ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ローマ書十章 主の御名を呼び求める者はみな救われる

 

 「(神との契約のしるしの割礼と律法を持つ)ユダヤ人とギリシャ人(神との契約のない無割礼の異邦人)との区別はありません。同じ(ひとりの)主が、すべての人の主であり(なぜならば、主は全人類を造られた創造主ですから)、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。(神の愛は、御自身が創造されたすべての国、すべての民族、すべての言語の人々に向けられています。神のひとり子である「人の子」イエスをお与えになったイスラエルの民、すなわち、ユダヤ人でなくても、主を呼び求める者に、唯一の神であられる主は、御目を留め、御耳を傾けられるのです)

 『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」(ローマ10:12,13)

 

 神の御子イエスは、肉体をもって、ユダヤ人として、この世に来られました。神であられる主は、ユダヤ民族に、キリストを遣わすと約束しておられたからです。

 

 キリストが来られる以前、神は、イスラエルをほかの国民と聖別しておられました。

 天地万物を造られた唯一の神、主は、御自身を「イスラエルの神」とお呼びになられました。また、イスラエルを「わたし(アブラハム、イサク、ヤコブの神である全知全能の主)の民(神の民)」と呼ばれました。

 

 神は、イスラエルに『聖書』をゆだねられました。『聖書』は、永遠のいのちを得させるために書かれた書物です。ユダヤ民族は、世界を救うために神が立てられた民族だからです。

 

 神は、世界を救いに導く使命を与えたユダヤ民族に、救いの君イエス・キリストをお遣わしになられました。

 救いは、ユダヤ人から出るのだからです。

 このことは、創造主であり裁き主であられる神がお定めになりました。

 

 「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」(へブル9:27)

 救いはユダヤ人から出ることが定まっているのです。

 

 キリストは、世の罪を取り除く神の子羊として、十字架で、罪の贖いの血を流されました。神の子羊イエスの贖いの血によって世の罪が取り除かれると、神は、キリストの血の贖いを信仰によって信じる者の罪を赦して、「義」とされます。すなわち、神は罪のない者とみなされるのです。罪のない者は、裁きにあうことはありません。

 

 罪の報酬は死です。神によって罪が認められない者に、罪の報酬である「死」はありません。

 キリストの血によって人の罪は贖われ、キリストの血の贖いを信じる人たちは信仰によって神に「義」とされて、死後の裁きにあうことなく、永遠の死に葬られることはありません。

 

 神の子羊イエスは、十字架で罪の贖いの血を流して墓にはいり、罪の贖いのみわざを成し遂げられると、次には、御霊によって三日目に墓から甦り、御霊によって生まれる新しい人の創造と、永遠のいのちを得させるキリストの御霊のみわざを完成されました。

 キリストは、世の罪を取り除いて罪人の罪を贖い、御霊による新しいいのちを得させるために「聖霊のバプテスマ」を授けられ、永遠のいのちを与える「救世主」です。

 

 イスラエルに託された『聖書』には、神の御子イエス・キリストによる罪の赦しと、キリストの御霊による永遠のいのちの約束がされているのです。

 

 キリストが世に遣わされると、世界は一新しました。

 神の御子イエス・キリストは、十字架によって罪を滅ぼし、ご自分の肉(肉体)において、敵意(律法の民ユダヤ民族と無割礼の異邦人との間にあった隔ての壁)を廃棄されました。

 

 キリストの罪の贖いの血が流されると、イスラエルだけでなく、世の罪も取り除かれたからです。律法の下にあったイスラエルは、律法の違反に伴う呪いから解放されました。律法を持たない異邦人は、罪の呪いから解放されました。

 

 キリストの血は、律法の違反の呪いも、罪の呪いも取り除き、割礼の民イスラエルと無割礼の民異邦人との間にあった隔ての壁を打ち壊しました。

 

 神の御子イエス・キリストは、ご自分の肉において、神の選びの民ユダヤ人と神の民ではなかった異邦人との敵意を廃棄し、二つのものをご自身において新しいひとりの人(罪が贖われ御霊によって生まれる新生した神の子ども)に造り上げて、平和を実現し、また、ユダヤ人と異邦人を一つのからだ(キリストを頭とするキリストのからだ)として、十字架によって神と和解させられました。

 

 「(救い主イエス・キリストを信じる)私たちは、このキリストによって、(ユダヤ人、異邦人)両者ともに一つの御霊において、父(私たちの創造主であられる天の神、イエス・キリストの父)のみもとに近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがた(異邦人)は、もはや(イスラエルにとって無割礼の)他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たち(御救いの約束を持つユダヤ民族)と同じ国民(神の民)であり、神の家族なのです。」(エペソ2:18,19)

 

 神が遣わされたキリストが律法を終わらせたので、「神の御子イエス・キリスト」(世の罪を取り除き、永遠のいのちを得させてくださる唯一の救世主)を信じる人は、みな神に義と認められるのです。

 

 しかし、律法の下にいるユダヤ人たちは、今尚、律法によって神に受け入れられようと、神に対して熱心です。しかし、その熱心は神の知識に基づくものではありません。

 彼らは人間の教える教えやしきたりに基づいて熱心であって、自分自身の義を立てようと努力しています。

 

 彼らは、神に与えられた律法の知識を知っていますが、神の義(神が遣わされた救い主キリスト)を知らず、神御自身の栄光が見えていません。神は、生けるまことの神に霊とまことをもって従うことを、義とされます。

 彼らは、天から遣わされたキリストを信じることができず、神の義(キリストによる罪の赦しと御霊によって得させられる永遠のいのちと神の子どもとされる福音)に従うことができませんでした。

 

 御救いは、人間の熱心や努力ではなく、神の憐れみによるのです。何のいさおし(神に差し出すような手柄も、神に認められるような勤勉)もない者が、ただ、神の測り知れない慈愛によって、信仰(イエスを主と告白し、神がイエスを死者の中から甦らせてくださったと信じる信仰)によって義とされ、救われるのです。

 

 神の約束は一つです。ユダヤ人も異邦人も、何の差別もありません。

 主の御名を呼び求める者(イエス・キリストに救いがあると信じて、イエス・キリストの御名に望みをかけて、キリストの御救いを求める者)は、だれでも救われるのです。

 

 「聖書はこう言っています。

 『彼(神の御子、すなわち、十字架で死なれ死から甦られた神の子羊イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ10:11)