ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊の器の祈り

 

 イエスに目をあけてもらった生まれつき盲人の男は、イエスについて証言しました。

 「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。(もしも心に抱く不義があるなら、主は聞き入れてくださらない)しかし、だれでも神を敬い、その御心(神の御旨)を行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たち(神の民イスラエル)は知っています。

 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。(しかし、生まれつき盲目であった私は、イエスによって見えるようになったのです。自分の身をもって体験したことですから、私の話は嘘や作り話ではありません)

 もしあの方(イエス)が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。(しかし、実際、生まれつき盲目であった私の目が、今は見えるのです。イエスの行なわれたみわざは、神がともにおられるからにほかなりません)」(ヨハネ31-33)

 

 「主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。」(詩篇34:15)

 「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」(詩篇15:29)

 

 神の子羊イエスは、ご自分の血で罪人の罪を贖い、罪をきよめました。

 神の御子イエスを世に遣わされた天の神は、神の子羊イエスの贖いの血を信じた者の罪を赦されます。神の子羊イエス・キリストの血の贖いを信じる者は、キリストを遣わされた天の神のことばを信じる者です。神は、神の愛と赦しといのちを信じる人たちを「義」とされます。

 神にささげ物をするとか、神に熱心であるとか、神を信じているとかという事ではなく、神が遣わされた救い主を信じる者を、「義」とされるのです。

 

 人間がきよくなろうと熱心に修行を積んだり、多くのささげ物によって犠牲を払うことは、天に上る義ではありません。

 すべての罪を贖う血、神御自身が用意された神の子羊イエス・キリストの血が、神に受け入れられる聖であり、キリストの血により罪の贖われた人が天に受け入れられる「義」です。

 義人は信仰によって生きるのです。神に「義」とされる人は、永遠のいのちを得ます。

 

 神の子羊イエス・キリストの血によって罪が赦されきよめられた人が、神に義とされるのです。なぜならば、キリストの血には、神と人とを和解させる力があるからです。

 

 エリヤの時代には、キリストはまだ世に出現していませんでした。神は、神を恐れ神に聞き従う預言者エリヤとともにおられました。

 

 「義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、(エリヤが)雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

 そして、(三年半後にエリヤが)再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせました。」(ヤコブ5:16)

 

 エリヤは、一台の火の戦車と火の馬とが現われると、生きたまま、竜巻に乗って天に上って行きました。

 エリヤは、終わりの時代に、携挙される御霊の教会に属する人たちのひな型です。

 

 終わりの時代、すなわち、「ユダヤ人の時」に、再び、エリヤの霊を持つ「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」のふたりの証人が出現します。

 このふたりが預言している期間(三年半)は雨が降らないように天を閉じる力を持っています。

 

 「異邦人の時」の完成とともに、イエスがイエスの弟子たちのために地上に下された聖霊は引き上げられます。

 「ユダヤ人の時」には、神に召されたふたりの証人と、世界宣教をする十四万四千人のユダヤ人の上に、聖霊が留まっており、ほかの人たちは、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の語る預言(神のことば)に聞き従って、御救いを受けるのです。

 

 エリヤは、キリストから聖霊のバプテスマを受けた使徒たちと同じような人でした。エリヤも、使徒たちも、イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを受けた私たちと同じような人でした。自分から何かをするのではなく、信仰の祈りにより神の御名によって、神の不思議を体験するのです。

 

 彼らが祈ると奇蹟が起こりました。

 義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 エリヤに現わされた神の栄光、また、使徒たちに現わされた神の栄光は、聖霊をいただいた私たちを通しても起こるとされています。

 

 聖霊を受けた私たちは、信仰が働けば、御霊によって、大きなわざをすることができるのです。神のわざは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 「(私たちの)行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:9)

 神が私たちに賜わった「御霊」によるのです。御霊は、神からの賜物です。

 

 イエスは、弟子たちに言われました。

 「(悪霊を追い出せなかったのは)あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。

 もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、(主イエスの弟子である)あなたがたにできないことはありません。

 (ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。)」(マタイ17:20,21)

 

 神のわざが成されないのは、私たちの信仰が薄いからだ、と言われました。(種の中でも最も小さな種の)からし種ほどの信仰があれば、それは実現するというのです。

 

 キリストが十字架の死の後で墓に納められて、三日目に墓から甦られ、新しい復活のからだで天に上られると、神から、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を与えられて、弟子たちに聖霊のバプテスマを授けました。すると、弟子たちは、イエスがされていたわざと同じわざをするようになりました。

 

 弟子たちのうちに住んでおられるキリストの御霊がみわざをされるからです。病人を癒し、悪霊を追い出し、死人を甦らせました。こうして、イエスの弟子たちは、キリストの御霊によって、神の栄光を現わしたのです。

 

 生まれつき足のきかない男が歩き出すという奇蹟を見て驚いている人々に、ペテロは言いました。

 「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。

 (神がイスラエルに遣わされたキリスト、十字架で死に三日目に甦られた)イエスの御名が、その御名を信じる信仰ゆえに(十字架の神の子羊イエスが、神がイスラエルに遣わされたキリストであると信じる信仰ゆえに、イエス・キリストの御名の御力が働き)、あなたがたがいま見ており知っているこの人(生まれつき歩くことができず物乞いをしていた男)を(神に立ち返らせ、信仰によって)強くしたのです。(イエスの御名は、御救いといのちとを得させる御名です)

 イエス(主キリスト)によって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒3:12,16)

 

 ペテロは、神のみわざの根源は天から遣わされたキリスト・イエスの御名の力であることを、あかししました。

 

 聖霊をいただいたイエスの弟子たちは、自分自身が御救いにあずかるだけではなく、神の御子イエス・キリストの御名によって神のみわざを成して、ほかの人々にもイエス・キリストの御名を知らせ、神と和解させる和解の務めと、生ける神の栄光を現わすキリストの御霊の力をいただきました。

 

 聖霊の器は、神の栄光を現わす者として召されているのです。

 それは、人々に、イエス・キリストの血による神との和解と、永遠のいのちを得させるためなのです。

 

 東京行きを示された時、東京で地震が起こるという噂に怯えていた私は、いつも主に祈っていました。

 「どうか、地震で揺れないようにしてください。死なないようにお守りください。髪の毛一本すらその地震によって失われないようにお守り下さい。」

 

 神戸淡路大震災の時、岐阜の古いアパートに住んでいましたが、すごい衝撃があったにも関わらず、私の部屋ではガラス戸の揺れる音もしませんでした。静寂がありました。

 

 ほかの人たちは、揺れて大変だったようです。神は、祈りに応えてくださいました。

 

 ある姉妹の証で、神はそんなこともされるのだ、と驚いたことがあります。

 お父さんが遺してくれた土地にアパートを建てて、お母さんと自分のふたりを養ってくれる家賃収入の安定した生活を思い描いたのですが、その土地の地盤調査の結果、アパート建設には不向きな弱い地盤であることがわかりました。

 姉妹は祈りました。「どうか、アパートを建てられる硬い地盤にしてください。」祈って、祈って、祈りました。

 

 すると、その土地はアパートを建てるに適した硬くて良好な地盤に変えられたのです。水を葡萄酒に変えるような奇蹟です。

 こうして、神の恵みをいただいて、アパートを建てることができたのです。

 

 聖霊の器は祈りましょう。人間的に無茶な祈りだと思えることであっても、神に不可能はありません。

 大雨が降って地盤がゆるくなった土地の地盤が硬くされるように祈ることもできます。

 山を神の御使いが支えて、また、山を硬いものとし土砂崩れが起きないようにと祈ることもできます。

 

 聖霊の器は、全国各地に配置されていると思います。