ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊によってイエスを知る

 

 「わたし(イエス)が父(イエスの父であられる父なる神、すなわち、全能の神、主)のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたし(神の御子イエス・キリスト)についてあかしします。」(ヨハネ15:26)

 

 神は、世の罪を取り除く罪の贖いの子羊の血を流させるために、神の祭司の国民であるイスラエルに、神のひとり子である「人の子」イエスを遣わされました。

 神は、神の子羊イエス・キリストの血によって罪が贖われた人たちをすべての真理に導き入れるために、イエスを信じる人たちのうちに、「もうひとりの助け主」真理の御霊を遣わされます。

 

 イエスは言われました。

 「助け主、すなわち、父がわたし(イエス)の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

 

 神は、罪の贖いのみわざを成し遂げた、すなわち、罪のないご自分の聖い血を人の罪の贖いのために流されたイエスを天に戻されると、十字架の死に至るまで父なる神に従順に従い通した神の子羊イエスに、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を授けられました。

 

 キリストの到来をユダヤ人たちに証するために遣わされたバプテスマのヨハネは、遣わした神から、「キリストは、聖霊と火とのバプテスマを授ける救い主である。」と告げられていました。

 バプテスマのヨハネは、イスラエルに、キリストにお会いする備えをさせるために、ユダヤ人たちに悔い改めのバプテスマ、すなわち、ユダヤ人たちの心の向きを変えて意識を神に向けさせる水のバプテスマを授けていました。

 

 イスラエルが待ち望んだキリスト【救い主】は、水のバプテスマを授ける方ではなく、聖霊と火とのバプテスマを授ける方です。

 キリストは、御霊によって生まれる人の肉の性質を焼いて「新しい人」に新しく造り変える創造主、すなわち、新しい創造をする(女から生まれた肉の人を、御霊によって生まれる新生の人、神の子どもに造り変える)創造主です。

 

 神の子羊イエスは、罪の贖いの血を流して十字架で死に、三日目に墓の中から甦り、復活の新しい御霊のからだで天に上り、父から聖霊と火とのバプテスマを授けるキリストの権威を受けられました。

 

 神の子羊イエス・キリストは、弟子たちに約束したとおり、イエスのことばを信じ信仰を持って待ち望む弟子たちに、聖霊のバプテスマを授けました。

 弟子たちは、イエス・キリストの御名によって、父(天の神)から、真理の御霊を受けました。

 

 御霊は自分から語るのではなく、キリストから聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていること(父がキリストにお与えになったものを、そのまま御霊に託した啓示)をあなたがたに示します。

 御霊は、イエス・キリストのものを受けて、あなたがたに知らせ、イエス・キリストの栄光を現わします。

 

 御霊は、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます。

 義についてとは、神の子羊イエスは甦られて父のみもと、すなわち、ご自分を遣わされた方のみもとに帰ったことにより、罪の贖いのみわざは完成されていること。すなわち、罪の贖いを完成された神の子羊イエス・キリストを信じることが神に認められる義であり、神に義とされる人の義なのです。

 罪についてとは、罪の贖いのみわざを成し遂げた神の子羊イエス・キリストを信じないことです。すべての罪は、神の子羊イエス・キリストを信じることによって赦されます。しかし、神の子羊イエス・キリストを信じない者の罪は、罪が残ったままであり、自分の罪の中で死ぬのです。キリストの血で贖われていない罪は、永遠に残り、永遠の火によって焼き尽くされ滅ぼされます。罪には、永遠の死が待っています。

 裁きについてとは、キリストの十字架によって、この世を支配する者(闇の支配者である悪魔)が裁かれたことです。今に至るまで地上に闇の心があり、悪魔が働いていても、死の闇はすでに、キリストのいのちの光に敗北しています。神の子羊「人の子イエス」は、死から甦られ、永遠に生きる「新しい御霊の人」となられたからです。悪魔はすでに裁かれています。エバを騙した蛇に言葉を授けた蛇の頭(悪魔)を、神のひとり子「人の子」イエス・キリストは、踏み砕き、勝利を取られました。

 神は、悪魔と悪霊ども、闇と死とを永遠に燃やす、永遠の火の池を用意しておられます。

 

 思いの暗い世の人々(罪人)に隠された真理を知らせる「真理の御霊」は、御霊によって新生し新しく造り変えられた御霊の人たちを、すべての真理に導き入れます。

 御霊は、イエスのことばを思い起こさせて、真理を教えてくださるからです。

 

 御霊は、キリストのものを受けて、私たちに知らせてくださいます。

 御霊の示しは、イエス・キリストの御思いであり、父なる神のみことばなのです。

 御霊を受け、御霊に聞き従う者は、真理に属する者となります。

 

 御霊の声を聞き、御霊の示しに聞き従う者は、イエス・キリストを知る者です。

 御霊によって、イエス・キリストを体験しているのです。

 イエス・キリストの御姿を見たことはないけれども、また、いま見てはいないけれども、信じており、愛しています。そして、このイエスを信頼し、信仰と希望と愛を育まれて、魂の平安を得ているのです。

 

 知性の祈りではなく、御霊によって祈りをしましょう。異言の賜物をいただいている人は、異言の祈りをしましょう。

 御霊が示してくださる自分のうちにある闇の心(罪)から目をそむけないで、しっかりと向き合い、神と隔てている罪を悔改めて、解放されましょう。自由が得られます。

 

 さまざまな試練は、神に覚えられ、神に愛されているあかしです。火のバプテスマは、神の子どものバプテスマです。

 さまざまな試練は、悲しいものですが、信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いもので、父なる神とイエス・キリストの称賛を受ける、栄誉あるものなのです。

 

 神御自身が、しばらくの苦しみのあとで完全にし、御霊によって堅く立たせ、信仰を強くし、不動の者としてくださいます。それは、十字架の道を全うされたキリストの御霊にあって、その永遠の栄光の中に招き入れてくださるためです。

 

 人間に教えられた知識や知性による信仰と祈りは、世を惑わす悪魔のわなに太刀打ちができません。霊のことを学んでいないからです。

 

 御霊によって教えられる信仰、御霊によって体験するイエス、自分の霊によってイエスを知る御霊の人の信仰は、天に向かっているのです。