ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人のことを思うことはサタンの足場となり神の義に立ちはだかる

 

 「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植え付けられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコブ1:20)

 

 「イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に甦られなければならないことを弟子たちに示し始められた。

 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。

 『主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。(神はあなた〈イエス〉とともにおられるではありませんか。私たちは、ずっとあなたに神の栄光を見て来ました。病人は癒され、悪霊は追い出され、死人は甦りました。神の栄光を現わすほどに、神に愛されているあなたに限って、そんなむごい事が起こるはずはありません。何故、あなたが殺されなければならないのですか。多くのユダヤ人はあなたに望みをかけているではありませんか。私たち弟子も、あなたが天から来られたキリストであることを信じています。キリストは私たちを救ってくださるお方です)』

 しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。

 『下がれ。サタン。あなたはわたし(神の御計画を成し遂げるために、神に遣わされた人の子イエス)の邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マタイ16:21-23)

 

 ペテロは、イエスのことばを打ち消そうとしました。ペテロは、イエスを尊敬し愛し慕っていました。しかし、そこには、微妙なズレがありました。

 

 イエスは、父のことを思い、ペテロは人の子イエスのことを思っていたのです。

 父は神であり、絶対主権者です。天にあるもの地にあるもの、全宇宙は、この神の御手の中にあり、神の摂理の中に保たれています。神の中にあるから保たれています。神御自身が保つお方だからです。

 御子イエスは、父から離れることはありません。父と子は一体です。子は、父の言われるままを話すのです。子は、父のことばに自分の意見も感情も差しはさみません。ただ、父のことばに従順に従うのです。

 

 ペテロの言葉は、イエスを父のことばから外そうとする悪魔から出たものでした。ペテロは、イエスのことを思って言っているのに、実は、御子イエスを父のことばに逆らわせようとする言葉だったのです。

 

 人の子イエスにとって、神のことばはいのちそのものです。肉体を持つ人の子は、神のひとり子の御姿を捨てて、地上に来られています。神のことばから離れたならば、いのちはありません。

 ペテロがイエスに言った言葉は、蛇の言葉に従っていのちを失ったアダムと同じ道を歩ませようとする誘惑の言葉でした。

 しかも、「あなたにそんなことが、起こるはずはない。」といさめ始めたのです。ペテロの方が、神の御子イエスよりも、神を知っているというのでしょうか。

 

 肉の人には、目に見えない神は分かりません。目に見えるものによって判断します。

 ペテロは、イエスが神に捨てられると思ったのでしょうか。「神の御恵みがありますように。」と言っているではありませんか。

 ペテロの目は、愛するイエスのことを見ているだけで、霊の目は閉じ、神を見ていません。

 

 イエスの目は、神を見続けていました。

 イエスは、ペテロの口を使って語ったサタンを叱りつけられました。

 

 神のことを思わないで、人のことを思っている者は、ペテロです。

 神が遣わされた神の御子イエスの成さなければならないみわざを邪魔をする者は、サタンです。

 

 サタンは、神のことばの成就、神の御計画を邪魔するために、神のことよりも、人のことを思うイエスの弟子のペテロの口を使って語ったのです。

 

 サタンは神が立てられたエデンの園の管理者の「人」の働きを邪魔するために、蛇の口を使って、「エバ」を誘惑しました。

 サタンは、アダムの愛がエバにあることを知っていました。それゆえ、エバを誘惑しました。蛇の言葉に騙されたエバは、アダムを仲間に引き入れました。

 

 エバはアダムを憎んでいたわけではありません。誘惑するつもりも、そそのかして神のことばから引き離すつもりもありません。

 しかし、結果的にサタンの働きを受け持ってしまったのです。

 サタンは、人を惑わすとき、その人が信用してしまうような人、また、その人が愛する人や大切にしている人、心がそこにある人を使うのですね。アダムは、エバの言葉に従っていのちを失いました。

 

 イエスは、サタンに騙されませんでした。弟子のペテロの心情を思いやり、師であるイエスを思いやる気持ちを有難いとは思いませんでした。

 ペテロは神のことを思わないで、人のことを思っているから、このような過ちを犯してしまうのです。

 神のことではなく、人のことを心の中心に置くとき、そのズレがサタンの足場となって、サタンに機会を与えてしまうのだ、とイエスはペテロに知らせたのです。

 

 イエスの弟子のペテロであっても、神のことよりも人の子イエスのことを思うとき、サタンに利用されてしまうのです。

 

 アブラハムと契約を結ばれた神は、アブラハムに相続地を与えることを約束されました。それは、カナン全域です。すなわち、エジプト川からユーフラテス川まで。その中には、現在のレバノン、イスラエル、パレスチナ自治区、ヨルダンと、イラクの一部、トルコの一部、シリアの一部、クウェートの一部、サウジアラビアの一部、エジプトの一部が入っています。地図を見ればわかります。

 

 これらの十の国は、後に、反キリストの十の角(十の国)となる反キリストの国となるでしょう。反キリストが神殿に立って悪魔礼拝をはじめ、世界からユダヤ人とキリスト者を滅ぼし、三年半の間、覇権を握るのです。

 

 アブラハムの時代には、神がアブラハムに与えると約束されたカナンの地には、ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ぺリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人が住んでいました。

 

 神は、アブラハムに、アブラハムの子孫は、自分たちの国ではない国で寄留者となり、そこで奴隷とされ、四百年の間、苦しめられることと、神御自身がその国を裁いて、その国からアブラハムの子孫を救い出して、カナンの地に連れ戻すこととを仰せられました。

 

 アブラハムは、カナンの地で寄留者として暮らしました。カナンの地のすべての住民が、悪い者となっていなかったからです。

 しかし、アブラハムの子孫のイスラエルがエジプトの地で奴隷とされて四百年の間苦しめられている間に、カナンの地は住民を聖絶しなければならないほど、悪いものとなっていました。エモリ人の咎が満ちたのです。

 

 ソドムには、神を恐れる正しい人はアブラハムの甥のロトの家族しかいませんでした。それで、神は、ロトの家族をソドムの町の外へ導いてから、すべてが悪いものとなったソドムの地を天からの火で焼き尽くしました。

 神は、そこの住民がすべて悪いものとなったときに、町全体を滅ぼされます。

 

 カナンの地の住民もすべてが悪いものとなったときに、イスラエルに攻め入らせて、イスラエルにお与えになりました。

 

 世の終わりに反キリストが立ち、反キリストの国(十の国)の主権者となり、悪魔礼拝の国とします。すべての国民は、悪魔の民となります。良いものは、すでに神が取りのけておられます。すべてが悪いものとなったとき、キリストは天の軍勢とともに天から来られて、反キリストの国とその国民とを滅ぼされます。

 

 そして、アブラハムに与えると約束したカナン全土を、ヤコブの子孫ユダヤ民族にお与えになります。

 

 人のことを思うことは、神のことばを邪魔することであることを悟る人は、幸いです。

 人のことを思うことや人の感情は、神の義(神のことばの実現)を邪魔するサタンの足場となることを心得ましょう。

 そして、人の義に立つ弱さを悔改めて、神の義に立つ者としてください、と祈りましょう。

 人のことを思う以上に、神のことを思う者とされましょう。

 それが、天の御国に属する神の子どもの在り方なのです。