる。」(へブル1:5)

 

 新しい人は、御霊によって生まれた「神の子ども」です。

 復活のイエス・キリストは、女から生まれた「人の子」の中から「新しい人」として新しく創造された「神の子ども」の初穂です。

 神は、死んだ「アダム」の中から、御霊に創造されて永遠のいのちと霊のからだをもって新しく生まれる「第二のアダム」を創造されました。

 

 肉で生まれた人の子イエスは、神のことばとともに生きて、死から甦り、御霊によって生まれる神の子どもの初穂となられました。

 

 神の御子イエス・キリストを信じて、御霊をいただいている私たちは、御霊の初穂(復活の人の子イエス・キリスト、すなわち、新生した第二のアダム)をいただいています。

 

 神は、「人の子」イエスを遣わし御霊による新しい創造によって、この世に、「いのちの御霊の原理」を創造されました。

 「いのちの御霊の原理」は、一度死ぬことと死後に裁きを受けることとが定められていた私たち罪人を、「罪と死の原理」から解放して、「いのちの御霊の原理」の中に招き入れて、永遠のいのちを得させます。

 

 「神は、御自分の御子を、(「罪と死の原理」が働いている人の)罪のために、罪深い肉(罪人)と同じような形で(「人の子」イエスの姿で)お遣わしになり、(「人の子」イエスの)肉において罪を処罰されたのです。」(ローマ8:3)

 

 律法は人を奴隷にします。肉なる人に、律法を全うすることはできません。肉の思いは神に対して反抗するものだからです。肉は、神の律法に服従できません。服従できないのです。

 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、肉の思いは死です。

 

 肉に従って歩まず、御霊に従って歩む者、御霊によって新生した「新しい人」は御霊に属することをひたすら考えます。御霊による思いは、いのちと平安です。

 

 「新しい人」は、御霊の初穂(イエス・キリストのいのち)を持っています。

 「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」(ローマ8:9)

 

 キリストを信じて信仰告白をしても、肉に従って生きるなら、その人は死にます。(御霊のいのちを持っていないのです)しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、生きるのです。

 

 「御霊は、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいのかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのために執り成してくださいます。(御霊を宿す私たちは、ひとりではありません。御霊がともにおられます。御霊の初穂をいただく私たちは、御霊に導かれて歩んでいるのです。)」(ローマ8:26)

 

 御霊は、神の御心に従って、聖徒のために執り成しをしてくださるからです。

 

 御霊の初穂のキリスト・イエスは、神の子どもの長子となられました。

 神のひとり子であった御子は、御子の栄光の御姿を捨てて、「人の子」イエスとなられ、肉に死んで、御霊の初穂となられました。

 神のひとり子は、神の子どもたちの長子となられたのです。

 

 「私たちは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子(神の子ども)としてくださる御霊を受けたのです。

 私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。(天の神を「天のお父様」と呼びます)」(ローマ8:15)

 

 「もし(神の)子どもであるなら、(天の御国の)相続人でもあります。」(ローマ8:17)

 

 神の子どもたちの長子であるイエス・キリストのように、私たちは、永遠のいのちの栄光を受けるためにキリストの歩まれた苦難をともにします。

 

 パウロは言います。

 「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている(御国の子の)栄光に比べれば、取るに足りないものと私(パウロ)は考えます。」(ローマ8:18)

 

 「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

 私たちすべてのために、御自分の御子をさえ惜しまずに(ひとり子を)死に渡された方(天の神)が、どうして、御子(キリスト・イエス)といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)

 

 「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、(患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣)これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)

 

 天の御国に入ってとこしえの安息を得ることを信じて、信仰と希望を持って、御霊に導かれながら、望みをもって耐え忍び、いのちの道を歩みましょう。