「イスラエルの長老たちの幾人かが来て、私(預言者エゼキエル)の前にすわった。
そのとき、わたしに次のような主のことばがあった。
『人の子よ。(神のことばとともにある人の子エゼキエルよ〈エゼキエルは獣の霊とともにおらず、人の子の霊とともにあった〉)これらの者たちは、自分たちの偶像(神ではないものにより頼んでいる、神と一つではない定まらない心)を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むもの(獣の霊)を顔の前に置いている。(彼らは神ではない霊とともにいる)
わたし(生けるまことの神)は、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。(願いがかなうと、彼らは偶像が聞き届けてくれたと言って、神に栄光を帰すことなく、再び、彼らの慕う偶像へと帰って行くことを知っているからだ)
それゆえ、彼らに告げよ。神である主はこう仰せられると言え。心の中に偶像を秘め、不義に引き込むもの(神から引き離すもの)を自分の顔の前に置きながら、(神の)預言者のところに来るすべてのイスラエルの家の者には、主であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。
偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心をわたしがとらえるためである。(実に彼らは自分勝手な道を選び、その心は忌むべき物〈獣の霊が与える物〉を喜ぶ。〈それゆえ、〉わたし〈生けるまことの神、イスラエルの神〉も、彼ら〈イスラエル人〉を虐待することを選び、彼らに恐怖をもたらす。わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行ない、わたし〈イスラエルの神〉の喜ばない事を選んだからだ。〔イザヤ66:3,4〕)
それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像(あなたがたを神から引き離すもの)を捨て去り、すべての忌みきらうべきもの(死と滅びへと導く獣の霊〈悪魔に支配されている霊〉が与えるもの)をあなたがたの前から遠ざけよ。」(エゼキエル14:1-6)
「もし預言者(神のことばをあずかる者)が(悪しき霊に)惑わされて、ことば(神からではない偽りの預言)を語るなら、―主であるわたし(イスラエルの神)がその預言者を惑わしたのである。(神を侮り神に高ぶるこの預言者を打つために、神は、あえて、獣の霊のことばを神のことばであると思い違いすることを、その預言者に許した。すなわち、神御自身が、神に頑なな心のその預言者を惑わしたのである。―わたしは彼に手を伸ばして、わたしの民イスラエルのうちから彼(獣の霊に聞き従うその預言者)を根絶やしにする。
こういう者たちは、自分の咎を負う。この預言者の咎は、(その預言者にことばを)尋ね求めた者の咎と同じである。(偽りの預言をする預言者も、また、その預言者に道を求める者たちも、ともに咎を負う)
それは、イスラエルの家が、二度とわたしから迷い出ず、重ねて自分たちのそむきの罪によって自分自身を汚さないためであり、彼らがわたしの民となり、わたしも彼らの神となるためである。(心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを顔の前に置きながら、神を尋ね求めようと、偽りの預言を語る預言者のところに来る者、神が、そのような者から顔をそむけ、彼をそむきのしるしとし、語りぐさとして、神の民イスラエルのうちから彼を絶ち滅ぼすとき、イスラエルは、預言者たちにことばを与えるイスラエルの神が、まことの主であることを知ろう。これらのことが許されるのは、イスラエルが神に立ち返るためである)―神である主の御告げ。―」(エゼキエル14:9-11)
イスラエルの預言者エゼキエルに次のような主のことばがありました。
「人の子よ。(神のことばを語る預言者エゼキエルよ)
国が、不信に不信を重ねてわたし(主)に罪を犯し、そのためわたし(天の神)がその国に手を伸ばし、そこのパンの蓄えをなくし、その国に飢饉を送り、人間や獣をそこから立ち滅ぼすなら、たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これらの三人の者(神を恐れる正しい人)がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。(三人の義人たちが執り成しても、神は、不信に不信を重ねるイスラエルを救いはしない)―神である主の御告げ。―
もし、その地にわたし(主)が悪い獣を行き巡らせ、その地を不毛にし、荒れ果てさせ、獣のために通り過ぎる者もなくなるとき、たとい、その地にこれら三人の者がいても、―わたし(天地万物を治める主)は生きている。神である主の御告げ。―彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことができない。ただ彼ら自身だけが(自分たちの義によって)救い出され、その地は荒れ果てる。
あるいは、わたし(主)がその地に剣(争い)を送り、『剣よ。この地を行き巡れ。』と言って、人間や獣をそこから断ち滅ぼすとき、たとい、その地にこれら三人の者がいても、―わたし(生けるまことの神、主)は生きている。神である主の御告げ。―彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことができない。ただ彼ら自身だけが救い出される。
あるいは、わたし(主)がその地に疫病を送って、人間や獣をそこから断ち滅ぼすために、血を流してわたしの憤りをその地に注ぐとき、たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブがいても、―わたしは生きている。神である主の御告げ。―彼らは決して自分の息子も娘も救い出すことができない。彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。
まことに、神である主はこう仰せられる。人間や獣を絶ち滅ぼすために、わたし(イスラエルの神)が剣(争い)と飢饉と悪い獣と疫病との四つのひどい刑罰をエルサレムに送るとき、見よ、そこに、のがれた者が残っていて、息子や娘たちを連れ出し、あなたがた(イスラエルの長老たち)のところにやって来よう。あなたがたは彼らの行ないとわざとを見るとき、わたし(神である主)がエルサレムにもたらしたわざわいと、わたしがそこにもたらしたすべての事について、慰められよう。(神がもたらしたわざわいは、イスラエルを滅ぼすためではなく、不信に不信を重ねる悪い心をイスラエルから取り除いて、神に立ち返らせるためであったこと、すなわち、神に不信と偶像の罪を悔い改めて、神に立ち返ったイスラエルが神に救われるためであったことを知り、神に愛されていることを知って慰められるであろう)
あなたがたは、(わざわいから逃れた)彼らの行ないとわざとを見て慰められる。このとき、あなたがたは、わたし(主)がそこでしたすべての事はゆえもなくしたのではないことを知ろう。―神である主の御告げ。―」(エゼキエル14:13-23)
剣も、飢饉も、悪い獣も、疫病も、神の民の魂を盲目にしている、偶像の罪、すなわち、まことの神ではない偽りものに頼って、神を怒らせている不信の罪ゆえであることを悟らせるため、また、自分たちの心が生けるまことの神、自分たちを生かしてくださる「いのちの主」から離れて、神を神としていない罪悪に気づかせるため、そして、のがれた者たちが神に立ち返るのを見て、わざわいは、神に帰らせるためのいのちの道であったことを悟り、自分たちは神に見捨てられていたわけではないことを理解して慰められるためなのです。
そのことを悟るとき、いのちを得る人たちは言うでしょう。神の愛は天よりも高く、地よりも深く測り知れない、と。
神は、不信の罪で滅びる者ではなく、神に背いていた自分の罪を悔い改めて、神に立ち返り、永遠に生きる者となることを願っておられます。
神は、永遠のいのちを得させるためには、どんな事でもされるのです。罪人が自分の罪に気づき、悔い改めて神に立ち返ることを望んでおられるのです。
いつまでも、時間があるわけではありません。終わりの時は近づいています。
それゆえ、神は、イスラエルにされた事と同様のことを、あらゆる国、あらゆる民族、世界中の神に愛された人たちにも行なわれるのです。